『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(18)大阪マーヴェラス 大山遼 前編(連載17:大阪マーヴェラスの榊…
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(18)
大阪マーヴェラス 大山遼 前編
(連載17:大阪マーヴェラスの榊原菜那は「バレーをすること以外に夢がない」 大ケガからの復帰戦も、緊張を楽しさが上回った>>)
【小学生のうちから鍛えられたメンタル】
昨季、SVリーグの初代女王となった大阪マーヴェラスで、大山遼(24歳)は輝いた。オールラウンドなミドルブロッカーとしてチームに安定をもたらすとともに、異彩を放った。とりわけ、NECレッドロケッツ川崎とのチャンピオンシップ決勝、第1戦の2セット目の10連続得点につながるサーブは神がかっていた。

大阪MVのミドルブロッカーとして活躍する大山遼
photo by 西村尚己/アフロスポーツ
「マーヴェラスを強くしたい」
その一心で、ルーキーシーズンを戦い抜いた。
「自分がいる場所で結果を出す。それだけを考えてきたし、これからも変えずにいこうと思います」
その硬骨さが、常勝チームを支える。
岡山県玉野市出身の大山は、小学2年の時点でバレーボールに魅了されていた。
「今まで、アンケートなどで『バレーを始めたきっかけは、知り合いに誘われたから』って言っていたんです。でも、小2の時に週1でバレー教室に通っていたのを思い出して、親に『なんでやってたの?』って何気なく聞いたら、『あなたが言ったのよ』って。すっかり忘れていたんです(笑)。なんで『やりたい』なんて言ったのか......。家族がバレーをしていたわけではないし、理由はわかりません」
大山は明るく笑う。柔らかい口調で、温厚そうな人柄が伝わる。無意識にバレーの楽しさを嗅ぎ取っていたのか、小3の冬からは少年団に入り、週5で練習に通ったが、楽しいだけでなく厳しさも感じたという。
「『やめたい』という気持ちも少しはあったけど、行動に移すほどではなかったですね。逃げるのが嫌で、『やりきらないと』と思ってましたし、小学校で根性がつきました。メンタルもそこで強くなったかもしれません」
目の前のことを必死でやるうちに、道も開けていた。
「ひとつ上の先輩が就実中学校に進んだので、同じように進学する流れができたんです。当時、自分は目の前のことしか見えていなかったんですが、中学でバレーをやるのかどうか、就実の話を聞いてから考えるようになりました。そこで親と『強いところでやるか、地元の中学でやるか』を話したんですが、母に『厳しいなかでやってきた経験を生かすために、強いところでやったほうがいいんじゃない? 就実に行かなかったら、物足りなさがあると思うよ』と言われて、就実に決めました」
【NEC佐藤淑乃との絆】
就実中には、朝4時台の始発電車に乗って通うことになった。部活後は帰る時間が遅くなって食事をとる時間もなかったため、母が送り迎えをしてくれることになったという。毎日、その車のなかでご飯を食べていた。
中高一貫校のためそのまま就実高校に進み、バレー漬けの日々を送った。
「3年生から寮に入ることにしました。親には『エースとして、ちゃんと自分を変えなきゃ』と伝えて。そのあと、自分では変化を感じられなかったですけど、監督に『書いている日誌の内容もしっかりしてきた』と言われたので、そういう面でも変われたのかなって」
その夏、インターハイで全国優勝を果たした。中学2年から始めたミドルで一気に頭角を表わし、大きな結果を残した。
一方で、敗北の苦さも経験している。春高バレーでは優勝候補に挙げられるも、1回戦でストレート負けした。
「(試合の)記憶はあまりないです。全然決まらないし、攻撃が通らないし......ずっと苦しかったのはうっすらと覚えています」
大山は苦虫を噛み潰したように言う。
「インターハイで初めての日本一を経験して、正直なところ、ちょっと満足しちゃっていた部分はありました。続けて優勝しているチームは、日本一がゴールじゃない。自分たちは日本一を目指してやって、いざ実現したら、その先に向けて成長できなかった。だから春高では結果が出なかったのかな」
しかし、彼女はその経験を糧にした。進学した筑波大学では、全日本インカレで再び日本一に輝いている。大学では盟友と言える選手にも巡り会えた。日本代表で、NECレッドロケッツ川崎の佐藤淑乃だ。
「筑波では、(佐藤)淑乃とチームを引っ張っていた感覚がありました。ふたりとも(主力で)試合に出るようになったのは2年からですけど、その時から、お互いに言葉は交わさなくても『ふたりで攻撃を担っていこう』という思いを共有できていた。4年の時は自分がキャプテンになりました。自分はキャプテンというタイプではなかったんですが、できないところは淑乃に助けてもらいましたね」
ふたりは助け合いながら共鳴し、どんどん力をつけた。
今は、それぞれSVリーグで優勝を争うチームに所属するライバル。お互いに負けたくはないし、刺激も受けている。
昨シーズンのチャンピオンシップ決勝は、大山が優勝を引き寄せた。一方で大山は、フェルハト・アクバシュ監督率いる日本代表で、佐藤がネーションズリーグや世界バレーを戦うのを心から応援していたという。
「(佐藤とは)バレーのことも話しますけど、『どこかに遊びに行きたい、泊まりに行きたい』とか、そんな話ばかりしていますよ」
大山は白く伸びた指で頬を押さえ、照れたように言った。言葉にする必要はない。ふたりだけにわかる絆があるのだ。
「自分はあまり先を見ていません。大学時代にも、よく『将来は代表で?』と聞かれたし、求められているんでしょうけどね。ただ、今いる場所で結果を出すだけです」
大山は優しくも、断固とした口調で言った。ひたむきな日々が、たどり着くべき場所に彼女を誘うのだ。
【プロフィール】
大山遼(おおやま・はるか)
所属:大阪マーヴェラス
2001年5月5日生まれ、岡山県出身。177cm・ミドルブロッカー。小学2年でバレーを始める。就実高校時代、3年時にインターハイで優勝。春高バレーにも出場した。筑波大学では、4年時にキャプテンとしてチームを全日本インカレ優勝に導き、最優秀選手賞、ブロック賞などを獲得。2023年、2025年にはユニバーシアード日本代表に選出され、ワールドユニバーシティゲームズで2大会連続銀メダルを獲得した。2024年、大阪マーヴェラスに入団した。