MLB中継解説者・武田一浩氏、若手時代を振り返る 地獄のキャンプが成長の礎となった。NHKのMLB中継解説者として活躍中…
MLB中継解説者・武田一浩氏、若手時代を振り返る
地獄のキャンプが成長の礎となった。NHKのMLB中継解説者として活躍中の野球評論家・武田一浩氏は、1987年にドラフト1位で日本ハムに入団。20試合登板で1勝2敗に終わった1年目の秋季キャンプは、連日10時間以上の猛練習を行い、それが礎となり、後の最優秀救援投手、最多勝のタイトル獲得につながっていった。
「死ぬほど投げて、死ぬほど走らされました」。連日200球の投げ込みなど通常メニュー後に、タイムトライアルの坂道ダッシュ。設定したタイムをクリアできるまで、高橋善正投手コーチの指示で延々と走らされたという。
「(設定)タイムが切れないと本当に終わらないんです。普通ならある程度走ったら『もうこの辺でいいか』となるけど、それが一切ない。高橋善正さんは鬼でしたね」
ようやくクリアして坂道ダッシュが終わると、V字腹筋100回の20セットが待っていた。合計2000回のV字腹筋も「途中で疲れて休んでしまうと、本当に一からやり直しになるんです。(高橋コーチは)悪魔ですよ」と苦笑いで回顧。午前9時に練習が始まり、宿舎に戻るのは連日午後9時を回っていたそうだ。
「今ではそんな練習は絶対にやらないです。でも、おかげで球が走るようになりました。次の年につながったと思います」
2年目は主に中継ぎで規定投球回到達、3年目は抑え転向
2年目の1989年は7月2日の西武戦(東京ドーム)でプロ初完封を挙げるなど6勝8敗。この年はローテーションの谷間で先発することもあれば、ロングリリーフでの起用もあって36試合に登板した。そのうち18試合は救援登板だったが、143回を投げて規定投球回に到達した。
「ヤバいですよね。大学時代並みに投げました。ローテーション投手じゃないのに規定投球回を投げているんですから」
翌1990年は開幕ローテーション入りを果たしたが、2試合先発後に近藤貞雄監督から監督室に呼ばれ「お前、明日から抑えをやれ」とクローザー転向を言い渡された。そして4月28日のダイエー戦(東京ドーム)で、3-2の8回に抑え転向後初登板。同点に追いつかれたが延長12回まで5イニングを投げ抜き、サヨナラ勝ちで勝利投手となった。
そこから6月15日のロッテ戦(川崎)まで当時のNPB記録に並ぶ12試合連続セーブポイントをマーク。「そこでブレークしましたね」と新守護神の地位を確立してタイトル争いをリードした。ところが……。2位に7ゲーム差をつけて迎えた最後の10試合で日本ハムが1勝9敗と大失速し、その間は登板機会がないままシーズン終了。明大の先輩である西武・鹿取義隆投手に逆転を許してしまったのである。
「セーブ王、途中まで独走だったんですけど、当時は西武が強かったですから。そんなこともありましたね」。3年目は37試合に登板して10勝5敗13セーブ、防御率2.98。タイトルこそ逃したものの、大きな手応えを得た1年だった。(尾辻剛 / Go Otsuji)