【次戦に向けたLAキャンプの仕上げ】 24日前におろした中谷潤人の白いリングシューズは、右だけが黒く変色していた。足元を…

【次戦に向けたLAキャンプの仕上げ】

 24日前におろした中谷潤人の白いリングシューズは、右だけが黒く変色していた。足元を見つめながら、4階級制覇を目指すサウスポーは微笑んだ。

「踏まれるからです」



右だけが変色している中谷のシューズ

 米国、西部時間の12月8日は、今月27日にサウジアラビアで組まれたセバスチャン・エルナンデス戦に向けた、キャンプ最終日であった。午前9時57分、白いヘッドギアと同色のノーファールカップを身に着けた中谷は、LAのダウンタウンから南東に16kmの地、サウスゲートに建てられたノックアウツ・ボクシングジムのタラップを上がり、青コーナー側のロープを潜る。

 対角の赤コーナーからは、WBAスーパーバンタム級2位にランクされるラモン・カルデナスがリングインした。この1カ月間で、最も多くスパーリングを重ね、中谷の前足を踏んだ男がカルデナスだ。8ラウンドでKO負けしたものの、今年5月に"モンスター"井上尚弥からダウンを奪ったシーンは記憶に新しい。

「ナカタニのおかげで、最高のトレーニングになった。新しいトレーナー、マニー・ロブレスの教えも素晴らしい。12月18日(に行なわれるカルデナスの再起戦)は俺も必ず勝つ。そして、チャンスがあるなら5月に行なわれるイノウエvs.ナカタニの勝者に挑戦したい。まぁ、フェザーに上げることも考えているけれどね......。今はとにかくマニーの指示に従い、自分のボクシングに幅を広げているところさ」



合計99ラウンドのスパーリングを行なった中谷(右)とカルデナス

 直接指導したわけではないが、LAに住み、ボクシングコーチを生業とするロブレスは、12年前から中谷の成長を見守ってきた。彼も話した。

「ジュントの成長には、目を見張らされる。カルデナスの次の相手がサウスポーと知って、即、ジュントの顔が思い浮かんだ。彼以上のサウスポーは、今のボクシング界に見当たらない。実にスマートでボクシングIQが高い。もう、リスペクトしかない。このキャンプではポジションを変えて懐に入ることをカルデナスの課題とした。

『躱(かわ)されても、捌(さば)かれても、とにかく諦めずに前進しろ。ジュントのパンチをブロックして、潜れ。右をうまく使っていけ』とアドバイスした。彼はジュントから、多くを学んだね。パンチが当たらなくても耐え、ガードを高くして手を出し続ける勉強をした。もともとハートのあるファイターだが、より忍耐を覚えたよ」

【中谷にとってカルデナスは「切磋琢磨できる関係」】

 テキサス州サンアントニオ出身のカルデナスは、幼い頃に両親が離婚。メキシコからアメリカに渡ってきた建設労働者の父に育てられた。プロサッカー選手を夢見ていたが、3つ上の兄の影響から12歳でボクシンググローブを握る。だが、アマチュアのリングに上がり始めた頃は負けが先行し、自分がこの競技に向いているのかと疑いを持った。高校時代はストライカーとして鳴らし、サッカーがなかなか諦めきれなかった。

 ボクシングは19歳でプロデビュー。若手時代は8度もファイトマネーゼロを経験している。2カ月のみだが、宅配サービスのドライバーとして糊口(ここう)をしのいだ時期もある。ただ、井上尚弥との試合では、これまでにないファイトマネーが保証された。本人は具体的な数字をはぐらかしたが、アメリカでは「日本円で1億を超えた」と囁かれている。

 スパーリング開始のゴングが鳴る直前、カルデナスは中谷に向かって日本式のお辞儀をした。そんなところに、苦労人ならではのコミュニケーション力を感じる。カルデナスを目にした中谷も微笑み、同じ仕草をした。

 11月10日からの4週間で、中谷とカルデナスは90ラウンドのスパーリングをこなしていた。この日の練習前、中谷は述べた。

「先週あたりから、カルデナスは体もパンチもキレてきて、タイミングを変えて打ってくるようになりました。特に右ストレートに工夫が見られます。反応のいい選手ですね。足を使う日もありますし、常にプレッシャーをかけてくるので、焦らしながらリング中央でポジションを取る作業がなかなか難しいです。

 それと、カルデナスって、僕がやったことをマネするんですよ。例えば、ジャブを顔面に、ストレートをボディにヒットさせると、次の瞬間同じことをトライしてきます。僕がスイッチしたら、彼もやるし、ジャンピングしたら、同じようにというふうに。一瞬一瞬で学ぶ能力が高い選手です。いい練習になっています。ユーモアがあって人間的にも親しみやすく、切磋琢磨できる関係です」

【合計99ラウンドのスパーリングの手応え】

 中谷とカルデナスの最後のスパーリングが始まった。通常、ファーストラウンドの中谷は相手の出方をうかがい、パートナーが嫌がる動きを探っていく。しかし、この日はアグレッシブに手を出した。上にジャブ、下にストレートを放ち、間髪を入れずにバックステップで間合いをとると、ワンツーのダブルを顔面に見舞う。



スパーリング中の中谷(右)とカルデナス

 身長、リーチで劣るカルデナスは、接近しなければ自分のパンチが届かない。中谷の前足を踏み、クロスレンジで打ち合おうとするのだが、フットワークでいなされてしまう。コーナーのロブレスからは「フェイント! フェイント!!」と声が飛ぶ。

 カルデナスは再三、ボディへのストレートを喰らった。それでも、最も得意とする左フックをフェイントに、右ストレート、という攻撃や、細かい動きを増やして距離を詰める場面があった。躱されたものの、中谷のジャブに合わせて左フックを放ったシーンも狙いはよかった。左フック、右ストレート2回の連打にも、創意が見られた。

 WBAの指名挑戦権を持つ1位の中谷と2位のカルデナスは、9ラウンドのスパーリングを終えると笑顔で健闘を讃え合った。

 中谷はカルデナスとの計99ラウンドを振り返った。

「タイミングの取り方が巧みで、目がよく、状況に応じた適応力が高いです。やるべきことを瞬時にピックアップできる選手ですね。ガードも高いし、パンチを受けるだけじゃなく、しっかり見て、どう闘うかを考えています。お互いに、とことん駆け引きをし合うスパーリングとなりました。ひと筋縄ではいかない相手で、充実したキャンプでした。

 カルデナスがさまざまな仕掛けをしてきましたから、自分の距離のキープ力が強化されたように感じます。成長に向けて積み重ねられた、やりきったぞという気持ちです」



充実した練習を行なった中谷(左)とカルデナス

 中谷を15歳の頃から指導するルディ・エルナンデスも言った。

「いいキャンプだった。右手、左手の使い方、前後の動き、ロープ際、そして相手がジュントの頭を抱えたり、肘打ちをしたり、ローブローを放ってきたりといった反則への対応など、すべてのレベルアップが狙いだった。カルデナスは非常にいいパートナーだったね。ほかにも背の高い選手、スイッチする選手などとのスパーリングを組んだ。本番のリングでどんな問題が生じても、動じずに我々の闘いをするためだ」

【井上尚弥戦に向け、「チャレンジャーのほうが成長できる」】

 スパーリング終了後、中谷がサンドバッグで自分を追い込む真横で、カルデナスも次戦で白星を挙げられるようにと、同じように汗を流す。



サンドバッグを叩く中谷。後ろはトレーナーのルディ

 中谷は語った。

「いろんな国籍の人が、高い志を持ってこのジムで練習している。それぞれの思いが詰まった空間ならではの活気があります。向上心を持っている姿を目にすることで、僕自身も刺激を受けます。『本当にいい場所だな』と毎回思いますね。

 世界の舞台で闘う選手が集まるというだけでなく、誰もが明確な目的を持っている。ハートのある選手たちと同じところにいられるよさがあります」

 アメリカのリングはそれほど明確に定めていないが、日本での試合はチャンピオンが赤コーナーに、チャレンジャーは青コーナーに割り振られる。タイトルマッチでない場合も、ランキング上位者が赤、下位は青が基本だ。12月27日をクリアした中谷は2026年5月、井上尚弥戦で挑戦者として青コーナーのタラップを上がる。ノックアウツ・ボクシングジムでと同じように。

「僕の場合は、チャレンジャーのほうが成長できるように感じます。自分を鼓舞できる環境ですから。己に対する挑戦という意味でも、追う立場のほうがいいですね。常に自分自身に挑んできた人生ですし、何者かになれるよう目標を追いかけてきました。世界チャンピオンになって、赤コーナーで闘っていても、『まだまだ、ここがゴールじゃない。もっと上を』と思ってきました。

 27日は、スーパーバンタム級初戦なので、可能性とより広い展望を感じてもらえるような、見る人を興奮させられるような試合にしたいです」

 中谷潤人が目指す嶺とは、複数の世界タイトルをコレクションすることでも、井上尚弥を倒すことでもなく、日々、自己を超えることだ。その闘いが続いていく。