<明治安田J1:東京V0-1鹿島>◇第37節◇30日◇味スタまさに「鹿島らしく」前進した。鹿島アントラーズは敵地で苦しみ…

<明治安田J1:東京V0-1鹿島>◇第37節◇30日◇味スタ

まさに「鹿島らしく」前進した。鹿島アントラーズは敵地で苦しみながら東京ヴェルディに1-0で競り勝ち、9季ぶり9度目のリーグ制覇に王手をかけた。川崎フロンターレ時代にリーグ4度を含む7度のタイトル獲得と黄金期を築いた鬼木達監督(51)が、プロキャリアをスタートさせた鹿島での就任1年目から手腕を発揮。12月6日のホーム横浜戦に勝てば、栄冠をつかむ。史上初の複数クラブでのJ1優勝監督へ、舞台は整った。

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追加タイム8分がとうにすぎてから試合終了の笛が鳴ると、名将・鬼木監督が拳に力を込めてほえた。「途中から出た選手も含めてチーム一丸となって難しいゲームで勝利するという1つの目標に向かってやってくれた」とうなずいた。

主要タイトル20冠の名門の復権を託された「優勝請負人」としてその役割を全うしている。鹿島が国内タイトルから遠ざかる8年間は自身が7冠と勝ちまくった川崎F監督時代に重なる。昨季限りで退任し、満を持して選手時代以来26年ぶりに低迷する古巣へ。「勝負に対するものは一番強くありたい。監督という立場で帰ってくるのであればそういう姿勢は一番見せたいと思っていた」。プロ入りの93年にジーコ氏から植え付けられた勝利への執念を自ら体現し、この日のように内容が芳しくなくても勝ち切るしたたかさをよみがえらせた。念願のリーグ制覇まであと1歩に迫った。

「鬼木流」で一体感が増した。川崎F時代と同様、自ら選手に歩み寄り、積極的にコミュニケーションを取る。先発、サブに分け隔てなく接し、調子の良い選手がいればタイミング良く起用。決勝点のMF松村は「今年は鬼木監督がずっと言っている、スタートだろうがサブだろうが(関係ない)というのを全員が共通認識をもってやれている」。起点となったMF荒木の活躍も含めてチーム全体の競争力が上がり、自然と互いを高め合える集団に変わっていった。

勝てば選手のおかげ、負ければ自分のせい。そんな姿勢で選手の心をつかんだ。口癖は「矢印を自分に向ける」。その原点は中学時代。サッカー部顧問は未経験者で、部員は11人そろわない時期もあった。練習メニューを自身が考えるような環境で「人のせいにしても仕方ない」との思考が身についた。最終節に向けて精神的支柱のFW鈴木も「相手どうこうではなく自分たちがいかに優勝していくためにどうやっていくか」とチーム全体に共通意識として浸透している。

運命のラストマッチはまさに自分たち次第の状況だ。2位柏の結果にかかわらず、ホームで横浜に勝てば文句なしのリーグ王者。指揮官は「最後は気持ち。己というか自分自身にどれだけ勝てるか。最後は相手ではない。チャレンジしないと道は開けない」。史上初の2クラブ目での優勝監督へあと1つだ。【佐藤成】

◆鬼木達(おにき・とおる)1974年(昭49)4月20日、千葉県生まれ。市船橋高からJ元年の93年に鹿島入り。川崎Fで06年に引退。コーチなどをへて17年から川崎F監督。就任1年目からJ1を2連覇。17~21年に国内3大タイトルを5年連続(7度)で獲得した日本人初の指導者に。167センチ