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【短期連載】証言・棚橋弘至〜上村優也インタビュー(後編)
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新日本プロレスの顔として黄金期を築き上げ、2026年1月4日の東京ドームでリングに別れを告げる棚橋弘至。現役引退後は社長業に専念し、"リングから経営へ"戦場を移す。一方で、少年時代にノートへ描いた理想像をいま現実へと近づけている男がいる。上村優也──棚橋の背中を見て育ち、闘い、そして「正統派のど真ん中」を継ぐ覚悟を口にした若きレスラーが語る、次世代のエース像とは。
理想のプロレスについて語る上村優也
photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)
【10年でどれだけのものを残せるか?】
── 棚橋選手は現役引退後、新日本プロレスの社長業に専念されるわけですけど。
上村 僕自身がもしプロレスを引退する時が来たら、そのあとはプロレスとは関わらないんじゃないかと思うんです。まず現役をいつまでやれるのかな? プロレスをやっているとどうしても身体にダメージがあるので長くはできないんじゃないかなと思いつつ、60歳とかになってもやっているのかもしれない。
でも僕は、「少しでも長くプロレスをやりたい」という気持ちよりも「ここから10年でどれだけのものを残せるか?」っていう意識のほうが強くて、それを心がけていますね。どれだけ作品を残せて、どれくらいプロレスラーとして刻めるかっていう。最近はそういうことを考えていますね。
── そうやってプロレスを追求しようと思ったら、短いキャリアではやり終えられないんじゃないですか。
上村 そうですね。続けているうちにどんどん深みが出てくるというか。極論ですけど、ロックアップ、ヘッドロック、タックルとかボディスラム、それだけでめちゃくちゃ面白い試合ができれば、それに越したことはないと思っているんですよ。
たったそれだけの技で、いかにお客さんを惹きつけることができるか。僕は人を惹きつける試合、見たあとに余韻の残るような感動する試合というのを心がけていて、武藤(敬司)さんが自身の引退試合でやった蝶野(正洋)さんとのロックアップ、あれだけで感動するじゃないですか。
── あの瞬間、東京ドームに大歓声があがりましたよね。
上村 それはあのふたりだからっていうのはあるけど、ロックアップだけでもいい作品がつくれる。僕があれをやれと言われても、まだできないわけですけど。
【新日本のど真ん中を走るのは自分】
── 今年のG1で、上村さんはついに棚橋超えを果たしました。
上村 そうですね。
── そういえば3年前に棚橋選手とシングルでやって負けたあと、「おまえ、エースになれるよ」みたいなことを言われていましたよね。
上村 これは本当に難しいというか、あらためて「エースっていうのは何なんですかね?」って思って。やっぱり見ている人が認めていくものかな? でも棚橋さんって、「オレがエースです」って、自ら名乗っていたじゃないですか。棚橋さんがエースになる前、プロレス界で「エース」っていう呼び方はあったんですかね?
── それまでは「メインイベンター」とか「トップ」と言っていましたよね。
上村 やっぱり。棚橋さんが野球をやっていた経験から、「エースという呼び方は自分で取り入れたんだ」って、いつも言っていて。
── 「100年にひとりの逸材」も、棚橋選手の自称から始まって定着したんですよね。
上村 2010年代、棚橋さんがベビーフェイスのチャンピオンとして君臨していて、プロレスを盛り上げて、「自分がエースです」と言って、ファンの人も「棚橋がエースだ」ってなっていったわけですよね。
その棚橋さんも年齢を重ね、同時に若い選手たちが台頭してきたことで、「次に棚橋弘至のポジションに就くのは誰か?」という見方が、ファンの間にはあるのかなと思います。ただ棚橋さん以降、本当に"純粋なベビーフェイス"と呼べる存在がいない気がするんですよね。
── 純度100%のベビーフェイスはいないかもしれないですね。
上村 やっぱり今は世間的にもそうですけど、ちょっとワルというか、映画の『JOKER』じゃないけど、ダークヒーローが支持を得る時代というか。それも多様性だから、必ずしも正統派がエースではないという時代で、プロレス界もそうなっている。今の新日本を見ても、ヒールじゃないけど、ベビーフェイスでもないみたいな選手が多いじゃないですか。
── そうですね。
上村 でも「振り切ったベビーフェイス」って、絶対に必要だと僕は思うんですよ。そういう存在が棚橋さん以降は新日本プロレスにいないから、僕にとってはチャンスです。
── 自分以外にそれを担える選手もいないだろうと。
上村 いないです。ただ、棚橋さんはエースを自称して、ファンも認めるエースになりましたけど、僕は「エース」という呼び名はちょっと違うと思っているんですけど......でも新日本プロレスの本隊として、新日本プロレスの正統派、ど真ん中、もしそれを「エース」と言うのであれば、僕はそのエースになる。
── 棚橋弘至とはまた違ったタイプのエースに、ということですね。
上村 そうですね。呼び名が違うのかもしれないですけど、新日本プロレスの本隊の正統、ど真ん中を突っ走るのは僕だと思っています。
【ノートに描いた理想を追いかけて】
── 人それぞれ、最初にいつ頃のプロレスを見てハマったのかで、プロレス観って違いますよね。上村さんはやっぱり棚橋選手がエースになった時代の新日本を見てきたから、自身もそこを目指すんでしょうね。
上村 それは知らず知らずのうちに潜在意識としてあるのかもしれないですね。でもファンの頃は、棚橋さんのことがめちゃくちゃ好きというわけではなかったんですよ。最初、僕はやっぱり真壁(刀義)さんがかっこいいなって思ってプロレスを見るようになって、途中からCHAOSでヒールだった頃の内藤(哲也)さんがすごくプロレスを楽しそうにしていたので「なんか面白そうだな」と。内藤さんは2010年にメキシコから凱旋帰国して、すぐにNEW JAPAN CUPで棚橋さんに勝ったんですよね。
── ファンだった時代はヒールも好きだったと。
上村 そうしてプロレスを見ているうちに自分もプロレスラーになりたいと思って、そこからはとくに誰が好きとかはなく、「この選手とだったらこう闘おう」とか、そんなことをずっとイメージしながら見ていました。
── その頃の想像上の自分は、今のような感じなんですか?
上村 そうです。当時はノートとかに書いたりしていましたね。「コスチュームはこういうのかな?」とか。
── その頃ノートに書いていた感じのコスチュームをいま着ているわけですか。
上村 そうですね。
── すごいですね。自分が少年時代に書いていた理想のプロレスラー像を実現させているんですね。
上村 いや、まだ叶えてはいないです。ノートにはまず筋肉を描いていって、コスチュームを描いて、「髪型はこんな感じだろう」って描いていって、最後に腰にIWGPのベルトを描いていたんですけど、そのベルトはまだないですから。これでベルトを巻いたら、あの時に描いていたような自分にほぼなれるかな。
【棚橋弘至を独占したかった】
── そのベルト姿は、棚橋さんの現役中に間に合っていたはずですよね?
上村 僕が思い描いていたのは、G1を優勝して、IWGP世界ヘビー級を獲って、棚橋弘至の引退試合はIWGP世界ヘビー級選手権で、「挑戦者・棚橋弘至」っていうシーン。何回もドームのメインを張ったあの棚橋弘至の挑戦を、僕が勝って退けるということを思い描いていました。でも、実際はそうはうまくはいかなかった......。
── やっぱり棚橋弘至の最後は、自分が見届けたかった。
上村 今、この時期にこういうことを言うと失礼なんですけど、「ワールドタッグリーグ」も、せっかく同じ本隊だし、最後だから棚橋さんと組んで出たいなと思っていて。今年はシングルで2回闘いましたけど、まだタッグを組んでいないので、昔、棚橋さんが「藤波辰爾を独占します」と言ったように、僕も引退まで棚橋弘至を独占してやろうと思っていたんですよね。もう何か方法はないかな? ないか、ないな......。
── 引退したあとの棚橋社長に期待することはありますか?
上村 これからは会社側に近くなっていくと思うんですけど、それでもやっぱり選手のほうに、若手からベテランまでずっと目を配っていてほしいです。リング上は僕らがいるので、安心して社長として力を最大限に発揮してほしいです!
上村優也(うえむら・ゆうや)/1994年11月18日生まれ。愛媛県出身。今治工業高でレスリングをはじめ、福岡大学時代には西日本学生レスリング選手権のグレコローマンスタイル71kg級で優勝。大学卒業後の2017年4月に新日本プロレスに入門し、翌年4月にデビュー。21年、新日本LA道場へ武者修行。23年、Just5Guysのメンバーとして凱旋帰国し、24年にG1クライマックスに初出場。得意技は閂(かんぬき)スープレックス