【何が起こったのかわからない】「めっちゃ緊張する!」 坂本花織(25歳/シスメックス)は大会に際し、決まったように言う。…

【何が起こったのかわからない】

「めっちゃ緊張する!」

 坂本花織(25歳/シスメックス)は大会に際し、決まったように言う。しかし快活で明るい選手だけに、にわかには信じられない。プログラムは圧倒的な完成度の高さで、経験も含めたスケーティングはいまや別格である。トリプルアクセルや4回転という大技を使わなくても、世界の頂点に君臨してきた。



GPファイナルSPは5位発進となった坂本花織

 しかし、女王の称号がふさわしい坂本であっても、やはりリンクに立つたび、緊張で心が削られるのだろう。

〈今シーズンで引退〉。その題目も、彼女の心に影響を与えないはずはない。周りはことあるごとに、このフレーズをつける。大会のたび、「最後の戦いですね?」と注目を浴びるが、実際のところ、感傷に浸る暇もない。期待は喜びと同義だが、そこには同等の重圧が折り重なるのだ。

「プレッシャーというよりは、自分に負けてしまった感じです。自分でも、ちょっと何が起こったのか、よくわからないというか......映像を見返して振り返られたらと思います」

 演技後の取材エリアで坂本は言葉を絞り出すように言った。悔しさが込み上げてくるのか。その声は震えていた。

 その日、坂本はどう戦ったのか?

【冒頭のジャンプがまさかの0点】

 12月5日、名古屋。グランプリ(GP)ファイナル、世界最高の女子シングルスケーターが集まった争いは熾烈を極めた。

 1番手の渡辺倫果がいきなりトリプルアクセルを決める。2番手の高校生、中井亜美はトリプルアクセルこそ着氷が乱れたが、73.91点とハイスコアを叩き出す。3番手の天才少女、アリサ・リュウ(アメリカ)もミスがなく、静謐だが明朗で、品を感じさせる演技で75.79点と、会場の大歓声を浴びた。

 ただ、4番手のアンバー・グレン(アメリカ)は冒頭のトリプルアクセルをパンクさせてしまう。今シーズン、ことごとく成功していた武器が空振り。練習でも、高確率で決めるジャンプだったが、それも五輪シーズンのファイナルの怖さか。

 明暗が浮き出たショートプログラム(SP)、5番手でリンクに立った坂本は、表情に少しかたさが見えた。腰に手をやって、点数のアナウンスを待ち、足を叩いて筋肉をほぐしていた。ただ、緊張がなかったら演技にハリがなくなるし、ルーティンに近いものでもあった。ブノワ・リショーが振り付けた『Time To Say Goodbye』を滑り出した時、異変は起きていなかったはずだ。

 冒頭の3回転ルッツは成功確率の高いジャンプだった。ところが、これが2回転になってしまう。SPは3回転以上で得点になるルールでノーカウントになってしまい、大きく出遅れた。

「何が起こったのか、よくわからなかったです。お客さんの『あぁ』っていう反応で、初めて気づきました。やっちゃったんだなって。次のジャンプ、アクセルの前に体を反るところでは、これで全部決まるとはあまり考えずに跳んだら、けっこうスパンとハマりました。どうにか切り替えられましたが......」

 そう語る坂本は、まさに百戦錬磨と言える。たとえ緊張が襲ってきても、楽しさに還元できるだけの場数を踏んできた。しかし、フィギュアスケートは簡単に制御できるものではない。SPは約2分40秒、どんな実力者でもあらゆることが起こり得る。何ヶ月も精魂を込めて作り上げてきたプログラムが、一瞬で台なしになる怖さを背負っているのだ。

 その点、リカバーは見事だった。工夫を凝らしたダイナミックなダブルアクセルで着氷し、3回転フリップ+3回転トーループは12.12点で出場選手のジャンプで一番のハイスコアを叩き出した。プログラムコンポーネンツは36.28点で、やはり出場選手で最高点だった。彼女は実力を見せつけた。

【切り替えて大逆転に挑む】

 それだけに、1本目のジャンプの0点が悔やまれる。

「練習でもしないミスが出てしまいました」

 彼女は言葉を紡いだが、精神的ショックは大きく、ミスの理由は導き出せていない様子だった。

「今シーズン、試合を通してあまり不安がなく、演技をすることができてきました。その気持ちを加速させるために、構成を変えてやってきたこともあって、今までのように不安要素はなかったんです。だから、(ミスに)自分でもびっくりしました」

 気づかないうちに、重圧に苛まれていたのか。

「どうも、ファイナルはうまくいかないですね(前大会3位)。なんでかなって思っちゃうくらい。ファイナルに限ってなんでこんなことが起きるのか」

 坂本は嘆くように言った。69.40点と5位に甘んじた。しかし、首位に躍り出た千葉百音は77.27点で、フリーで大逆転が起きても不思議ではない差だ。

「(日付が変わる)12時になったら切り替えます。失うものは何もないので、嫌な気持ちは今日に置いて。明日のフリーは、自分の演技ができるように頑張ります」

 12月6日、フリー。坂本は2番手で滑る。女王には不慣れな滑走順だろうが、緊張や重圧から解き放たれたら、彼女は無敵だ。