強烈な張り手で上位陣に立ち向かう剣晃の相撲は、ファンの心に刻まれている photo by Jiji Press連載・平成…
強烈な張り手で上位陣に立ち向かう剣晃の相撲は、ファンの心に刻まれている
photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝65:剣晃
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、強烈な張り手で上位陣に闘志をむき出しにした相撲でファンを魅了した剣晃を紹介する。
連載・平成の名力士列伝リスト
【闘志の表われだった「張り手」】
礼儀正しくて温厚な力士ばかりでは、なんだかちょっと物足りない。横綱、大関にも闘志をむき出しにしてぶつかって暴れ回り、歯に衣着せぬ言葉で相手を挑発する――そんな力士がいれば、土俵はさらに盛り上がる。剣晃は、平成時代初期の土俵でヒールとして存在感を示した貴重な個性派力士であり、若くして病のために命を落とした悲運の力士でもあった。
昭和42(1967)年生まれで大阪府守口市出身。早くに父親を亡くし、母親に女手ひとつで兄とともに育てられた。小学生時代はガキ大将で、中学では柔道部に所属。中学の教頭が高田川親方(元大関・前の山)の担任だった縁から、中3の時に高田川部屋に体験入門したが、数日で逃げ帰った。中学卒業後は定時制高校に通いながら、運送屋や料理店などさまざまな職業を経験したものの、どれも長続きしない。そんな姿を見かねた母が盲腸炎で入院したのを機に、親孝行したいと一念発起。高2の10月に中退して、高田川部屋に入門した。
昭和59(1984)年11月場所、17歳で初土俵を踏むと、相撲経験はなかったが、柔道で培った格闘センスと持ち前の勝負度胸で番付を上げ、平成3(1991)年3月場所、23歳で新十両、平成4(1992)年7月場所、24歳で新入幕。1場所で陥落したあと、再入幕の平成5(1993)年3月場所3日目の浪乃花戦で注目を浴びた。17発もの張り手を浴びせ、押し出して白星をもぎ取ったのだ。浪乃花は脳震盪を起こし、医務室に運ばれるほどだったが、「相手が低くてなかなか起きなくて、張るというより起こそうとした」と涼しい顔でコメントした。この場所は10勝して幕内で初めて勝ち越し、以後は幕内上位に進出する。
190センチ、最盛期は145キロの均整のとれた体で、左上手を取って思いきりよく投げるなど、動き回って勝機を探る相撲は魅力十分。何より注目されたのが浪乃花戦で見せたような張り手を、横綱・大関相手にも闘志をむき出しにして繰り出す姿だった。張った理由を問われると、「そこに顔があったから」。張り手にひるまない相手にさらに激しく張り手を見舞い、「もっと張ってほしいのかなと思った」と答えてニヤリと笑う。人気力士を張りまくるのだから非難を浴びそうなものだが、飄々とした表情がどこか憎めない。そんな姿から、貴重なヒール役として存在感を高めていった。
【溌剌とした相撲で存在感発揮も突然の病魔に......】
平成7(1995)年5月場所には新小結に昇進。1場所で陥落したが、東4枚目で迎えた7月場所が、「剣晃ここにあり」と世に知らしめる場所となる。
初日は関脇・魁皇をモロ差しから走って寄り切り、2日目は前頭筆頭の琴錦を立ち合いの変化から左上手投げで這わせ、3日目は関脇・武双山の突っ張りをかわして左上手投げ、4日目の横綱・貴乃花戦は敗れたものの張り手を繰り出して沸かせ、5日目は大関・武蔵丸のノド輪にのけぞりながらも回り込んで寄り切り、6日目は大関・若乃花を寄り詰めながら肩透かしで惜敗したが、7日目は横綱・曙を立ち合い変化から背中に回って送り出して初金星――上位陣相手にまったく臆せず、思いきりよく動き回って次々に技を繰り出して翻弄する、溌剌たる相撲で輝きを放った。
この場所、11勝4敗で初の三賞となる殊勲賞を獲得し、翌場所は小結に復帰。その後も上位に定着し、平成8(1996)年1月場所は優勝した貴ノ浪に5日目に掬い投げで唯一の黒星をつけて敢闘賞、同年5月場所は負け越したものの、優勝した貴乃花に6日目に下手投げで唯一の黒星をつけるなど、印象的な活躍を続けた。
しかし、その年の後半あたりから、原因不明の発熱と貧血に苦しめられるようになった。巡業は休場しながら本場所は点滴を打って強行出場し、闘志あふれる相撲を見せていたが、体重は徐々に減っていく。平成9(1997)年5月場所、東11枚目で8勝7敗と勝ち越したのを最後に、7月場所は初土俵以来初の休場を余儀なくされ、以降は全休が続いた。診断の結果は、「不明熱、汎血球減少症」。ウイルス感染などにより、白血球・赤血球・血小板のすべてが減少する病気で、当時、日本ではほとんど例がなく、治療法も確立されていなかった。
抗がん剤の影響で髪の毛はすべて抜け落ちるなど、壮絶な闘病生活も実らず、平成10(1998)年3月10日に死去。番付の東幕下55枚目に四股名が載った3月場所3日目、現役のまま30歳で相撲人生を終えた。
貴ノ浪キラーとして知られ、対戦成績は9勝9敗。ほかにも小錦に3勝3敗、魁皇に5勝6敗、琴錦に5勝7敗、貴闘力に8勝9敗と実力者と互角に渡り合っている。活気に満ちた土俵上の姿は個性的で、華があった。ヒール役をあえて演じていた節もあり、母親思いの優しい性格で、部屋では後輩に慕われ、高田川部屋の後継者との声もあった。あまりにも早すぎる死が、四半世紀経った今も惜しまれてならない。
【Profile】剣晃敏志(けんこう・さとし)/昭和42(1967)年6月27日生まれ、大阪府守口市出身/本名:星村敏志/所属:高田川部屋/しこ名履歴:星村→剣晃/初土俵:昭和59(1984)年11月場所/引退場所:平成10(1998)年3月場所/最高位:小結