1993年のJリーグ開幕元年、鹿島アントラーズの選手だった鬼木達・現監督が勝利にこだわる姿勢を学んだのが、現在クラブア…

 1993年のJリーグ開幕元年、鹿島アントラーズの選手だった鬼木達・現監督が勝利にこだわる姿勢を学んだのが、現在クラブアドバイザーを務めるブラジルの英雄・ジーコ氏だった。日本代表で指揮を執ったレジェンドの目に、今季の鬼木監督の采配はどう映ったのか。

 「(川崎フロンターレ時代)8シーズンで4度のリーグ優勝をしているのは偶然ではない。勝負がかかったときの戦い方を経験している監督で、信頼している」とジーコ氏は言う。

■鬼木監督を評価

 今季も、たびたびグラウンドに姿を見せ、監督と直接会話をするシーンがあった。

 「サッカーというスポーツは、なにかをやったから翌日、大きく変わるモノではない。シーズンを通して準備してきたものが形になる」とジーコ氏。日々、鹿島の練習場で選手たちを切磋琢磨(せっさたくま)させてきた鬼木監督を評価する。

 鬼木監督の長所を、「限られた人材のなかで選手の才能を引き出すところがものすごくうまい」とみる。

 「川崎フロンターレでは、中盤から前線に高いクオリティー(質)の選手がいたので、攻撃的なサッカーを続けてきた。鹿島では守備的なところをしっかり固めながら、攻撃的なサッカーを植え付けようとしている。監督の強みをしっかり発揮できているから、苦しみながらも首位でいられる」

 現役時代の鬼木監督とともにプレーしたが、「こういう名将になるとはわからなかった」とジーコ氏は言う。ただ、守備的MFを務めていたことから、「世界を見ても、中盤の選手が良い監督になっている傾向がある。グアルディオラ、アンチェロッティ、日本代表の森保一監督もそうだ。中盤の選手は全体を通してバランスよく、ビジョンをもてる」。

 鬼木監督だけでなく、中田浩二フットボールダイレクター(FD)、柳沢敦コーチら、クラブ出身者がチーム内にいる意味も大きいという。

 「彼らはタイトル争いの難しさや厳しさをしっかりと後輩たちに伝えられる存在だ。常々、言っているが、選手の履歴書に『鹿島アントラーズ』といれるだけではなく、鹿島に来たからにはタイトルをとる。何かを成し遂げる心持ちでこのクラブにこなければならない。そういう経験をしてきた選手たちからの言葉は重さが違う」

 トップだけではない。

 「例えば、今であれば育成年代の指導者に小笠原満男がいる。鹿島のエンブレムをつけてプレーすることがどういう意味なのか、ということを伝えられる。今、若手で何人も育成年代の日本代表が輩出できているのは、彼らの力が働いているからだ」

 進化を重ねる「リノベーション」と、チームに貫き続ける「哲学」。そのどちらも欠けてはいけないとジーコ氏は指摘する。

 「神様」と言われたその姿を18歳のときにみた鬼木監督は「ジーコさんは『勝負にこだわれ』なんて言っていない。でも、あの人の姿を見て伝わるものがある」と学んできたものをチーム作りに生かしてきた。

 豊かな土壌で多くの人材が育ち、彼らが今また種をまく。93年から育まれてきたクラブの伝統が、9年ぶりのタイトルを常勝クラブにもたらした。(照屋健)