◇国内男子◇日本シリーズJTカップ 最終日(7日)◇東京よみうりCC(東京)◇7002yd(パー70)◇晴れ(観衆382…

◇国内男子◇日本シリーズJTカップ 最終日(7日)◇東京よみうりCC(東京)◇7002yd(パー70)◇晴れ(観衆3823人)
彼を支える人たちは皆、「1ミリも考えていなかった」と苦笑する。8カ月前、シード選手として未勝利のまま3年目を迎えた金子駆大がまさか、賞金王の座に就くとは…。シーズンオフの合宿で、「初優勝する」とは確かに宣言にしていた。スイングコーチの目澤秀憲氏をはじめ、周囲はその言葉こそ疑わなかったが、歴史に名を刻む活躍は、想像以上の好結果に違いなかった。
近くで見守ってきたメンバーが最高のフィニッシュのイメージを描けなかったのは、金子の苦労を知っていたからだ。「1mが入らない」と悩んだ時期があったと明かすのはパッティングコーチの橋本真和氏。なにもプロテストに合格した2020年頃の話ではない。スマホのカメラロールにはショートパットの練習を繰り返す、わずか1年前の姿が収まっている。
緊張した場面で、いわゆる「手が動かない」症状ではなく、「反応してしまう問題があった」。インパクトでパンチが入ったり、ヘッドがあらぬ方向に動いたり。「短いパターでは打てない」(金子)と、中尺パターを左腕に接着させて打つアームロックスタイルは長年の苦労の表れだった。
橋本コーチは金子の頭を整理することから修正を始めた。「彼は『すべてが完璧じゃないと入らない』と思っていたんです。ストロークのバックスイングからフォローまで」。ボールの打ち出し方向は、インパクト時のフェースの向きが何よりも影響する。フェースはターゲットを向かせたまま、極端なカット軌道(アウトサイドイン)で打たせたり、逆にインサイドアウトで打たせたり。フェース面の意識づけのため、パターのシャフトにセロテープでティペグ2、3本を貼り付けて打つ練習法を考案した(着想を得て、その後に練習器具を製造、販売した…)。

修正、矯正はひと晩で終わるはずがない。キャリア最高の一年も試行錯誤の連続だった。小さく、長く続くハードルを日々、乗り越えられたのは、23歳のパーソナリティによるところも大きいと橋本氏は言う。「彼は本当に素直なんです。(生徒の中で)一番と言えるほど素直」
日本では極めて珍しいショートゲーム専門コーチとして知られる永井直樹氏は、金子のさらに若かりし日を知る一人だ。高校時代、同じ愛知県内で腕を磨いていた6歳下の小学生に「こんなうまい子がいるんだ…」と驚いた。大学卒業後、屈強な飛ばし屋としてツアープロを目指したが、弟分と一緒に回ると「スコアでちょっとずつ負けるんです。10回やったら2、3回しか勝てない」。スコアメークの類まれなセンスは当時から健在だった。
名古屋の天才少年には一方で、ちょっとふてぶてしい一面もある。コロナ禍の頃、永井氏はまだ運転免許証を持っていなかった金子を愛車に乗せて、一緒に埼玉県内の目澤コーチのもとを訪れて指導を仰いだ。片道で約5時間のドライブの間、金子は助手席に。「高速道路に乗って『お菓子を食べなくなったな』と思ったら…もう目は閉じてました」。帰りもスヤスヤと眠りこける姿を見ても、笑いしか出ない。「駆大は欲に前向きで、カワイイんです」
同じ愛知出身、28歳の小木曽喬は、最終戦を制して後輩の賞金王戴冠をアシストした。これまで何度も同じ時間を過ごし、やはり「駆大はまだ“少年なところ”があって、僕は大好き」と目を細める。
「ただ、彼はゴルフの話になると深くなる。(自分にとって)何が一番良いかを考えながらやっている。パッティングの(機械的なライン読みである)エイムポイントを取り入れたりもするけれど、感性の強い選手。あの独特なスイングで高い精度を保つには感性がないとできない。僕が23歳のときには同じようにできなかった」。誰に対しても愛想が良いタイプではないけれど、静かな立ち振る舞いの内側にはゴルフに真摯(しんし)に向き合う姿勢がある。
欧州ツアー(DPワールドツアー)の来季出場資格を獲得し、今週は米ツアー(PGAツアー)への挑戦権を得るべく最終予選会が行われるフロリダに飛んだ。「やっぱりコーチ陣、トレーナーなどいろんな方のサポートがあったので、結果にもつながったと思います」。日本ツアーの頂点に、ひとりの力でたどり着けたとは微塵も思っていない。(東京都稲城市/桂川洋一)