明秀日立・金沢成奉監督が語る今秋ドラフト指名された4人の教え子髙橋隆慶・石川ケニー編「感慨もひとしおです」 10月23日…
明秀日立・金沢成奉監督が語る今秋ドラフト指名された4人の教え子
髙橋隆慶・石川ケニー編
「感慨もひとしおです」
10月23日に行なわれたプロ野球ドラフト会議を終えて、目尻を下げたのは明秀日立高(茨城)の金沢成奉監督だ。
まず、今年の主将を務めた外野手・能戸輝夢(きらむ)が中日にドラフト4位で指名された。続いて、同校OBでJR東日本の右の強打者・髙橋隆慶がソフトバンクから5位、同じくOBで投打二刀流、ジョージア大の石川ケニーがオリックスから6位、さらに強肩強打の捕手・野上士耀(のがみ・しきら)がオリックスから7位指名を受けるなど、吉報が立て続けに届いた。
大阪・太成高(現・太成学院大高)から東北福祉大へ進んだ金沢監督は、現在59歳。東北福祉大でコーチを務めたのちに赴任した前任校の光星学院高(現・八戸学院光星高)では、坂本勇人(巨人)、田村龍弘(ロッテ)、北條史也(元阪神/現・三菱重工West内野手)らを育て上げた。
2012年9月からは明秀日立で指揮を執り、これまで4度の甲子園出場へ導くとともに、細川成也(中日)、増田陸(巨人)、陽柏翔(楽天)といった選手をNPBに送り出してきた。これまでも指導者としての実績は十分だが、今年は一気に4人の教え子がドラフト指名を受けた。昨年の陽を含めれば、2年で5人。しかも全員が支配下での指名となれば、コワモテで知られる金沢監督の表情が崩れるのも無理はない。
かねてから育成力に定評のあった金沢監督だが、この数年でその手腕はさらに磨きがかかった印象すらある。今回、一気に4人の教え子が指名を受けた「育成の名将」に、指名された4人それぞれへの思いや期待、そして育成論・教育論を聞いた。

明秀日立から中央大、JR東日本を経て、今秋のドラフトでソフトバンクから5位指名を受けた髙橋隆慶
photo by Takagi Yu
【無名だった草食系スラッガー】
「最初に注目したのが私だったみたいで、その縁で(明秀日立に)来てくれたようです。それほど中学時代は無名でした」
金沢監督が語るその人物は、ソフトバンクから5位指名を受けた髙橋隆慶だ。
髙橋は茨城県西部・古河市にある総和北中の軟式野球部に所属していた。金沢監督の育成と言えば、坂本や北條、田村龍弘(ロッテ)、増田陸(巨人)といった「やんちゃな一面を持つ選手のあり余るパワーを生かして」という指導法が語られることが多いが、髙橋は彼らとはやや毛色が違ったようだ。
「いい意味で言えば穏やかですし、悪く言えば少しおとなしすぎるところはありました。僕はよく野球選手を草食動物と肉食動物に分けて考えるのですが、高校時代の髙橋は間違いなく草食動物。戦いがあったらすぐに食べられて死んでしまうような、勝負事には向いていないタイプでした」
一方で、身体的なポテンシャルは際立っていた。入学時から身長は180センチを超え(現在は186センチ)、それでいて"しなやかさ"も持ち合わせていた。瞬発力にはやや不安を感じさせる部分があったものの、長身でありながらバランスの取れた選手だった。
高校時代は、「この体格と能力で捕手ができれば、いずれプロに行ける」という親心もあって、マスクを被らせた。しかし、「時間がかかるだろう」と懸念していたとおり、弱気な一面がプレーやリードに出てしまった。
結果として、1学年上の遊撃手・増田陸や右腕・細川拓哉(中日・細川成也の弟/現・トヨタ自動車)らの活躍で出場した選抜甲子園大会では、ベンチ入りを果たせなかった。3年夏は正捕手を任され、4番も担ったが、チームは県大会4回戦で敗退。自身も安打は3回戦で放った2本のみに終わった。
【金沢監督が描く理想のルート】
それでも、「高いレベルのなかで揉まれていけば絶対にモノになる」と見込んでいた金沢監督は、前年に増田の獲得に動いていた縁もあった中央大の清水達也監督に懇願。
「現時点では増田とまではいかないけれど、"いつかは"という選手です。打撃は劣っていませんし、ダメもとでいいから見てほしいんです」
そう言って中央大の練習に参加させると、すぐに清水監督から「ぜひお願いします」と声がかかった。
中央大では指名打者や外野手として東都大学リーグで70試合に出場。その後、JR東日本では三塁手へと転向した。侍ジャパンU−23代表にも選出されるなど着実に評価を高め、社会人野球屈指の長距離砲へと成長。大卒2年目で、プロ入りの夢をかなえた。
いきなりステップを飛び越えるのではなく、人との出会いや刺激、好投手との対戦を通じてさまざまなものを吸収し、一つひとつ階段を上っていった。金沢監督の教え子には高卒でプロ入りした選手が多いが、今回のような歩みこそが「一番の理想」と、金沢監督は称える。
「神宮(春と秋の全国大会)に出ている大学か、常に神宮でプレーできる大学(東京六大学、東都大学リーグ)に進んで、そこから社会人野球で都市対抗に出て、プロに行く。この形が野球界のエリートだと、僕は言っています。すべてのキャリア(カテゴリー)を経験できる野球選手はなかなかいません。現役を終えたあとのことを考えても、大学、社会人に行ってからプロのほうがいい。もちろん、経済的な事情や学力の面で難しい子もいるので一概には言えませんが、野球界のエリートとは、そうした歩みをしてきた選手だと思っています」
【坂本勇人の危機察知能力】
今の時代の子どもたちの気質を「大人になる、自立するという点で、私たちの時代よりも遅いイメージがあります」と語る金沢監督は、だからこそ段階を踏んで成長していくことの重要性を説く。
「(足りないのは)"気づく力"や"生き抜くための知恵"といった部分ですね。野球でも、仕事でも、日常生活でも欠かせないものです。子どもたちが悪いわけではなく、今の家庭環境では、そうしたことに気づく機会が少ないのかもしれません」
やんちゃな一面があった坂本はそうした力に長けており、「危機察知能力は天下一品でしたよ」と金沢監督は笑う。日本史を担当していた金沢監督の授業中、勝手に席替えをしていたり、怒られそうになると巧みに視界から外れたり......。「僕が近づくと、まるでセンサーが鳴るかのようでした」と振り返るように、坂本は自然と"死角"に入っていたという。
こうした"気づき"や周囲を見渡す力があったからこそ、坂本は高卒直後から活躍できたのだという。その一方で、「もし髙橋が高卒でプロに入っていたら、そういうことはできなかったと思いますね」と、金沢監督は振り返る。
だからこそ、名門大学、そして社会人野球の強豪企業で、レベルの高い仲間や対戦相手と切磋琢磨するなかで洗練されていき、その成長が野球の結果にも結びついた。そして、日本最高峰の舞台へとたどり着いた。
右の強打者は、今の野球において需要が高いだけに、髙橋への期待も大きい。
「社会人からプロに入るわけですから、1年目からが勝負。ラストチャンスくらいのイメージで、強い意志を持ってやってほしいですね。ソフトバンクも、あれだけの(戦力が揃った)チームでありながら指名するということは、何らかの意図があってのこと。日本シリーズを見ていても、さらに右の強打者が重要になってくると感じたので、もっと打力を磨いて、強力打線のなかでも結果を残せる選手になってもらいたいです」
おとなしく弱気な一面もあった髙橋は、長い年月を経て成長を続けてプロ入りを果たしたが、オリックスにドラフト6位で指名された石川は「こんなことは坂本勇人と彼くらい」と、金沢監督を驚かせる一面を持っていた。

現在、ジョージア大でプレーする石川ケニー
写真は本人提供
【ハワイの気候のような男】
この髙橋のように金沢監督が発掘したパターンもあるが、現役時代や40年の指導歴から生まれる縁で明秀日立への進学が決まった選手もある。オリックスにドラフト6位で指名を受けた石川は、後者だった。
仙台高を甲子園出場に導き、光星学院野辺地西高(現・八戸学院野辺地西高)でも監督を務めた故・鈴木直勝(ただかつ)氏は、金沢監督と石川の父・則良(のりき)さんにとって共通の恩人だった。その縁から、まず石川ケニーの兄・シェインさんが同校に入学。2018年の選抜では、記録員としてベンチ入りしていた。
ケニーはハワイで生まれ、小学2年生で来日。中学時代までは横浜で育った。
「『おまえはハワイの気候そのものだ』と、ケニーにはいつも言っていました。周りを明るく、熱くさせる人間でした」
そう振り返る一方で、こんな一面も明かす。
「親父に似てクソ生意気なところがありました(笑)。『もう出ていけ』とか、『今すぐ荷物をまとめて帰れ』と言ったこともあります。するとケニーも、『帰りません』『どきません』と、そんなやり取りになりましたね。周りを明るくする一方で、ちょっとしたことでよく泣いていました。感情豊かなので、手はかかりましたね」
そう語る金沢監督の表情は、どこかうれしそうだった。石川自身も、過去のインタビューで心からの感謝の言葉を並べている。
「お父さんが後輩だったこともあり、けっこう怒られましたね(笑)。でも、今となってはそのすべてが生きていますし、感謝しています。とくに人間性の部分ですね。主将を任せてもらい、喜怒哀楽が激しいと言われていましたが、そのなかで成長できたと思いますし、大人になった部分もありますね」
高校時代は、来秋ドラフト候補に挙がる右腕・猪俣駿太(東北福祉大)とともに投手陣の二枚看板を形成。左腕としてマウンドに立つ一方、打線では左の中軸を担い、投打二刀流で活躍した。明秀日立を、史上初となる春夏連続の甲子園へと導いた。
【アメリカ行きという決断】
その後は亜細亜大に進学し、1年生ながら4番を任され、現在はアメリカの大学球界でも二刀流として活躍中。昨季はシアトル大で迎えた1年目から存在感を示し、その実績が評価され、アメリカの大学野球最高峰のカンファレンスであるSEC(サウスイースタン・カンファレンス)に所属する名門・ジョージア大への転校を勝ちとり、今季から同校でプレーしている。
どんな環境でも活躍ができるのは、その天真爛漫な性格が大きいと金沢監督は考える。
「少し油断すると、ヘラヘラと僕をからかってきますが、目つきをパッと変えればピリッとなりますね。まあでも、そもそも僕のことをからかってくるのは、坂本勇人とケニーくらいですが(笑)」
そんな石川だが、亜細亜大からシアトル大への転学を報告しにきた際は一喝したという。石川も金沢監督も信頼を寄せていた生田勉監督が、1年途中で退任。以降、石川は出場機会を大きく減らしていただけに、その決断に至った気持ちは理解できた。それでも、言うべきことは言う。厳しい口調で思いを伝えた。
「『もう決めました』という感じで報告に来たので、『それは違うだろう』と親も含めて怒りました。筋道があって、私からも亜細亜大にひと言言わないといけませんし、現在指揮を執られている正村公弘監督も古くから知っている方。大学に対してないがしろにはできませんから」
そのうえで、「アメリカへ行きたい」という意思を頑なに貫く石川の姿を見て、金沢監督は正村監督に謝罪。最終的には、石川の背中を押した。
明秀日立時代の石川ケニー
photo by Takagi Yu
この話題から発展し、「叱る大人」の重要性についても語られた。
「これを言うと、またいろいろ言われるかもしれませんが、大人は"怖い存在"でなければいけないと思っています。だから生徒たちにも、よく『大人を舐めたらダメだぞ』と伝えるんです。そうした言葉が言いづらい時代になりましたし、大人と子どもの間にある"あるべきライン"が曖昧になることをよしとする風潮もある。でも、それは僕としてはまったく逆の考えですね。子どもたちのためにも、大人は怖い存在であるべきだと思っています」
【強さとおおらかさのハイブリッド】
そんな「怖い」存在であるはずの金沢監督に対しても、冗談を飛ばし、時には強い意思を示せる石川。その姿からは、頼もしさが感じられた。その思いを金沢監督に伝えると、深く頷いた。
「ケニーのTikTokを見ていると、たしかにそんな感じはしますよね(笑)。そして ハイブリッドです。投打二刀流ということもそうですし、僕が大切にしている武士道の精神と向き合う力も持っている。一方で、ハワイで育ったおおらかさもある」
石川がジョージア大の3年生として臨むアメリカの大学野球シーズンは、これからが本番だ。今季の活躍次第では、来夏に行なわれるMLBドラフトでの指名や指名順位も大きく変わってくるだろう。
7月末までオリックスとの交渉権を有しており、現時点では日米両方のプロの世界でプレーするという選択肢を持つ可能性がある。金沢監督は「今度会ったら、『MLBを蹴ってNPBに行くような男になれ』と言いたい。そのほうが面白いじゃないですか」と語ったが、すぐに「でも......」と続け、言葉を付け加えた。
「ケニーのことだから、もし嫌だったら『嫌です』とはっきり言いそうですけどね」
そう想像して笑う金沢監督の顔は「怖い大人」ではなかった。
つづく>>