【短期連載】証言・棚橋弘至〜真壁刀義が語る学生プロレス出身の誇り(後編) リングの上だけが、プロレスラーの戦場ではない。…

【短期連載】証言・棚橋弘至〜真壁刀義が語る学生プロレス出身の誇り(後編)

 リングの上だけが、プロレスラーの戦場ではない。棚橋弘至はボディメイクとメディア露出で、真壁刀義は「スイーツ真壁」としてお茶の間へ──それぞれのやり方でプロレスを世間に届けてきた。学生プロレス出身という共通点を持つふたりが見てきた世界とは。


「スイーツ真壁」としても人気の真壁刀義

 photo by Ichikawa Mitsuhiro(Hikaru Studio)

【若手時代から始まったスイーツとの縁】

── ふたりの共通点といえば、棚橋選手は興行のプロモーションやあらゆるメディアに出て自身を露出する活動を地道にずっとやられてきて、片や真壁さんも「スイーツ真壁」としてテレビに出て、自分たちとプロレスを世間に広めていくという作業をやってきたと思うんです。プロレス人気を高めている手応えはありましたか?

真壁 ありましたよ。オレが思っていたのは、「プロレスラーはプロレスだけやっていればいい」っていうのは違うだろってこと。だってそうでしょ? プロレスを知らないのにプロレスを見る? 見ないよね。じゃあ、プロレスを広めるために何をしたらいいかって、プロレスと並行して別のものに手を出してみたら、もしかしたらバズるかもしれないよねって話なんだよ。

 だから、オレはいつも後輩たちに「趣味を持て」って言ってるんです。いろんな趣味を持って、もっと雑誌とかネット等のメディアの取材を受けて、そういうところでちょろちょろと口を出せって。オレの場合は「真壁さんは普段は何をされてるんですか?」って聞かれた時に「練習やって、ちゃんこ番やって、スイーツ食って」って答えたら、「スイーツ? 真壁さん、スイーツがお好きなんですか?」と。「スイーツ好きに決まってんだろ。あれだけクソみたいな奴らに囲まれてよ、ストレス発散はスイーツだけに決まってんだろ!」って(笑)。

── 地獄からは甘味で逃げるしかなかった(笑)。

真壁 「そのスイーツはどうやって手に入れてるんですか? 外出禁止だから自分で買いに行けないですよね?」「それはおまえ、ファンが先輩たちに『よかったら食べてください』って渡したものを、先輩たちからもらってオレが食うんだよ。最高だろ?」みたいな(笑)。渡した選手が食べてなかったって、ファンの方には申し訳ないけど、もう時効だよな。しかもファンの方も高級なものをわざわざデパートで買ってくれる。

── 好きな選手には、普段自分が食べているものよりもいいものをプレゼントしたいというのがファン心理ですからね。

真壁 そうそう。だから「これ、めちゃくちゃ美味いな。どこのだろ?」ってところからスイーツの英才教育が始まってる。

── 英才教育! 若手時代からスイーツに関してはグルメだったと(笑)。

真壁 だから「スイーツ真壁」っていうのは、誰かにつくられたキャラクターじゃないんだよ。そこからパフェだろうが焼き菓子だろうが、どこのやつが美味いとか、ありとあらゆるスイーツの有名店を把握してた。きのう今日、慌てて仕入れた情報じゃないんだから。

【プロレス以外の情報発信が磨いた表現力】

── 一日二日じゃ成しえない、棚橋選手のボディメイクと同じですね(笑)。

真壁 まさにそう。棚橋が身体を絞ってボディメイクをしている時に、オレはスイーツ食ってお腹が出始めちゃった。バカ野郎ってそういうことなんですよ(笑)。だから結果、ボディメイクが棚橋の財産になって、スイーツがオレの財産になっている。

 オレがスイーツの情報をがんがん自分の中に入れて、「これ美味いよね」ってやってる時に、棚橋は「この二頭筋いいでしょう。三頭筋もいいでしょう」ってやっていた(笑)。それをやっているうちに、ふたりともプロレス以外の情報の飛ばし方ができるようになったんですよ。

── そのうち、スイーツの紹介の仕方もうまくなっていった。そういった経験も本業のプロレスにフィードバックされたりするんですか?

真壁 もちろん。たとえば食レポでコーヒーを紹介する時に「このコーヒーがどんな見た目をしていて、どういう香りがして、どんな味がするのか」を伝えなきゃいけない。「これ、苦いよね。でも甘みもあって香りがいいよね。あとはなんか最後に残る......これはなんだろう。コーヒー以外のビターな感じがするな」とか。そういうのってプロレスの試合と同じで、オーソドックスな試合をやって「こいつ、若手なのにいいよね。いいけど、でもなんか最後に何かが足りないんだよな。いや、最後の最後に負けて悔しがる顔がよかった!」みたいな。

 その顔っていうのはキャリアと試合を重ねていかないと出ない表情、出せない表現なんですよ。見ているお客さんはそいつの悔しがっている顔を見て「ああ、悔しいんだな」と思うだけで、それ以上はなんとも思わないかもしれない。だからこそ、そこをどう伝えるかが大事で、実況や解説の人にもそこに着目してもらえればお客さんに伝わるじゃないですか。そういう表現の部分も「スイーツ真壁」をやっているうちに気づいて、まわりが気づいていないところも全部伝えなきゃいけないよなって。だって、それが伝えられたら、プロレスがよりおもしろく見られるじゃないですか。

── ああ、なるほど。

真壁 オレたちがガキの頃に見ていた、古舘(伊知郎)さんや(山本)小鉄さんなんかはそういうところを伝えるのがうまかったんだなっていうのをすごく感じたんだよ。そしてプロレスラー自身は、自分で自分の大河ドラマをつくっている。プロレス自体も潰し合いが永遠と続く大河ドラマ。「でも、おまえらはあれか。大河ドラマに出たことねえからわかんねぇか」って(笑)。

── アハハハハ!  真壁さんは大河ドラマにまで進出しましたからね(笑)。

真壁 「大河ドラマはオレと長州力しか出たことないんだ、コラ」って。あとオレと棚橋の共通点ってことで言うと、学生プロレス出身っていうね。

【学生プロレス出身の誇り】

── そうですね。1999年、棚橋選手のデビュー戦の相手も真壁さんでした。

真壁 後楽園ホールですよ。あの日、たしか2試合しかなかったのかな? 柴田と井上がメインで「なんでオレと棚橋が第1試合なんだよ」って思った記憶がある。「ふざけんなよ、この野郎。だったら学生プロレスでやっていたオレと棚橋で最高のプロレスを見せてやるよ」って。

 学生プロレスラー同士が本物のプロレスラーになって、ましてオレなんかはデビューするまで先輩たちからひどい仕打ちを受けてきたなかでプロレスラーになったわけじゃないですか。だったらオレたちふたりですごいプロレスを見せてやろうと思ったんだな。だから、当時のレベルとしては相当高かったと思うよ。感情的にもそういうせめぎ合いの試合をやったので。だから、結局オーライなんだよ。棚橋もそこがスタートだから。

── 最初に真壁さんという学生プロ出身者が新日本にいたことは、棚橋さんにとっては救いだったんじゃないですか? 当時のプロレス界の学生プロレスに対するアレルギーというのはすさまじかったでしょうから。

真壁 オレ、新日本に出した履歴書に「学生プロレス出身」って隠さないで書いたよ。そんなもの、あとでバレてクビになるんだったら、最初から全部書いてやるわと思って。それでも入門テストに合格できたんで、「よし、やったるわい」と。

 だけどまあ入ったら、先輩はみんなオレに対して目の敵ですよ。「早く辞めさせてしまえ」というのがあった。でも、そんなことで負けるわけないじゃないですか。「おまえらみたいなクソ野郎からオレが逃げるわけねぇだろ、この野郎!」とずっと思ってた。そこから何年も地獄が続いたけど、もう今となっては笑える話だし。

【トップの景色はトップにしか見えない】

── 棚橋選手は来年の1月4日で現役を引退して社長業に専念することになるわけですけど、真壁さんはプロレスラーのキャリアの終え方についてはどういう考えを持っていますか?

真壁 プロレスの現場のことって、プロモーションとかも含め、プロレスラーが一番知っている。ここはどういう表現をしたらいいのか全部わかってる。オレはあと数年後には引退すると思うから、「じゃあ、引退後は何をしようかな」って考えた時に「オレをここまで育ててくれた新日本に恩返しだろうな」とは思うよ。

 それで現場に入るのか、たとえばかつての小鉄さんみたいなコーチという役職に就かせてもらうのか、それとも新日本のオフィスに入って営業をやるのか......とか。オレの理想として言うと、棚橋が社長でいるなら、矢野(通)が棚橋の側近として付いてやればいいと思うんだよ。そこでオレは何をやるかといったら、営業が一番ありがたいんだよね。だって、誰よりも世間に顔が売れてるわけだから。

── 自分がやるなら、知名度を生かした営業職だと?

真壁 自分自身がどう生きるかというよりも、新日本プロレスにどれだけ恩を返せるかだね。それで新日本には、この先もオレみたいなクソ野郎をどんどん育ててくれたら一番ありがたいなと思ってる。さっき言ったみたいに、いいも悪いもふつうの生活ができなかった奴らの集まりなんだから、それを逆手に取りながら理想のプロレスラー像と同時に、人間としても構築することができていけたら一番ありがたい。「新日本プロレス・人間教育セミナー」みたいな。たぶん、そうなっていくんじゃないかとオレは思うんだよな。各自それぞれの持ち場で得意なことをやっていくというね。

── プロレスの現場はプロレスラーが一番よく知っている。さらにトップを獲った人たちにしかわからないプロレスというものもあるわけですよね。

真壁 トップから見た景色って、トップじゃないとわからない。誰が何を言おうが、そんなものは絶対にわからないはずだよね。だって、トップは自分が団体を引っ張っていかなきゃいけないんだから。自分がチャンピオンに君臨しているからこそ、お客が集まって、「さあ、どういう試合をするんだ」ってみんな期待をしているわけ。トップはそこの思いも引き上げなきゃいけない。

 そのためには、どういうプロレスラー像であるか、どういう考えであるか、どういう立ち振る舞いをして、どういうファイトで、お客をどこまで沸かせられるか、興奮させられるか。そして、もう一度プロレスを見に来させるか。その答えは選手のここ(頭の中)にしかないんですよ。

 だから棚橋は、それをどこまで発揮して、結果として見せられるというのが、社長としての腕の見せどころだよね。このあとに続く後輩たちをどうやって引っ張り上げるのかっていう。棚橋もそこを考えていると思うよ。上に上がれば上がるほど、「オレだけ光ればいいじゃん」って考えてる奴はひとりもいない。だって、大元の会社がなくなったら、おまえなんか跡形もなくいなくなるぜって話なんで。新日本で育ったのなら、優秀な新日本の後輩をどれだけつくれるかですよ。

── 棚橋選手は「100年に一人の逸材」を自称し続けてきました。

真壁 正直それだとまずいんだよ。これからは「棚橋は100年に一人じゃない。本当は10日に一人の逸材だった」ってくらい、優秀な後輩をいっぱいつくっていかなきゃいけないんだよ。それができたら「100年に一人の名社長」になれるんじゃねえかってね。これから棚橋には、そういう闘いが待ってるんだよ。

真壁刀義(まかべ・とうぎ)/1972年9月29日生まれ。神奈川県出身。96年2月に新日本プロレスの入門テストで合格。97年2月15日、大谷晋二郎戦でデビュー。豪快なファイトスタイルでG1 CLIMAX優勝やIWGPヘビー級王座、NEVER無差別級王座など数々の実績を残す。一方で、テレビ番組でスイーツ好きを披露し人気を獲得。プロレスの枠を超えて知名度を広げ、新日本プロレスの黄金期再興に大きく貢献した。棚橋弘至らとともに激動期を支えた"同志"として、いまなお存在感を放ち続けている