大阪府立春日丘高校を初の甲子園出場に導いた神前俊彦氏(69)が岐阜第一の野球部監督に就任する。10日、同校から発表され…
大阪府立春日丘高校を初の甲子園出場に導いた神前俊彦氏(69)が岐阜第一の野球部監督に就任する。10日、同校から発表されたもので、着任は来年1月。京都共栄学園監督、独立リーグの宮崎サンシャインズコーチを経て再び高校野球の舞台へ戻ってきた。「野球人生に定年なし」をモットーとする“老将”に新天地に臨む心境を聞いた。
岐阜第一の田所孝二監督から受けた1本の電話が、神前氏の指導者人生を再び動かすことになった。
「“まだ監督をされるお気持ちはありますか”と聞かれたんで、その時は“どこか紹介してくれるの?”ぐらいのやりとりだった」
その後、学校側が次期監督の対象となる複数の候補者の中から神前氏を選択。前任者からバトンを引き継ぐというまさかの展開が待っていた。
振り返れば、意向確認のための打診電話だったのだ。田所監督が築いてきた野球と神前氏の指導理念には、通じ合うものがあるというのが推薦理由だった。
春日丘の監督として1982年の夏に甲子園初出場を果たした神前氏は翌年、自ら「やればできるぞ甲子園」を著した。会社勤めをしながら監督不在のチームを引き受けた経緯。授業の邪魔になるという理由でマウンドを削られた当時の境遇など、厳しく辛い道のりを振り返ったものだった。
「あの本を読んで共感してくれていたみたい。旧知の間柄とはいえ、縁に恵まれたからこそ、こういう機会を与えられたのだと思う」
神前氏は人と人をつなぐ縁を大事にする。宮崎サンシャインズを離れた昨年秋、高校野球との新たな出会いを求めて全国行脚に出た。縁作りのためだった。
最終目的は再び指導者として高校球界に戻ること。「グラウンドに立つためには努力をしないとチャンスすらない」と思ったからだった。
沖縄に行き、北海道へ渡り、その足で東北から南下した。
「ちょっと近くまで来たので寄ってみました」
学校の門をたたいて関係者に挨拶。通りすがりの旅人のように、これを繰り返した。
「私には高嶋仁さん(智弁和歌山元監督)や渡辺元智さん(横浜元監督)のような実績も顔もないので知らない人間だろうけど、そのうちに気の合う仲間ができて“練習に出てください”と言われるようになったんですよ」
沖縄の糸満、北海道の滝川西や酪農学園大付属とわの森三愛で依頼された外部コーチは、こういう“縁”につながれたものだった。
神前氏は完全フリーとなったあと、自分自身の気持ちを「あいうえお」に表し、一年間の行動指針にした。
あ…会いたい人に会おう。
い…行きたいところへ行こう。
う…うまいもんを食べよう。
え…遠慮しない。
お…オモロイことをしよう。
思い立ったらすぐ行動に移す。過去に頓挫していた四国八十八カ所巡礼も再開した。
「もう一度、高校野球の世界へ戻りたいと願掛けをしながら残りの全てを回り終えた。私がこの一年でやり遂げたのは高校野球の全国行脚と、お遍路としてのけちがん(結願)ですわ」
夢が叶ったということなのだろう。実りのある一年だった。
「ずっと一人旅やったから今までの人生を回想していた。失うものがあれば得るものもある。失ってはまた得る。人間万事塞翁が馬。これをかみしめる一年やったね」
県下には県岐阜商などの強豪校が存在する。岐阜第一で目指す野球とは何か。
「正しいと思える野球をやるだけ。勝ち負けは150キロのボールを投げるか投げないかで決まるものでもない。ちょっとしたこと。失策や四球などの自滅が敗因になることが大半。ミスのしないチーム、タフなチーム作りが大事」
前身の岐阜短大付時代を含め春4回、夏2回甲子園出場を経験しているが、岐阜第一としては2001年の春以来、聖地から遠ざかっている。
「子供たちに出会ってよかったと思いたいし、子供たちにも私と出会ってよかったと思ってもらいたい。そのうえで結果がついて来ないと。夢の続きを一緒に見たい」
責任は重い。
「選手は百人百様。それぞれにカルテがあるようなもの。高校野球という一つのトリセツでは片づけられない。所作や表情からの観察力も必要になると思う」
来年で70歳になる。エネルギーの源は?
「(近大付などで指導した)豊田義夫さんは82歳まで監督をされていた。そういう人を目指しているわけではないが、好きなことを好きなだけできるのは幸せなこと」
独立リーグから高校野球へと環境が大きく変わる。
「独立リーグの選手はNPBだけを見ている。だから“もういいんじゃないか”と肩をたたくこともある。言葉は悪いが成仏させてあげないといけない。高校野球は宝物を作るところ。最後の試合は1校を除いて負けて終わる。一生ものを背負っているのだから、こちらもそのつもりでやらないといけない」
高校野球と独立リーグを指導的立場で経験した人は少ない。だからこそ見えてくるものもある。古希を迎えて再出発。「死ぬまで現役」と語る神前氏の挑戦意欲は衰えることがない。(デイリースポーツ/宮田匡二)