帝京大・中野孝行監督インタビュー 前編 帝京大は前回の箱根駅伝で、チームの主力である1区の島田晃希(現4年)と2区の山中…
帝京大・中野孝行監督インタビュー 前編
帝京大は前回の箱根駅伝で、チームの主力である1区の島田晃希(現4年)と2区の山中博生(現・大阪ガス)がともに区間5位と機能して、2区終了時点で6位につけていた。最終的に順位を落としたものの、もうひとりの主力だった9区の小林大晟(現・三菱重工)が、シード権圏内(10位以内)に押し上げて10位を死守した。
そのメンバーから山中と小林を含めて4年生4人がいなくなり、戦力ダウンが懸念されたが、そんな予想に反して、今季は出雲駅伝で2区までを4位で走り、最終順位は8位。全日本大学駅伝も序盤は先頭集団で戦い、最後は6位だった。上位に食い込む姿は、「5強(青山学院大、駒澤大、國學院大、早稲田大、中央大)崩し」への期待も膨らむ状況になってきた。
中野孝行監督には、出雲、全日本での走りについて改めて分析してもらい、今年の帝京大はどんなチームなのかを聞いた(全2回/前編)。
全日本大学駅伝の2区で区間賞を獲得した楠岡由浩(3年)photo by SportsPressJP/AFLO)
【収穫の多かった出雲と全日本】
――今年は駅伝シーズンに入って勢いに乗っている感じがしますが、10月13日の出雲駅伝は、主力のふたりを1区と2区に置く攻めのレースでした。どういった狙いがありましたか?
中野 出雲駅伝の3区から6区では、駅伝を走ったことのない選手を試しました。最初からつまずくと怖いというのもありましたし、できるだけ初めての選手は上位で走らせたかったので、1区と2区には経験者の楠岡由浩(3年)と島田晃希(4年)を並べました。
3区の小林咲冴(2年)は順位を下げましたが、前にいた創価大のムチーニ君(2年)について「チャレンジして、いけるとこまでいけ」とハイペースに挑戦した結果だったので、よかったと思います。最終順位は8位でしたが、5区までは青山学院大の前に出ていたり、十分な走りでした。最終6区で青学大の黒田朝日君(4年)に抜かれましたが、彼に負けただけだと思っています。そう思えたのは今までのウチになかったところだ思います。
――スピード駅伝でしっかり戦えたというところも評価できますね。
中野 本来なら10月という時期に、(全日本、箱根よりも短い)あの距離にウチは合わせたくないし、合わせられたとも思っていないんです。ただ、9月28日の早稲田大学競技会の5kmトライアルでは、13 分45秒を出した4人を含めて、13分台が10人出ました。5kmなら突っ込んで走ってもダメージが少ないと思っていかせましたが、「スピード練習をしなくても、スタミナがついていれば思いきっていける。このぐらいは走れるんだ」というのを選手たちが気づけたのは、すごく自信になったと思います。
――そのあとの11月2日の全日本大学駅伝は、エース区間の2区に楠岡選手を置き、7区に島田選手、8区に浅川侑大(3年)選手と、長い距離を走れる選手を置いて勝負をかけました。6区終了時までは4位をキープして、最後は6位という結果でした。
中野 全日本では、箱根で1区区間5位だった島田を1区に置くという私の頑固な考えがありました。ところが主務に「主将の柴戸遼太(4年)がいいのでは」と言われて考え直し、実際に柴戸を1区で使いました。区間順位は悪かったけれど、1位に12秒差と2区の楠岡にとってはすごく走りやすい位置でつないでくれて、楠岡も一昨年佐藤圭汰君(駒澤大・4年)と名前が並ぶ区間タイ記録(31分01秒)で走ることができました。
去年も早大の山口智規君(4年)や、ウチの山中博生がチャレンジしても届かなかった記録に並んだというのは、底力がついたからだと思います。いい意味で欲深い選手だし、出雲の1区で負けた駒澤大の谷中晴君(2年)にも勝てたので、向上心や学習能力は高いのかなと思います。
――1年から箱根を走っている主将の柴戸選手の存在は、やはり大きいですか。
中野 柴戸は去年1年間ずっと"錆びていた"んです。3月に故障をして、4月の関東インカレには出られませんでした。それでも全日本の予選は彼がいないと困るので、無理に使ってまた故障して......。全日本も使わない予定でしたが、結局使った結果、順番を下げて箱根でも順番を下げてしまいました。
3年生の時は本当に辛い思いをさせてしまったので、今年はその錆落としをしなければいけないと思っていたんです。出雲は使わないつもりでしたが、練習はできているので全日本は中盤の要所である4区、5区あたりの起用も考えていました。ただ、前述のように1区を走ったことで、いい緊張感を持てるようになり、練習以上の強い刺激で錆もきれいに落ち始めた感じがします。彼の錆落としに関してはまだまだやろうと思っていますが、「主将が箱根でも使える」となったのはチームにエンジンをかける意味でも大きいと思います。
――7区の島田選手と8区の浅川侑大選手も堅実に走りましたね。
中野 7区の島田は青学大の黒田君に抜かれ、8区の浅川は早稲田大の工藤慎作君(3年)に抜かれましたが、ふたりとも帝京大記録でした。早大も真剣に戦っていたのがわかりましたし、駒澤大や國學院第と並んだり、青学大がうしろにいたとか、前方で戦えたという事実は、彼らにとっての可能性を広げる自信になったと思います。
【意識させたのは順位を狙うこと】
――収穫が多かった全日本のあとも、上尾シティハーフマラソン(11月6日)では1時間02分台が7人も出たうえ、出雲と全日本を走った原悠太選手(3年)が1時間01分21秒で4位といい走りをしました。
中野 原は2月の香川丸亀国際ハーフマラソンも走って実績はありましたが、上尾ハーフでは2位以内になってニューヨークシティハーフマラソンの招待枠(上位3名)を取りたいという意欲を持って走り、よく戦ったなと思います。以前は、選手たちの底力アップに躍起になっていたのですが、今年は春のインカレあたりから「順位を狙う」というのを徹底させました。
6月に島田と尾崎仁哉(4年)をオーストラリアのハーフに行かせた時は、ふたりに「どんな形でもいいから、とにかく勝つレースをしよう」と伝え、島田は本当に優勝したし、尾崎も大会記録を更新する1時間01分21秒の自己新を出して4位でした。それを見て私も「こいつら強いな」と思いましたし、ふたりとも初めての海外だったのに、結果を出す力強さもついていることを再認識できました。
――順番、順位を狙う意識が各選手についてきた手応えは?
中野 オーストラリアで彼らが結果を残してきたから「できるんだ」と思ったくらいです(笑)。
ただ、「記録を出しても負けたら何の意味もないよね。タイムは破られるけど、勝ったら記録として残る。選手権や選考会もそうだけど、勝つことが一番重要。タイムが出ても10番目だったら何の意味もないから、勝つことを意識しよう」というのは練習のなかでもかなり言っています。実際には記録を出さないと自信にもならないし、上のステージにも上がれないので、ある程度記録が出てきたら「ちょっと勝つことも意識していこうか」というような感じです。
――全日本のあとに、「レース前に内心では3位を狙えるのではないかと思っていた」と話していましたが、チームとしてはどういう状態で臨んだのでしょうか?
中野 全日本1週間前の 8000mのタイムトライアルでは11人が集団で走り、今までの帝京最高記録を10秒以上も上回っていました。柴戸と島田は集団から2秒くらい前に出ていて、楠岡は15秒遅れでスタートしても、その集団に追いついているのを見て、「これはいい、もしかしたら全日本では面白いレースができるかも」と思いました。学生たちは「5強崩し」と言っていましたが、私は過剰なストレスやプレッシャーをかけたくなかったので、そんな期待は誰にも言わず、黙ってレース当日を楽しんでいた感じです。
――そんな仕上がりを見せている新チームですが、前回からは絶対的なエースだった山中選手や、小林選手など4年生4名が抜けたなかで、どういう取り組みを行なったのですか?
中野 4年生が抜ける時に周りからよく言われたのは、「山中の代わりはなかなか出ないよね」ということでした。それは確かにそうなんです。山中はやっぱり特殊だし、すばらしいランナーだと評価している早稲田の山口(智)君に出雲、全日本、箱根と偶然にも同じ区間ですべて勝ちました。
「そんな選手の代わりは当然いないし、個人でカバーすることはできない。でもチームとしてはやれるよね」ということで、みんなが必死になってパフォーマンスを上げてくれたんだと思います。山中に頼っていた自覚はあったから、「真剣にならなくては」と覚悟してくれたのかなと思います。私はそれぞれが「自分はエースだ」と思ってもらいたいと考えています。今の帝京大は去年より間違いなく力が上がっているけど、それは上位選手も上がったけど、下も上がってきて、全体的にギュッと凝縮されてきたからかなと思います。
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Profile
中野孝行/なかの・たかゆき
1963年8月28日生まれ。北海道出身。
国士舘大学在学時、箱根駅伝に4年連続で出場した。大学卒業後は実業団で走り、引退後は指導者の道へ。2005年に帝京大駅伝競走部の監督に就任。2007年から19年連続で箱根駅伝出場を果たしている。最高順位は2000年と2020年の4位。今シーズンは、出雲駅伝8位、全日本大学駅伝6位の成績を残している。