【リスクがあるからこそ】 12月6日、名古屋。グランプリ(GP)ファイナル記者会見のスタートは、すでに深夜だった。しかし…

【リスクがあるからこそ】

 12月6日、名古屋。グランプリ(GP)ファイナル記者会見のスタートは、すでに深夜だった。しかし大勢のメディアが集まって、次々と質疑応答が行なわれていた。

 そのなかで、222.49点で表彰台の一番高いところに立ったアリサ・リュウ(アメリカ)は、GP女王にふさわしいコメントを残している。

ーー「トリプルアクセルにも挑戦したい」とおっしゃっていましたが、今日の演技だと必要ないのでは?

 リュウは笑顔になって答えた。

「勝つためだけに何かをする、ということを私はしません。でも私はリスキーなことが大好きで、リスクがあるからこそ、やりたいんです。そもそも、トリプルアクセルが好きだし、もしショート、フリーのプログラムに入れていたら、どんな演技になるんだろうって考えるだけでもワクワクします。

 私自身の好奇心を満足させたいのもあるし、大勢のファンが入っている会場の競技大会で、トリプルアクセルをやったんだという気持ちを味わってみたい。そういう自分の演技をみせたいのです。もちろん、うまくいくかどうかわからないけど、それが完璧なショーだと思うんです」

 好奇心を満たしたい、というスタンスは異彩を放っていた。決して優劣ではない。しかし、日本人選手にはあまりない感覚かもしれない。



GPファイナルで優勝したアリサ・リュウ(アメリカ)

【シン・天才が醸す自信】

 かつてリュウは「天才少女」と言われ、13歳にして全米女王に輝いている。ジュニア時代にトリプルアクセルや4回転ルッツにも成功し、旋風を巻き起こした。2022年の世界選手権では16歳という若さで3位になった。しかし直後、「目標が達成できました」とあっさりと一度目の引退を発表した。そして復帰した昨シーズン、いきなり世界選手権で優勝している。

 天才という称号は、しばしば有り余る才能を持て余す早熟の選手に用いられやすい。しかし、彼女の破天荒なキャリアは想像を超えている。「シン・天才」と言うべきか。楽しさ全開だったリュウが、GPファイナルの金メダルを勝ち取れたのは必然かもしれない。

「Confidence(自信)」

 リュウは、その言葉を取材エリアで何度か使っていたが、2位でスタートしたショートプログラム(SP)だけでなくフリーでも、自信は際立っていた。恐怖や不安など寄せ付けない。魔物をはらってしまえるほど、泰然自若とした"楽しむ気配"を放っていた。

「Go, Alysa!!」

 会場からの声援に、「任せて」と答えるような表情を見せる。家族に見守られるように、リビングでダンスを披露する少女のような自然体だった。

 冒頭の3回転フリップから、とにかくジャンプでの回転速度が速い。また、スケーティングはキレがあるなかでゆったりとした動きもできるだけに、その緩急で観客を引き込む。3回転ルッツ+3回転トーループは回転不足を取られたが、3回転サルコウ、3回転ループと次々に着氷した。

 後半になっても、動きは落ちない。3回転ルッツ+ダブルアクセル+2回転トーループ、3回転フリップ+2回転トーループとコンビネーションジャンプを次々に成功。最後はダブルアクセルで締めた。スピン、ステップはすべてレベル4で、エレメンツが流れのなかに取り込まれていた。それが演技の美しさを醸し出させるのだ。

「私はとてもうれしい気持ちでいます。(安定した演技は)トレーニングの賜物と言えるでしょう。氷の上でのセッションだけでなく、陸やジムトレーニングも頑張ってきました」

 リュウはそう明かしたが、じつはSP、フリーはどちらも1位ではなかった。それぞれ2位、3位と大崩れしなかったことが、金メダルをもたらした。SPの1位は千葉百音、フリーの1位は坂本花織だが、2つを高いレベルでそろえることの難しさが出た。

【坂本花織も「人として尊敬」】

"自分に勝つ"というアプローチでは、日本人選手は克己心において抜きん出ている。ただ、リュウはもともと勝負の因果に収まらず、自己表現を楽しんでいるように映った。

「つねに呼吸していることで、自分の動きのすべてをつかさどることができました」

 彼女は言ったが、安定した呼吸をすることで平常心の演技ができたという。体と心はつながっている。シン・天才の領域だ。来年2月、ミラノ・コルティナ五輪も万全に映るが、本人にとっては別の話のようだった。

「今日の演技は自信を持ってできましたし、前向きさも感じました。ただ、オリンピックに向けてはいろんなことが起こり得ます。これから国内選手権も待っていますし、体力も維持したい。今日はすごく気分がいいですが、明日はそうなるかわからないので」

 そう言ったリュウは、解き放たれた演技が簡単ではないことをわきまえているのだろう。千葉も、坂本も、ほとんど失敗がないジャンプでミスをしたように、どれだけ練習を重ねても一瞬でふいになるのが、フィギュアスケートというスポーツである。制御はできない。そのうえでリュウは因果に収まらず、向き合っているのだ。

 会見終盤、隣に座っていた坂本が、リュウの冒頭の発言について問われていた。

「こういう選手(リュウ)がフィギュアスケートには必要なんだなって思いました。自分には、とてもそうは思えない。どこかで安全地帯にいたいっていうのがあるので。ただただ、すごいというか、選手としても人としても尊敬する気分です」

 それは生き方の違いで、それぞれの正義、人生、業のぶつけ合いが、リンクで見られるのがフィギュアスケートなのではないか?

 来年2月、五輪でリュウは"楽しむ気配"を失わないでいられるのか。それは誰かとの戦いではない。