セットアッパーとしての1年目から活躍を見せた岡島秀樹 photo by Getty ImagesMLBのサムライたち〜大…
セットアッパーとしての1年目から活躍を見せた岡島秀樹 photo by Getty Images
MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載20:岡島秀樹
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第20回は、左のセットアッパーとしてレッドソックスの世界一に貢献した岡島秀樹を紹介する。
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【ルーキーシーズン幕開けから期待以上の活躍】
渡米時の予想以上の成果を挙げたという観点では、岡島秀樹はこれまでの日本人メジャーリーガーのなかでもトップクラスだろう。
松坂大輔とともに2007年に渡米した岡島の、特に1年目を振り返ると、その見事な実績に圧倒される。この年の4月は防御率0.71、投球回あたりの与四球・被安打数合計を示すWHIPでも0.63の好成績で月間最優秀新人に選出され、5月22日まで19試合連続で無失点。前半戦39試合の登板で2勝0敗4セーブ、防御率0.83、WHIP0.83という好成績で締め括ったのだから、中継ぎの役割ながらオールスターに選出されたのも当然だった。
後半戦には失点が増えたものの、最終成績はチーム最多となる66試合に登板して3勝2敗5セーブ、防御率2.22、WHIP0.97、リーグ3位の27ホールド。プレーオフでも大事な場面で好投し、チームの世界一に大きく貢献した。
「最終的には優勝しないと意味がないと思っていたので、それが現実になり、アメリカへ行って本当によかったです」
岡島はシーズン終了後にそう述べていたが、実際に通称"オキー"の活躍がなければこの年のレッドソックスの栄冠はなかったはずだ。
2年250万ドル(約3億7500万円)という入団時の契約が示すとおり、決して高い評価を受けて渡米したわけではなかった。いわば、爆発的な話題を呼んだ松坂の「付き添い」。米メディアでも、当初はそんな表現をされることが多かった。もちろん先発、中継ぎと役割の違う投手を単純には比較できないが、見方によっては1年目の岡島は松坂を上回るほどの貢献をしたと言えるかもしれない。
これほどの成功を可能にした要因は何だったのか。
メジャーキャリア開始当初、岡島の独特の投球フォームについて言及する関係者が圧倒的に多かった。ボールをリリースする瞬間に顔を下に向け、打者の方向を見ずに投げ込む。ベースボールの常識を覆すようなこのフォームは、特に1年目にかなり話題になった。米スポーツウェブサイト『ブリーチャーレポート』は、「史上に残るような個性的な投法」として認定したくらいで、打席で対峙する打者に戸惑いがあったのは当然だろう。大抵は1試合で1~2イニングしか投げない中継ぎ投手にとって、フォームで幻惑できることは大きな武器である。
【身につけていったメジャーで通用する条件】
ボールのリリース時には下を向く独特な投法で次々と打者を討ち取った photo by Getty Images
もっとも、投げ方の物珍しさだけで通用する期間には限界がある。アメリカでの中継ぎ投手は入れ替わりが激しいことから「Revolving door(回転ドア)」と称され、「リリーフ左腕の"賞味期限"は慣れられるまで」と少々乱暴な言い方をされることさえある。実際に打者に見極められてしまった投手は、他地区、あるいは他リーグに移って目先を変えるパターンがよく見受けられる。ただ、岡島は5年目の途中までレッドソックスに残り、防御率は2年目も2点台、被打率も3年目までは常に2割5分以下だった。こうして複数年で効果を保ったことは、単なる"トリックピッチャー"ではない岡島の総合力を物語っていたのだろう。
ア・リーグ某チームのスカウトは岡島をこう評していたのが思い出される。
「最初は私たちも岡島は単に物珍しいだけのピッチャーかと思った。しかし彼はカーブが思ったとおりの効果を発揮しないとみると、2年目にはチェンジアップを取得する器用さも見せた。そしてそれをコーナーに投げ分ける制球力も持っていた。メジャーで成功するために必要な適応能力を見せたがゆえに、左殺しのワンポイントではなく、多様な使い方さえ可能になったんだ」
マウンド上でのクレバーさ、適応能力、制球力があれば、圧倒的な球威がなくとも活躍できる。それらを備えていれば、左対左の利点や、フォームの見極め難さだけに頼る必要はない。のちに高橋尚成が同じく低評価を覆し、ニューヨーク・メッツなどで好投する過程で示した「メジャーで通用する条件」を、岡島は先んじて満たしていたと言えるのだろう。
そんな岡島もレッドソックスでの4、5年目は成績が大きく降下した。一度日本に帰ったあとの2013年、オークランド・アスレチックスの一員としてメジャー復帰を果たした際にも活躍はできなかった。それでも岡島のメジャーキャリアが実り多きものだったことは、レッドソックスのセオ・エプスタインGMのこんな言葉からも明らかだ。
「岡島は入団時の私たちの期待をはるかに超える働きをしてくれた。特に2007年の世界一を大きく助けてくれたからね」
その働きをボストニアンも忘れてはいない。これから先もボストンに戻ってくるたび、岡島はレッドソックスファンから常に大きな拍手で迎えられるはずである。
【Profile】おかじま・ひでき/1975年12月25日、京都府出身。東山高(京都)。1993年NPBドラフト3位(読売)。2006年11月にフリーエージェントとしてボストン・レッドソックスと契約。NPB復帰から1シーズンを経て、2013年2月にオークランド・アスレチックスとマイナー契約。
●NPB所属歴(15年):読売(1995〜2005)―北海道日本ハム(2006)―福岡ソフトバンク(2012、14)―横浜DeNA(2015)
●NPB通算成績:38勝40敗50セーブ74ホールド81ホールドポイント(549試合)/防御率3.19/投球回739.2/奪三振760
●MLB所属歴(6年):ボストン・レッドソックス(2007〜11)−オークランド・アスレチックス(2013) *すべてアメリカン・リーグ
●MLB通算成績:17勝8敗(266試合)/防御率3.09/投球回250.1/奪三振216 *プレーオフ(3年):0勝0敗(17試合)/防御率2.11/投球回21.1/奪三振16(2007〜09)
●主なMLBタイトル&偉業歴:ワールドシリーズ優勝(2007)