大山さんは難病を宣告された際も動揺はなかったという「まさか僕が?」猪木さんと同じ病を宣告された日 総合格闘技最盛期に、ミ…

大山さんは難病を宣告された際も動揺はなかったという

「まさか僕が?」猪木さんと同じ病を宣告された日

 総合格闘技最盛期に、ミルコ・クロコップやピーター・アーツといった名だたる強敵と死闘を繰り広げてきた元総合格闘家の大山峻護さん。現役時代は、激闘の末に網膜剥離や骨折といった選手生命を脅かすような大怪我を何度も負いながら、その度にリングに舞い戻ってきた不屈の格闘家だ。

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 引退後は自身が発案した格闘技とフィットネスを融合した「ファイトネス」プログラムの普及や、さまざまな社会貢献活動に勤しんでいる大山さんが現在戦っている相手が、厚生労働省指定の難病「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」。奇しくも、大山さんが憧れたアントニオ猪木さんが晩年に戦った病と同じ系統の疾患である。

 51歳という若さで難病を宣告されたとは思えないほど、いつもと変わらない穏やかな表情、ポジティブなオーラを放つ大山さん。「難病になったこともギフト」と向き合う、今の心情を語ってもらった。

――まずは、大山さんが診断された「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」という病気について教えていただけますか。

 アミロイドーシスは進行性の病気で、アミロイドという異常なたんぱく質が全身の臓器に沈着して機能障害を引き起こします。手足の痺れ、動悸、不整脈、そして心不全など、さまざまな症状が現れます。

――最初に異変を感じたのはいつ頃ですか?

 3年ほど前から左手に痺れがあり、だんだん強くなって夜も眠れないほどになっていました。やがて右手にも痺れが出て、次は不整脈。心房細動だと言われて手術を受けたのですが、症状は改善せず…。その時、担当の先生が僕の痺れを覚えていてくださって、「難病の可能性がある」と専門医を紹介してくれました。検査を受けたところ、見事に一致して。2025年の春のことでした。

――診断名を聞いた時、率直にどのような心境でしたか?

 アントニオ猪木さんが亡くなられた時に記事を読んでいたので、その病名は記憶にあったんです。「不思議な名前だな」と印象に残っていました。まさかその病名を自分が告げられるなんて夢にも思っていなかったので、まるでドラマの中にいるような不思議な感覚でしたね。「まさか僕が?」という驚きが大きかったです。

――ショックで落ち込んだりはしなかったのでしょうか。

 それが、不思議と動じなかったんです。今まで格闘技で散々つらい思いをして、それを乗り越えてきた成功体験があったので、「大山さん難病です」と言われた時も心が動じなかったんだと思います。「おもしろい人生だな」っていうのが、正直な感想でした。

――奇しくも、猪木さんと同じ系統の病気です。

 猪木さんのことが好きすぎて、病気まで一緒になっちゃった、という感覚です(笑)。猪木さんは最後まで猪木さんでしたよね。病気のことを公表して、ギブアップせずに闘う姿を見せてくれた。僕もこれからどうなるかわからないけど、僕らしくおもしろがってみようかなと思っています。

親友の死が教えてくれた「人生は期間限定」

――難病と宣告された後、生活や心境に変化はありましたか?

 まず難病申請をして、認められると進行を遅らせる薬が使えるようになります。申請に数か月かかり、その間も進行していくのですが…。ただ、悲観しても良くならない。だからこそ前向きに乗り越えようと思っています。それに、薬だけで年間何千万円もかかるので、申請することによって医療助成を受けられるのは本当にありがたいですね。

――病気をきっかけに、人生観は変わりましたか?

 人生って“期間限定”だと、より強く感じました。僕の年齢だと亡くなっていく仲間もいるので、だからこそ、この限られた時間を楽しみ尽くさないともったいない。僕の同級生で小斎武志という、心も体もとても強い柔道家がいました。強さの象徴のような男でしたが、32歳の時に病気で亡くなってしまいました。あんなに強くて、生命力の権化のような存在が突然亡くなってしまうんだということが僕の中では衝撃でした。「いつか死ぬ」というのは、悪い意味だけじゃないと思うんですよね。だからこそ、一生懸命に、丁寧に生きる。周りの人を大切に、感謝する。幸せを感じる。それが生きていく豊かさじゃないかなって。

――大山さんの現役時代は、まさに怪我との戦いでした。失明の危険がある網膜剥離を2度も経験されていますよね。

 PRIDE時代、ヴァリッジ・イズマイウと対戦直後に右目の網膜剥離を発症しました。戦うことで勇気や感動を与えたいと思っていたのに、リングに立つことができなくなって、落ち込みましたね。約1年のリハビリを経て、復帰戦でヘンゾ・グレイシーと対戦しました。支えてくれた人への恩返しがしたくて、勝ちにこだわるあまり消極的な試合をしてしまい、猛烈なバッシングを受けました。あの時は怪我の痛み以上に、精神的に苦しかったですね。その後も骨折や、左目の網膜剥離も経験しました。

――それでもリングに立ち続け、2005年の大晦日にはピーター・アーツ選手に勝利しました。

 当時、ピーター・アーツと対戦予定だった選手が直前で怪我をしてしまい、僕が代わりに出場することになりました。ピーター・アーツに勝てば、過去のつらい経験をすべてひっくり返せる。そう信じて準備し、結果1ラウンド30秒で一本勝ちできました。ずっと思い描いていた姿を実現できて、本当に興奮しましたね。人生はドラマです。

――現役時代の経験、痛みや苦しみが、今の心の支えになっていますか?

 本当にそうです。若い頃は劣等感をエネルギーにもがいていましたが、今思えば、あのつらい経験のすべてが僕の財産であり、「心の筋肉」になっていたんです。その筋肉があるからこそ、今の難病も受け止められているのだと思います。過去の自分が生きてきた意味や、これからの生き方を改めて見つめ直すことができたことは、難病になったからこそのギフトなんだと思っています。

 壮絶な経験を糧に難病を受け入れる大山さん。第2回では、現役引退後も続くリハビリの経験や、難病を通して見つけた新しい挑戦、見つめ直した哲学について語ってもらう。


【著者プロフィール】

大山峻護(おおやま・しゅんご)
1974年4月11日生。5歳で柔道を始め、全日本学生体重別選手権準優勝、世界学生選手権出場、全日本実業団個人選手権優勝という実績を持つ。2001年、プロの総合格闘家としてデビュー。同年、PRIDEに、2004年にはK-1・HERO‘Sにも参戦。2012年ロードFC初代ミドル級王座獲得。引退後は、その経験から得た学びをもとに、講演やメディア出演、表現活動などフィールドを広げ、人と人をつなぐ活動にも力を注いでいる。2025年12月に個展「大山峻護の世界」を開催。著書に『ご縁つなぎの法則』(株式会社ヴォイス)。

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