2025年もあと少し。今年も野球界を盛り上げた多くの選手たちが引退を決めました。その中で、筆者にとって思い入れのある2選…
2025年もあと少し。今年も野球界を盛り上げた多くの選手たちが引退を決めました。その中で、筆者にとって思い入れのある2選手の活躍を振り返っていきたいと思います。
07年の高校野球の大スター・中田翔
まず中日・中田 翔内野手です。中田選手の引退に「一時代が終わった」と感じました。
現在、期待の1年生が活躍すると「スーパー1年生」と評されますが、1年次の活躍度は中田選手が傑出していたと思います。投手としては145キロ前後の速球、切れのあるスライダーを投げ込み、打者としても本塁打量産しており、その姿に興奮していた記憶があります。
1年夏(2005年)の甲子園・春日部共栄戦では、元巨人・辻内崇伸投手が打たれ、5回途中からリリーフで登板した中田選手。それまで勢いのあった春日部共栄打線を完璧に封じ、好リリーフを見せ、打者としても7回に勝ち越し本塁打を放ち、勝利に貢献しました。スケールが大きく、1年生離れしたパフォーマンスに、末恐ろしさを感じました。
2年夏はセンバツで優勝した横浜相手にバックスクリーン弾を放ち、秋は近畿大会で準優勝。敗れた報徳学園戦で元ソフトバンクの近田怜王投手から特大弾を打っています。中田選手は秋の公式戦ではなんと11本塁打を放ち、2年秋が終わった段階で高校通算68本塁打に到達。筆者の一学年上だった中田選手を野球専門誌で見るたびに「同じ高校生にこんな選手がいるのか!?」と同級生たちの間で話題になった記憶があります。
当時の高校通算本塁打のトップは元西武の大島裕行選手(埼玉栄)が記録した86本塁打でした。それを十分に抜く勢いだったので、スポーツ新聞では練習試合で中田選手が本塁打を打つたびに速報記事を出すほどの人気ぶりでした。
迎えた2007年のセンバツでは佐野日大戦で2打席連続本塁打。史上3人目の3年連続甲子園本塁打の偉業を達成し、中田選手はますます騒がれるようになりました。
そして夏の大会前、7月5日の練習試合で当時の高校通算最多記録となる87本目を放ち、大きくニュースされました。その後、清宮 幸太郎選手(早稲田実業)、佐々木 麟太郎選手(花巻東)など高校通算本塁打を塗り替える選手が現れるたびに速報されるようになりましたが、その先駆けは中田選手だったと思います。
2007年の高校生ドラフトでは4球団の競合の末、日本ハムが交渉権を獲得。1年目からどんな活躍をするのか楽しみでした。あれから17年、中田選手は309本塁打、1087打点、打点王を3回獲得し、今年で引退を決めました。この引退に中田選手と同世代のファンの方から引退を惜しむ声を聞かれました。
まだ早すぎるという声も多いですが、筆者もそう思います。
それでも当時から世代NO.1のスラッガーとして注目され、歴代でも46人しかいない300本塁打を達成したことは称賛に値すると思います。
高校時代は右肩上がりに成長していった山下輝
2人目ですが、プロでは思い通りの活躍できず引退した選手を紹介します。それがヤクルトの山下輝投手です。
木更津総合時代、1年春から大型遊撃手・峯村 貴希内野手(Honda)とともにAチームに加わります。当時山下選手は野手でした。
1年生の5月に練習を見に行きました。山下選手はまだ線は細かったですが、上背があり、かなりスケールのある打撃をしていたことを覚えています。当時はスラッガーとして期待されていました。
2年夏まではファースト。当時のエースは早川 隆久投手(楽天)でした。早川投手以外にも実戦力の高い投手も控えていたこともあり、山下選手の投手としての出番はありませんでした。
2年秋になると投手に専念します。秋季県大会初戦の東葛飾戦で初めて投球を見ましたが、想像以上に良い内容でした。当時は135キロ程度で、飛び抜けて速いわけではありません。それでも身長185センチ体重85キロと恵まれた体格に加え、フォームも躍動感があって、腕が強く振れていました。冬のトレーニング、フォームがより固まれば、どこまで球速が速くなるのか楽しみでした。
3年春になると、想像以上の成長を見せてくれました。関東大会出場をかけた春季県大会準決勝の千葉敬愛戦では最速146キロを連発。アベレージでも140キロ台を計測しており、順調にスピードアップしていました。
そして夏になると、1試合で145キロ以上を10球以上も計測するなど、さらに平均球速が大きくレベルアップし、2017年の高校生を代表する左腕と呼ばれる存在になりました。
厳しい夏の千葉大会を勝ち抜いて、2年連続の夏の甲子園出場に導き、大型左腕として評価され、U-18代表に選出されました。
2017年のU-18ワールドカップではキューバ戦で6回途中まで1失点の好投で勝利投手。躍動感のある投球フォームは世界の舞台でも輝いていました。
山下投手は夏の時点で進学を表明していました。3年間の成長を見れば、大学4年間でドラフト1位級の投手になるのではと見ていました。ただ法政大では、肘の怪我で1年生のときにトミー・ジョン手術を受け、実戦デビューは3年春までずれこみました。それでも通算18試合で70.2回を投げ防御率1.53の見事な成績を残しました。ラストシーズンは防御率1位を獲得。ヤクルトから1位指名されたのは妥当な評価だったと思います。
しかしヤクルトでも故障に苦しみました。プロ1年目は2試合に登板し、1勝1敗、12.1回を投げ、2失点の好投と2年目以降に期待をもたせる内容を見せましたが、左肘のコンディション不良など度重なる故障の影響で投げられない日々が続きました。
現役最後となった今年も二軍で14試合で防御率3.91に終わり、プロ4年目で戦力外。現役引退を決断し、球団スタッフとして残ることになりました。
思うような活躍ができず残念でしたが、高校時代の活躍は忘れられません。
この2人以外にも高校時代、上沢 直之投手(ソフトバンク)と熱い投げ合いを見せたヤクルト・鈴木 康平投手(千葉明徳)、高校時代、150キロ右腕として活躍したオリックス・佐野皓大外野手(大分)など現地で見て惹かれた選手たちも引退しています。
いずれは現役を退いた選手たちに再会し、野球人生を振り返る取材ができればと思っています。