2025年、原英莉花は国内女子ツアーの年間シードを放棄して米女子下部エプソンツアーを主戦場に選んだ。8月「ワイルドホー…

国内シードを放棄して米下部エプソンツアーに臨んだ

2025年、原英莉花は国内女子ツアーの年間シードを放棄して米女子下部エプソンツアーを主戦場に選んだ。8月「ワイルドホースレディース」で米国初優勝を飾り、年間ポイントランキング5位で来季の米女子ツアー(LPGA)への昇格を決めた。通算5勝を挙げ、慣れ親しんできた日本ツアーから舵を切り、あえて新天地を選んだ真意を単独インタビューで語った。<全2回の前編>(取材・構成/石井操)

獲得賞金額はキャリアワースト

覚悟を固めて海を渡った2025年

今季日本ツアー年間女王の佐久間朱莉は、1年で2億2728万5959円を稼いだ。対して、米下部エプソンツアーで最も稼いだメラニー・グリーンの賞金額は約2905万円(18万6986ドル)。原が獲得した約2272万円(14万6582ドル)は、25試合に出たプロ1年目の2937万9165円を下回り、キャリアで最も少なかった。

「日本でなくても応援してくださるスポンサーさんがいたから挑戦できた。やっぱりお金はかかる。いろいろと難しい部分はありました」。2月から10月のシーズンで、一時帰国したのは試合がなかった春先の1カ月間だけ。国内での生活を捨て、海を渡るのは「大変だった」と明かす。

金銭面の不安を抱えながらも、米国での生活は充実していた。「すごく楽しいなって。日本でやっているときとは違う目標が、次から次へと生まれてくる。その瞬間が楽しくて。米国に行くと決めてよかった。下部だけど、私の中では大きな一歩だった」。

ギャラリーがほとんどいない環境に気持ちが萎えることもなく、昇格を目指した。目標は出場優先度がより高いカテゴリのポイントランクトップ10。11位以下であれば、「予選会に臨むつもりでした」と決めていた。出場18試合で予選落ちは1試合。8月の初優勝を含め9回のトップ10入りを果たし、平均ストロークは全体1位の「69.91」をマークした。

米下部ツアーで変えたい自分 原英莉花「“それでいいじゃん”はイヤだった」

原英莉花が戦うエプソンツアーの厳しさ 池に向けて軽量ボールを打つ練習場も

プロ転向後に芽生えた海外志向

海外志向が生まれたのはプロになってから

そもそもは、あまり海外志向は強くなかったという。勝みなみ畑岡奈紗ら同世代が学生時代から活躍するなか、ジュニア時代の目標は「プロテストでの合格」に過ぎなかった。「下手だったし、高校を卒業してからジャンボ (尾崎将司) さんのところでずっと居座って練習させてもらって。プロになって、やっと試合に出られるぐらいになって…。海外でプレーしたいと気持ちが芽生えたのも、その後だった」

日本ツアー初優勝を挙げた2019年、「ISPS HANDA オーストラリア女子」で米女子ツアーデビューを果たした。翌20年大会にも出場。海を渡る機会が少しずつ増え、「ちょっとずつ、自分が経験したことのない芝や広いコースでプレーするのが楽しい」と思うようになった。

何度も打ちのめされた大舞台

メジャーで滅多打ちにされた

世界進出の意欲を強めたのはメジャーでの経験も大きかった。初挑戦は2020年「全米女子オープン」。男子メジャー「全米オープン」や欧米対抗戦「ライダーカップ」も行われたテキサス州のサイプレスクリーク、ジャックラビットコースの2コースを相手に、初日から「83」、「78」の大たたきだった。19オーバー152位での予選落ちに「滅多打ちにされた」。

同年は「日本女子オープン」「リコーカップ」と2つの国内メジャータイトルを手にした。一方、翌21年は「ANAインスピレーション」「AIG女子オープン」と2度挑戦した海外で決勝に進めず苦汁をなめた。

日本で活躍できても、世界最高峰の舞台の壁は分厚く、高かった。度重なる悔しさをぐっと飲み込み、クラブを握り続けた。

涙の初優勝 “黄金世代”原英莉花「自分には自分のルートがある」

原英莉花の挫折と飛躍 「だから、みんなよりも一歩遅い」

原動力の源は「自分」

結局は自分の人生。「自分には自分のルートがある」

秘める思いはあっても、青写真は描かないことにしている。“何か”を手にしたいより、「何に負けたくないのかは言葉にできないけれど、自分に負けたくない」が原動力という。「試合は自分が練習してきたことを試す場。難しい舞台とか、滅多打ちにされたところでやり返したい」。もう一度立ちたいメジャーの舞台は、21年「AIG女子オープン(全英女子)」を最後に遠ざかっている。米ツアーでは年間ポイントレース上位者にも出場資格が付与されるため、チャンスはある。

大半を米国で過ごした一年は、結果以外にも得たものがあった。転戦中はキャディ兼シェフを務めるマネジャーが生活面も支えてくれた。「日本では外食が多かったけれど、米国では(マネジャーが)料理を作ってくれた。日本にいた時は『栄養補給をしないといけない』って変に食べて体重が変わっちゃって、秋口に“キレが悪いな”と思うこともあった。今年は変動もなかったし、栄養面でもすごく充実した一年を過ごせたんです」

「もう無理」 原英莉花は優勝前夜に歯痛で病院に駆け込んでいた

自分の気持ちに正直に生きた一年

ゴルフで味わった悔しさはゴルフでやり返す

「誰に何を言われても別にいいけれど、諦めて自分の信念を曲げるようなことはしたくない。私は自分の気持ちが動くような、思い入れあるところで『頑張りたい』となる。ジュニア時代だとお世話になっていたミズノさんの試合がそうだったように。メジャーはそういう大会の一つ」。切り開いたルートの先には、乗り越えたい舞台がある。

撮影協力/グレートアイランド倶楽部

海を渡って感じた「戦うのって楽しい」 米女子下部に主戦場を移した原英莉花