相撲人生を象徴する「史上初」の冠が舞い込んだ。大相撲で大関経験者の朝乃山(31=高砂)が、幕内から三段目に2度転落しなが…
相撲人生を象徴する「史上初」の冠が舞い込んだ。大相撲で大関経験者の朝乃山(31=高砂)が、幕内から三段目に2度転落しながら、いずれも幕内に返り咲く史上初の力士となった。日本相撲協会は22日、初場所(来年1月11日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表。西十両4枚目だった11月の九州場所で12勝3敗の朝乃山は、東前頭16枚目に番付を上げ、3度目の幕内昇進を決めた。都内の部屋で報道陣に対応し、来年中の三役復帰、さらに大関再昇進を目標に掲げた。
◇ ◇ ◇
史上初どころか、空前絶後となるかもしれない。朝乃山の3度目の幕内昇進が正式決定した。1度目は不祥事、2度目は左膝の大けがで三段目に転落。それでも「不屈」を今年のテーマに掲げ、春場所で再起。5場所合計で42勝9敗と強さ健在を示し、はい上がってきた。同部屋の弟弟子、朝白龍の新入幕会見後、部屋に残った報道陣の取材に応じ、熱い思いを語った。
「無事に上がれてよかった。ここからが本当の勝負。気持ちが折れそうになったこともあった。でも、いろんな方に支えられて、折れずにやってくることができた。それで、ここまで続けられた。次の目標は三役と決めている。また新たな気持ちで大関を目指していきたい。目標を高く持って頑張っていきたい」
リハビリ中は、わずか十数センチの足の上げ下げもできず、幕内どころか、再び相撲を取る未来さえ描けない時もあった。それでも地道に、引っ越す前の旧部屋から徒歩圏内の東京スカイツリーまでの散歩を続けた。真下から日本一の高さを見上げ、自分と重ねた。最高峰の幕内へ戻る決意を確認し、弱気になりそうな自分と決別する毎日だった。
来年3月には32歳を迎える。26歳で大関に昇進した時ほどの馬力がないことは自覚している。無敵だった部屋での稽古で、弟弟子に敗れることも増えた。それでも変わらず真っ向勝負。かつて横綱白鵬も恐れ、後継者に指名した右四つの完成度に磨きを掛け、寄り立てる姿勢はそのままだ。小手先の技術に走らず、王道一直線。不器用だからこそファンの声援は、大関時代よりも格段に増えている。
「これが本当のラストチャンス。ここまできたら現役を長く続けたい。不屈の精神で土俵に立つ」
令和最初の本場所、19年夏場所で初優勝。すぐと思われた2度目の優勝がないまま、来年で7年になる。「自分の道は頂点か引退するしかない」。目指すは2度目の優勝。朝乃山は、あきらめない。【高田文太】
<近年の朝乃山の浮沈>
◆21年5月 新型コロナウイルスのガイドライン違反で夏場所12日目から、師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)の判断で謹慎休場。翌名古屋場所から6場所出場停止処分で大関から陥落。
◆22年7月 名古屋場所で西三段目22枚目で復帰。7戦全勝で初の三段目V。
◆23年1月 再十両初場所で14勝1敗。十両初V。
◆23年7月 再入幕2場所目の名古屋場所で左腕負傷し、8日目から4日間休場。再出場後4連勝締めで勝ち越し8勝4敗3休。
◆24年5月 3年ぶりに三役復帰、小結で迎えた夏場所を右膝を痛めて全休。
◆24年7月 初日から3連勝も、4日目の一山本戦で左膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大けが。5日目から休場し3勝2敗10休。
◆25年3月 5場所連続休場から、春場所で西三段目21枚目で復帰し優勝。
◆25年11月 3度目の十両で秋、九州と2場所連続12勝3敗。来年初場所で3度目の幕内を確実とした。