サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「やっちまった~!」場合に、どうすべきかについて。

■シュート=ゴールの試み

 シュートのことを英語で「goal attempt(ゴールの試み)」とも表現する。シュートは得点するために必要なものだが、同時に、そのすべてが得点になるわけでないことは記録を見れば明らかだ。

 2022年のワールドカップ・カタール大会で8ゴールを挙げて得点王となったキリアン・エムバペの例を見てみよう。

 オーストラリアとの初戦からアルゼンチンとの決勝戦まで、彼はフランスの全7試合に出場(うち1試合は交代出場)し、合計32本のシュートを放ち、うち13本がゴールの枠内をとらえた。そしてゴールになったのは8本である。「シュート成功率25%」、すなわちエムバペでも、シュート4本のうち、ゴールの枠内に飛ぶのは1.625本で、得点となるのは1本に過ぎないのである。

 こんなことは、誰でも知っている。だからストライカーたちは「ゴールへの試み」ができるチャンスをうかがい、その機会が訪れたときには躊躇することなく足を振り切る。しかしエムバペだって、それが得点として結実するのは4回に1度に過ぎないのである。

■サッカー特有の悪癖

 だとしたら、昔の韓国代表選手のように、そして現在、欧州でもJリーグでも普通に行われているような「頭を抱えるポーズ」など、「ドラマ性」を求めるテレビ局にしかメリットをもたらさないことが理解できるに違いない。そしてさらに悪いことに、テレビで見る世界や日本の選手たちの仕草は、少年少女や若い選手たちにコピーされていく。

 大きなチャンスに失敗したスポーツ選手のすべてが頭を抱えるわけではない。3ポイントシュートを外したバスケットボールの選手、そう難しくない角度からの「ゴールキック」を失敗したラグビーの選手、1メートルのバーディーパットを外したゴルフの選手、またサッカーの兄弟である「フットサル」でシュートを外した選手が、サッカー選手のように大げさに頭を抱えて倒れ込むだろうか。そんなシーンを見たことがあるだろうか。シュートを外した後のあの大げさなジェスチャーは、サッカー特有のものと言ってよい。

■現実逃避の行動

 動物の行動学者である英国のデズモンド・モリスが書いた『サッカー人間学(The Soccer Tribe)』(1981年、邦訳1983年小学館)によると、両手で頭を抱えたり、顔を覆う動作には、「遮断」とともに、「自分を慰める作用」があるという。目の前で起こってしまった現実をなかったものとし、逃げ、手で自らの頭や顔に触れることで安心感をもたらすのだという。

 モリスはまた、世界的なベストセラーとなった『マンウォッチング(MANWATCHING)』(1977年、邦訳1980年小学館)で、「なぐさめが必要なとき、人は自分にふれる」と、「自己接触行動」を説明している。

 サッカー選手がシュートを外して大きく天を仰ぎ、頭を抱え、顔を覆うのは、「失敗した」ことから目をそらし、自己へのダメージを抑制しようという行為に違いない。現実からの逃避が「ストライカーのメンタリティー」と言えるだろうか。

 そして、それが「失敗したスポーツ選手」一般に見られる行動ではなく、サッカー特有のものだとしたら、サッカーのコーチたちはどう考えるだろうか。

「ボールは丸い、試合は90分間」と言ったのは、1954年に西ドイツをワールドカップ初優勝に導いた名将ゼップ・ヘルベルガーである。「主審が終了の笛を吹くまで、何が起こるか分からない」という戒めだ。現代のストライカーたちだけが、試合中に一瞬でも「現実」から逃避し、安心感を得ようしているのは、不思議でならない。

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