ロッテ前コーチ・大塚明氏、怪我が続いた現役時代を回顧 17年間の現役生活は怪我との闘いの日々でもあった。ロッテでチーフ打…
ロッテ前コーチ・大塚明氏、怪我が続いた現役時代を回顧
17年間の現役生活は怪我との闘いの日々でもあった。ロッテでチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた大塚明氏は今オフ、32年間所属したチームを退団。入団後初めて球界を離れ、来年は外からプロ野球を見守る。ロッテ一筋だったプロ野球人生。右肩や右膝、右足首などを手術し、満身創痍でグラウンドに立ち続けていた。
「最後は、もう痛くて投げられなかったです」。内野手に挑戦したプロ1年目は送球難の解消に向け1日1000球以上投げた日もあり、早々に右肩が悲鳴を上げていたという。「常に痛み止め、炎症止めの注射を打っていないとプレーできない。5、6試合続けて出場すると、だんだん肩が上がらなくなっていました」。
シーズン中は2週間に1度のペースで強めの注射を打ち続け、痛み止めの薬も定期的に服用。「ずっと痛みをごまかしながらやっていましたね。打席でも痛くて構えられない時もありました。それが現役が終わるまで続きましたね」。右肩痛は現役最後の年まで付き合いが続いた。
9年目の2002年には、シーズン終盤に痛みが限界に達して、関節唇と腱板を損傷していた右肩を手術。9月14日に都内の病院でメスを入れたのだが、実は前日に夫人が里帰りしていた福岡で長女を出産していた。立ち会うことができないどころか、自身も遠く離れた病院に入院して手術を受けていたのである。
「娘は9月13日が誕生日。妻が福岡で娘を産んでから、東京の病院に僕の見舞いに来たんですよ。最悪でした。本当に途方に暮れていた時期でしたね」
FA権取得も行使せず残留「外に出てやることは考えられない」
遊撃手に挑戦していた若手時代には併殺の際にスライディングを受けて左膝の前十字靭帯を断裂。「一度痛めると、かばって走るようになるので、あちこちおかしくなりました」。右膝や右足首、両ふくらはぎを痛め、2003年には左膝蓋部靭帯断裂するなど、故障に悩まされ続けた。
そんな状態でも長く現役生活を続けられたのは、左投手に滅法強い“左殺し”として鳴らし、俊足と打球勘を生かした堅実な守備力を兼ね備えていたから。15年目の2008年には国内FA権を取得したが、権利を行使することなく残留した。
「自分の力だけでプロ野球界で生きてきたと思える選手じゃなかったんです。野球を続ける体を保つことが、物凄く大変だったので、そこに対する自信がない。外(他球団)に出てやることは考えられない状況でした。それに現場では結構、気を使ってもらっていました。外に行って勝負しようという感じにはならなかったですね」
故障に関しては「体幹主導で動けない選手は怪我をする。体幹主導で手足を動かせる選手は怪我をしない」と説明。「一流プレーヤーはみんな体幹がしっかりしている。持って生まれたものが大きいんだろうけど……。僕はやっぱり、しょうもない選手だった。駄馬ですよ」。2010年に引退するまで苦難の連続だった。
競馬好きの大塚氏は自嘲気味に自身を「駄馬」と表現したが、周囲の評価は異なる。コーチ兼任だった2010年を含めた17年間の現役生活。5年以内にユニホームを脱ぐ選手も少なくない世界で、怪我を抱えながらも長く走り続けた名馬だった。(尾辻剛 / Go Otsuji)