サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、「まさに隔世の感」。

■「プロサッカーのない国」でのW杯

 1994年ワールドカップは、「プロサッカーのない国」でのワールドカップだった。

 アメリカでは、いくつかのプロリーグが失敗した後、1967年に誕生した北米サッカーリーグ(NASL)が初めて大きな注目を集める存在になった。1975年にペレ(ブラジル)と契約したニューヨーク・コスモスがその後も次々と世界的なスターを獲得。他のチームもスターを集めるようになって、時には7万人を超す観客を集めた。

 しかし1984年でこのリーグは終了し、以後、プロリーグはできなかった。1994年のワールドカップをアメリカで開催するにあたって、FIFAはアメリカのサッカー界に対し、大会後に新しいプロリーグを設立することを要求した。しかし大会は、試合会場こそ史上最多の1試合平均6万8991人の観客で埋まったが、スタジアムを一歩出るとワールドカップへの関心は低く、「サッカーの祭典」としては非常に寂しいものだった。

■メッシもプレー、女子は「W杯4回優勝」

 しかし、1996年に新プロリーグの「メジャーリーグサッカー(MLS)」が誕生、当初は適当なスタジアムがなく、苦しい時期もあったが、30シーズンを経た今は高い評価を受けるリーグに成長した。1試合平均観客数は2015年に2万人を越え、2023年にアルゼンチン代表のリオネル・メッシがインテル・マイアミでプレーするようになると世界の注目も集めるようになった。

「NASL」時代に少年少女の間でサッカーが大きく普及し、女子はワールドカップ優勝4回、オリンピック優勝5回を誇る世界のトップチーム。男子も次々とタレントが現れ、欧州のトップリーグで活躍する選手も数十人に上っている。現時点のFIFAランキングは日本の18位を上回る14位。今やアメリカは世界の「サッカー強国」の一角を占めている。31年前には「寂しかったスタジアム外」も、今回は違った雰囲気になるのではないだろうか。

■31年前との「一番の違い」は日本代表

 さて、私があらかじめ国内便をすべて取り、ホテルも取っておくことができた背景には、忘れてならない要因がある。日本代表が出場していなかったことだ。これが、今回のワールドカップと31年前の大会の最も大きな違いと言えるだろう。

 日本代表はアジア予選を勝ち抜いてワールドカップ初出場を果たす力は十分あったし、ハンス・オフト監督率いる日本代表は、ワールドカップでも、勝てないまでも、美しいチームプレーでファンを楽しませることができただろう。しかし1993年10月にカタールのドーハで開催された「アジア最終予選」で出場権獲得まであと一歩のところまで迫りながら、後半アディショナルタイムにイラクに同点ゴールを許し、出場権を取り逃がしていた。

 ただ、ワールドカップの取材の場に立つと、私は「ドーハの悲劇」のことはあまり思い出さなかった。サウジアラビアの試合も韓国の試合も見たが、不思議に悔しさは沸いてこなかった。それは、私が、1974年以来もう20年間も、「日本のいないワールドカップ」を見慣れてしまっていたからに違いない。

 今回は違う。抽選会が終わったら、まず日本のカードを中心に、グループステージの取材計画を立てなければならない。そしてノックアウトステージについては、完全に白紙だ。グループで1位か2位に入ったら、その時点でラウンド32の試合日や会場が決まる。しかし「3位突破」となったら、グループステージがすべて終了するまで行き先未定ということになる。ラウンド32の試合は、もしかしたら翌日かもしれないし、6日後かもしれない。

 同じ「アメリカ大会」と言っても、あらゆる面で「31年前」とはまったく違うワールドカップ。さて、抽選結果はどうなるか―。

■【画像】リオネル・メッシが活躍する「新しいプロリーグMLS」を創り上げたアメリカサッカー協会会長

新しいプロリーグの構想を語るアラン・ローゼンバーグ・アメリカサッカー協会会長。彼はワールドカップ組織委員会の委員長を兼務し、後にMLS初代チェアマンとなった。©Y.Osumi

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