後藤健生は前回の「放浪記」で、サッカーと川の「深~い」関係について語った。今回は、川や海と関係の深いスタジアム、そして…

 後藤健生は前回の「放浪記」で、サッカーと川の「深~い」関係について語った。今回は、川や海と関係の深いスタジアム、そして日本代表が戦った「2度」の川中島の戦いについて筆をとる。

■初出場のW杯での「忘れられない」風景

 アジアを転戦して、最後にジョホールバルでの第3代表決定戦でイランを破って、ようやく出場権を獲得した初めてのワールドカップ。その初戦が、ワールドカップ2度優勝のアルゼンチンと決まりました。期待とともに恐怖も感じていました。アルゼンチンとはそれまでにも親善試合で対戦したことはありますが、はたして、本気のアルゼンチンとどこまで戦えるのか。大量失点してしまうのではないだろうか……。

 しかし、日本は善戦。エースのガブリエル・バティストゥータにこぼれ球を決められ、内容的には完敗でしたが、スコアは0対1でした。

 この試合の光景は今でもよく覚えています。場内には両国国旗を描いたボードが配られていましたが、日の丸を掲げる人が多く、まるでホームゲームのような光景でした。

 そして、入場券を持たずにトゥールーズにやって来たサポーターが、スタジアムを取り囲んでいました。入場券の空売りがあって、観戦旅行を企画したものの、入場券をゲットできない旅行会社が続出。観戦旅行を断念した人もいましたが、入場券なしに現地に赴いた人がたくさんいたのです。

 僕はメディア用のシャトルバスでスタジアムに向かいました。いよいよスタジアムが近づき、ガロンヌ川に架かる橋を越えるあたりで声援を送る大勢の日本人サポーターの姿を目にして、何か申し訳ないような気がして仕方がありませんでした。

 ちなみに、2007年のラグビー・ワールドカップでも日本代表がトゥールーズで試合をしています。こちらもフィジーに惜敗でした。

■アジアにもある「川中島」のスタジアム

 もうひとつ、川中島のスタジアムの中で有名なのが北朝鮮・平壌(ピョンヤン)にある綾羅島(ルンラド)5月1日競技場、通称メーデー・スタジアムです。収容力11万人と言われていますが、完成当時は15万人と称していました。いずれにせよ、世界最大級であることは間違いありません。

 1989年に完成し、「世界青年学生祭典」の会場となりました。その後ももっぱら政治的祭典の舞台となっており、ワールドカップ予選などサッカーの国際試合では市内の金日成競技場(キムイルソン・スタジアム)が主に使用されていますが、メーデー・スタジアムの巨大スタンドいっぱいに指導者の肖像などを描き出すマスゲームは有名です。

 平壌には大同江(テドンガン)という川がS字状に蛇行しながら平壌市内を北から南に流れているのですが、綾羅島はその北側の湾曲部にある中州です。

■日本が敗退した「もう一つ」のスタジアム

 1985年にメキシコ・ワールドカップ予選が行われたとき、僕は日本代表に同行して平壌を訪れましたが、帰国便がどういうわけか平壌に戻ってしまって滞在が延長されました。そして、5月1日にメーデーの祝祭行事に招待されたのですが、その会場が綾羅島でした。そして、案内人(監視人)に「あそこに巨大なスタジアムを建設している」と言われ、たしかに遠くで巨大な屋根の工事が行われているのが見えました。

 実は、大同江のもう一つの中州にもスタジアムがあります。

 大同江の南の湾曲部にある羊角島(ヤンガクド)にある羊角島競技場です。こちらは3万人ほど収容の小さなスタジアムですが、1989年のイタリア・ワールドカップ予選の北朝鮮対日本戦が行われ、日本は0対2で完敗して1次予選敗退となりました。

 日本には川中島に競技場があるという例は聞いたことがありません。おそらく、「滝のような」日本の河川では、大陸の川と違って中州の地盤が安定していないからなのでしょう。

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