ロッテ前コーチ・大塚明氏、プロ7年目に1軍定着 ようやく確立した地位も、安泰ではなかった。今季にチーフ打撃コーチ兼走塁コ…

ロッテ前コーチ・大塚明氏、プロ7年目に1軍定着

 ようやく確立した地位も、安泰ではなかった。今季にチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた前ロッテの大塚明氏は今オフ、32年間所属したチームを退団。入団後初めて球界を離れ、来季は外からプロ野球を見守る。ロッテ一筋だったプロ野球人生。1軍に定着したのは107試合に出場した1999年、プロ7年目のことだった。

 入団時は遊撃手だったが、プロ4年目の1997年に外野手へ転向。守備の不安が軽減されたことが契機となり、飛躍の足がかりをつかんだ。同年に1軍デビューしてプロ初安打や本塁打も記録。ただ、28試合出場にとどまり、翌1998年は怪我もあって5試合の出場に終わった。

 1999年は外野手へのコンバートを後押ししてくれた山本功児2軍監督が1軍監督に昇格。大塚氏を攻守に評価する山本監督に買われ、107試合出場と大きくジャンプアップした。背番号も65から23に変更。背番号23は「たまたま」自身と同様に入団後に投手から野手に転向して活躍した佐藤兼伊知と同じだった。

 1軍での地位を確立したかのように思われたが、手応えは感じていなかった。「まだまだ全然、確立できていなかった。僕の代わりなんていくらでもいる状況でした」。主力だった大村巌の守備固めなどでの起用が多く「そういう枠で使っていただいて、その中で打撃が良くなっていけばいいという目論見だったんだと思います」と首脳陣の考えを推測した

CSがなく早めに消化試合突入…若手に増えた出場機会

 開幕3戦目のダイエー戦に「9番・左翼」で出場したが、安定して先発で出ていたわけではない。出場した107試合中、スタメン出場は半分以下の52試合。同年は通算246打席という数字が守備固めでの起用の多さを物語っている。打撃成績は打率.220、2本塁打、21打点と1軍定着のアピールまでは至っていない。

「代わりの選手はいっぱいいる立場でした」。そんな中で多くのチャンスを与えてもらったのにはチームの状況も関係していたと分析する。「僕らがしっかりしていなかったからBクラスが多かった。早めに消化試合になることが多かったので、シーズン後半にいろいろと任せてもらうシーンが増えていった感じでした」。

 チームは1995年に2位となって以降は、9年連続Bクラスと低迷期が続いていた。1999年も4位。現在のようにクライマックスシリーズ(CS)がない時代で、優勝争いから脱落した時点で将来を見据えて若手を積極的に起用するケースが多かったのである。

 実際にスタメン52試合中、25試合は9月以降。同時期には3番でも13試合起用された。「自力で出たんじゃなく、出させてもらったんです。世代交代の狭間の時期にあったから、使ってくれたんですよ。1か月ぐらい良かった時期はあったけど、これというものをつかんでいない人間からすると、スルスルッと逃げていく」。自分の状態に物足りなさを自覚していた25歳の秋。試行錯誤は、その後も続いた。(尾辻剛 / Go Otsuji)