元ホンダ・浅木泰昭 連載「F1解説・アサキの視点」第3回 前編 自動車メーカーがF1に参戦する理由はいくつかある。「走る…
元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第3回 前編
自動車メーカーがF1に参戦する理由はいくつかある。「走る実験室」と言われる世界最高峰のレースで環境技術を磨くこと、ブランド力の強化、人材育成などが主な理由として挙げられるが、日本と欧米のメーカーでは求めるものがやや異なっているように見える。
欧米のメーカーは自社のブランドイメージ向上に重きを置いているが、ホンダやハースと提携しているトヨタといった日本のメーカーは人材育成を主要なテーマとして掲げている。F1参戦を通じて、どんな人材が育ち、企業にはどんなメリットがもたらされるのだろうか。
というわけで、元ホンダ技術者の浅木泰昭氏の連載第3回では、「自動車メーカーがF1参戦で得られるものとは?」をテーマに語ってもらおう。
自動車メーカーの
【F1参戦で得られる伝説】
自動車メーカーがF1に参戦する大義名分は、「商売のため」と「地球のため」になることだと話しましたが(第1回)、レースで勝てば、その分、クルマが売れるということはありませんでした。
かつては売れた時代があったのかもしれませんが、少なくとも私がホンダで働き始めた1981年以降、そんな話は聞いたことがありません。
ホンダにとってF1はDNAだとよく言いますが、伝説でありドラマです。日本の自動車メーカーとして唯一F1で優勝し、ホンダのドライバーがチャンピオンを獲っています。ホンダにとってF1はかけがえのないものであり、他の日本のメーカーにはないものです。
ホンダの場合は、昔からずっとF1やMotoGP(ロードレース世界選手権)をはじめとするモータースポーツに参戦していることがブランドイメージの向上に寄与し、多くの人がホンダのファンになってくれて、それが周り回って商売にもいくばくかの好影響を及ぼしているだろう、というのが社内の認識になっています。
ブランドの価値を研究したり、数式を使って算出したりする企業や大学がありますが、ブランドイメージによって自動車がどれくらい売れるかと数値化するのはなかなか難しいと思います。
F1が世界選手権としてスタートした1950年から唯一参戦を続けているフェラーリは、少数生産でありながらスポーツカーのビジネスを成功させています。
ホンダは量産型の自動車メーカーなので、モータースポーツで培った伝説や歴史にどれほどの価値があるのかというのは不透明ですが、そういうものがないメーカーからしたら、すごく羨ましいのだろうと思います。
活動の歴史が長くなればなるほど、ドラマを語れる"おいしさ"のようなものは多少あるのではないかなと考えています。
【サラリーマンによる"日本式F1"の特殊性】
ただ繰り返しになりますが、ビジネス上のメリットをなかなかデータで証明できません。だから私がF1に参戦する目的について、そのひとつとしてよく言っているのは人材育成です。
究極の技術開発競争が繰り広げられるF1でチャンピオンになるという成功体験をして、自信をつかんだ数百人のスタッフのなかから才能やセンスのある人間が浮かび上がってきて、画期的な商品を生み出したり、世界一の快挙を達成したりして企業に貢献する......というのが私の仮説です。
実際にF1で世界一になったスタッフが活躍するのは各部署のリーダーになる10年後、20年後だと思いますが、ホンダではF1でそうした人材を育てたり、掘り起こしたりする場所になっています。たとえば、浅木は軽自動車のN-BOXを作ったよね、とか(笑)。
あとは、リクルート的にもF1の影響力は大きい。ホンダは、国内では軽自動車や小型車がメインですが、F1でホンダを知って入社を希望する技術系の人間はすごく多い。でも、F1を人材育成やリクルートに活用しているのはホンダというか、日本メーカーだけだと思います。
たとえばメルセデスではF1のパワーユニットを作っている部門と、乗用車の開発部門とのつながりはゼロではありませんが、かなり小さい。F1のフィールドで育った人間がメルセデスの乗用車部門に異動するのは考えられません。
それに技術者を育てるという意味でいうと、海外のF1チームのエンジニアは"F1村"のなかで育って実績を残したら、別のチームに転職して、給料を上げていくというパターンがほとんどです。
ホンダのように企業の社員、サラリーマンで活動を行なっているほうがF1村のなかでは特殊で、ヨーロッパの自動車メーカーとはスタッフの雇用形態や給料をはじめ、参戦の体制や目的は大きく異なっています。
ホンダがこのままF1村と距離を置き、今後も日本のサラリーマン中心でF1活動を続けることができるのか? という課題に直面する可能性はあります。同じような仕事内容にもかかわらず、あまりにもF1村の技術者との待遇が違いますからね。
後編につづく
<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。