太田宏介が選ぶJリーグ最強ベストイレブン 一昨シーズンを最後に現役引退した元サッカー日本代表の太田宏介氏に、自身が見てき…
太田宏介が選ぶJリーグ最強ベストイレブン
一昨シーズンを最後に現役引退した元サッカー日本代表の太田宏介氏に、自身が見てきた、対戦した、一緒にプレーした選手を振り返ってもらい、Jリーグ最強ベストイレブンを選んでもらった。レフティの左サイドバックとして活躍した太田氏は、はたしてどんな11人を選んだか。
太田宏介氏にJリーグ最強ベストイレブンを選んでもらった
photo by Ichikawa Yosuke
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【憧れの存在】
今回のベストイレブンは、なるべく自分と関わりのある方を選びました。一緒にプレーしていた相棒もいるし、一緒のチームにはなれなかったけど、対戦相手としてすごく嫌だった選手や一緒にやってみたかった選手など、結構多彩な方を選べたと思います。
フォーメーションは4-3-3で、中盤は逆三角形のような形で1ボランチとトップ下がふたり。そのふたりは自由に下りてきたり、前に絡んだりという感じがいいですね。前線の3人は好きな選手を並べました。かなり攻撃的な布陣になったと思います。
GK 楢﨑正剛(元名古屋グランパスほか)
楢﨑さんは小さい頃からずっと見てきた選手で、やはりGKとして総合力の高さがありました。ハイボールの処理、シュートストップ、反応の速さ。その上でディフェンスラインとの連係、統率もクールにこなすので、かっこよかったですね。
例えば名古屋相手のフリーキックの時、壁がすごく高くてそこを越すのが大変なところがあったんです。でも一番難しいと感じたのは、最後の砦として構えている楢﨑さんのオーラですね。GKの圧、存在感は、なかなか感じることはないんですけど、それを感じたのは、楢﨑さんと川島永嗣(現ジュビロ磐田)さんだけでした。
僕が名古屋に移籍した時に、楢﨑さんはもう引退していましたが、ピッチ外でたくさんお話しさせていただきました。誰に対してもフラットで、後輩からすごく慕われる理由がよくわかります。そんなすばらしい人柄も含め、リスペクトもこめて選出しました。
右サイドバック 内田篤人(元鹿島アントラーズ、シャルケほか)
彼は同級生であり、同じ高体連出身です。高校3年の時に、早生まれの代表候補合宿で、僕と同じ高校の仲間が受けに行って「とんでもないヤツがいた」と話していたのが、内田篤人でした。鹿島に入団して、あっという間に代表まで駆け上がり、ものすごく刺激を受けました。長いキャリアのなかでもずっと意識していたし、僕の夢や目標となる存在でした。
彼は簡単にボールを下げない。ファーストタッチのボールを置く位置がうまくて、また、ただ縦パスを入れるのではなく、縦を向きながら斜めのクサビのパスを入れることができる。前に運んでいく推進力もありましたし、スピードはもちろんのこと、オーバーラップのタイミングも本当に絶妙でした。
シャルケで最終ラインから長い距離を走ってラウル・ゴンサレス(元スペイン代表FW)に合わせるシーンは、ファンの人は何回も見たと思います。まだ5大リーグで日本人選手が活躍する人数が少なかった時代に、そこを切り拓いた先駆者のひとりだと思いますし、ずっと憧れていました。
【何回もマネをした】
センターバック 森重真人(FC東京)
真人も同い年で、長い間一緒にプレーしてきた選手です。彼にボールを預けておけば安心して上がるタイミングが作れたし、頭もよくて守備範囲も広いので、僕が裏を取られても、まるで僕のミスではないかのようにカバーしてくれました。
2015年に真人がここまでのキャリアハイの7得点を取りましたが、その背景には僕のアシストがありました。「ここ」というところに蹴りさえすれば、真人が入ってきて決めてくれるので、本当に楽しかったですね。
同い年の真人が先に日本代表に入って、代表選手としての振る舞いや圧倒的なパフォーマンスを見せてくれたことが、すごく刺激になっていました。僕は結構ルーズなところがあったんですけど、真人がいたからこそ野心や向上心を持てましたね。プライベートでも仲がよく、なんでも話せる存在で一生付き合っていくひとりだと思います。
センターバック 千葉和彦(アルビレックス新潟)
千葉ちゃんはプレーもさることながら、やっぱり人間性ですね。名古屋で初めて一緒になって、彼は2年間でリーグ戦に出場したのが1試合、時間もたった1分だったんです。僕もケガをしたり、出たり出なかったりという時期でした。
そうしたなかで、彼は365日あの明るさで、練習前の準備、終わったあとの自主練をこなしていました。チームの若手からベテラン、現場やフロントスタッフ、さまざまな人がいるなかで、その組織をまとめ上げる人間力。僕はものすごく影響を受けました。
試合に出られなければ、文句や態度に出てしまう選手を何人も見てきました。なんで千葉ちゃんは、こんな楽しそうに毎日サッカーに取り組んで、人よりも何倍も努力して、苦しいところをまったく見せないのか? 先輩の背中を見て、ここまですごいなと思ったことはなかったです。
僕は町田でも出られない時間が多かった。そのなかでベテランとしての振る舞い、姿勢というのは、千葉ちゃんがすごく参考になりました。
左サイドバック 三都主アレサンドロ(元清水エスパルス、浦和レッズほか)
僕のスーパーアイドルです。代名詞でもある"裏街道"は何回もマネしました。前への推進力、左足のクロス、ドリブル、あとはキャラクターも含めて、すべてが大好きでした。トントンと軽く跳ねているような走り方のフォームとか、クロスの弾道は、ものすごく参考になりました。
初めて対戦した時に、ユニフォームが欲しかったんですよ。試合が終わったあとに整列して、握手する時にお願いしようと決めていたのに、憧れの人が目の前に来たらなにも喋れなくなってしまって......。アイドルのファンと同じような気持ちでしたね。それは現役時代に悔いが残っていることのひとつです。
【なによりサッカーを楽しんでいた】
ボランチ 福西崇史(元ジュビロ磐田、FC東京、東京ヴェルディほか)
福西さんは磐田の全盛期をテレビで見ていました。あのサイズで戦えて、かつすごく冷静。本当に闘志をすごく内に秘めているんですよね。一つひとつの球際の強さ、負けん気の強さみたいなところは僕になかったので、ものすごく憧れていました。
ジーコジャパンの時に、福西さんがボランチでどっしり構えていてくれるから、ジーコは、個性的な前線の選手たちをうまく操ることができたし、僕は大好きなボランチ像でした。
左インサイドハーフ 中村俊輔(元横浜F・マリノス、ジュビロ磐田ほか)
俊さんは同じチームでプレーはできなかったですけど、対戦相手として何度もプレーをしてきて、やっぱりうまいですよね。フリーキックは本当に決められる気しかしなかったです。僕が清水時代に横浜FMと対戦した際、フリーキックになって、わりと距離もある場所からだったので「入らないでしょ」と思っていたんです。でも壁に立った時に「あ、まずいかも」と初めて体感しました。「こんな感覚になるんだ」と感じたのを覚えています。
俊さんが磐田にいた時は右のトップ下とかに入ることが多く、マッチアップに近い形がありました。サイドに張りついているわけではなくて、ディフェンスラインとボランチのライン間でのポジショニングが絶妙で、本当に嫌らしかったですね。駆け引きのうまさ、予想もできない展開力、幅の広さ。左足の映像は何回も見て、参考にしていましたけど、マネはできませんでした。
右インサイドハーフ 小野伸二(元浦和レッズ、清水エスパルスほか)
伸二さんは清水で一緒にプレーしました。なによりサッカーを楽しんでいて、それは一緒にプレーしていても感じました。伸二さんからパスを受けると、ボールが笑っている気がするんですよね。
最初、伸二さんの感覚でパスが出てきて、僕がそれに反応できなくて「このタイミングで出てくるんだ」と思ったのをすごく覚えています。2年間一緒にやらせていただいて、タイミングを感じ取れるようになって、伸二さんのスルーパスを相手の背後で受けて、ワンタッチでクロスを上げて、高原直泰(元ジュビロ磐田、ハンブルク、清水エスパルスほか)さんが決めた。あれはアドレナリンの量がすごかったですよ(笑)。
今でもサッカー教室で一緒になることが多いんですけど、子どもたちを自分の技術で楽しませるのは、あらためてすごいなと思いますし、それができないから憧れます。伸二さんの周りはみんな笑顔だし、雰囲気がいい。人の文句だとか、ネガティブなことを絶対に言わないし、本当にスーパーな人間性なんですよね。
【一番大事な存在】
右ウイング 武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)
自分のキャリアや評価が上がった要因のひとつに、彼とのホットラインがありました。特別指定選手でFC東京に来た時は、身体能力がすごいなと思ったけど、器用ではなかった。頑張るし、いいものを持っているんだけど、点は取れないなという印象だったんです。
でも、日立台(三協フロンテア柏スタジアム)で柏レイソルとの開幕戦にスタメンで出た時、プロ相手にガチな試合をして、眠っていた才能が開花したというか。潜在能力が解き放たれた瞬間をすごく覚えているんですよね。
最初はクロスを上げても合わないことが多かったけど、ずっとお互いに要求し続けて、それが東京での2年間で実って、クロスを上げれば決めてくれるという期待を持たせてくれる選手でした。
去年、JリーグアウォーズでMVPを取ってスピーチをしている時に、僕は会場で泣いていました。若い頃から知っているし、海外でのことも全部知っているので。去年もストイックがゆえに、いろんな制限をかけていた。それが報われた瞬間に立ち会えて、すごくうれしかったですね。
左ウイング 大久保嘉人(元セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、川崎フロンターレほか)
川崎時代の嘉人さんは本当に嫌な選手でした。ディフェンスライン上の駆け引きや一瞬の隙で置き去りにされる俊敏さ、アジリティ。あっという間にゴールを決められて、その後のパフォーマンスもすごく悔しかったですね。
FC東京にいた1年は思ったようなシーズンにはならなかったんです。だけど本当に負けず嫌いで、ロッカールームでチームメイトと戦うし、そういう姿勢や勝つためにやらなきゃいけないこと、指摘し合うところを率先してやって、東京を変えてくれようとしていました。嘉人さんのパッションをうまく東京流に変えることができたら、もっといいシーズンにできたと思いますね。
センターフォワード 小林悠(川崎フロンターレ)
本当はフローデ・ヨンセン(元名古屋グランパス、清水エスパルスほか)を考えていたんですけど、一番大事な存在は小林悠ですね。悠なしでは僕のサッカー人生は語れません。同じ東京都町田市出身で小学生の頃から切磋琢磨してきた。麻布大学附属渕野辺高校で一緒になりましたけど、僕がサッカー推薦で入れたのは、悠のお母さんがすごく働きかけてくれたおかげなんです。
初めて一緒に日本代表に出場したのが、2014年のジャマイカとの親善試合でした。僕がラスト5分ぐらいに出て、ショートコーナーをもらったんです。そこでひとり抜いてからクロスを上げて、それに合わせたのが悠だった。めちゃくちゃいいボールで「それ、絶対決めてよ!」というのを悠が外して、あれが決まっていたら僕のキャリアは違うものになってたな(笑)。そんな話もよくします。
僕たちを小さい頃から見てくれた指導者の方や仲間も含めて、代表で僕と悠が一緒に出た時は、ものすごく喜んでくれましたし、学校には卒業生の太田宏介、小林悠が代表選出みたいな垂れ幕も飾ってくれたりとか、すごく恩返しできたなと思う出来事のひとつでしたね。

>>後編
「太田宏介が選ぶJリーグ歴代レフティトップ10」につづく
太田宏介
おおた・こうすけ/1987年7月23日生まれ。東京都町田市出身。麻布大学附属渕野辺高校(現麻布大学附属高校)から2006年に横浜FCへ入団。その後、清水エスパルス、FC東京、フィテッセ(オランダ)、名古屋グランパス、パース・グローリー(オーストラリア)、FC町田ゼルビアでプレー。左足の正確なキックを武器に、サイドバックやウイングバックで活躍した。FC東京時代の2014年、15年はJリーグベストイレブンに選ばれた。日本代表では国際Aマッチ7試合出場。2023年シーズンを最後に現役を引退。現在はFC町田ゼルビアアンバサダー、解説者などで活動中。