『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(15)PFUブルーキャッツ石川かほく 松井珠己 前編(連載14:デン…

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(15)

PFUブルーキャッツ石川かほく 松井珠己 前編

(連載14:デンソーでセッター、リベロでもプレーする川岸夕紗「あれもこれもできると思ってもらえたら」>>)

【強豪クラブチームで培った土台】

 パリ五輪メンバー落選の受け止め方に、PFUブルーキャッツ石川かほくのセッター、松井珠己(27歳)のバレーボールとの向き合い方が濃厚に出ている。

「何も、バレーのすべてが終わるわけじゃない」

 松井は毅然として言う。

「応援してくれた方のためにも舞台に立ちたかったですが、落選は気にならなかったですね。自分はできることをやってきて、それで選ばれなかっただけ。どうにもならないことをいくら思っても、(その時間が)もったいない。自分が過ごしてきた過程が間違っていたとも思いたくなかったので」


PFUブルーキャッツ石川かほくのセッター、松井珠己

 photo by 西村尚己/アフロスポーツ

 そこで聞いた。

――選手としてゴールはあるのか?

 彼女は即答した。

「ないですね。ゴールがないから頑張れる。『そういったものがあるほうがいいのかな』って思うこともあるんですけどね。やりたいプレーはいっぱいあります! 毎年、自分を更新していきたいんです」

 松井はバレーの探究者だ。

 千葉県松戸市に生まれ育った松井は、母がママさんバレーをやる姿に興味を持った。ただ、松戸市内のクラブではなく、東京都葛飾区にある東金町ビーバーズへの入団を決めた。男子日本代表セッター、関田誠大など多くの選手を輩出している、バレー界で有名な"虎の穴"だ。

「ビーバーズは『厳しい』と言われるんですが、私にとってはそれが初めてで当たり前だったんです。楽しかったし、『勝つためにはこうやるんだ』って学ぶことができました。あらためて振り返ると、『厳しかったんだな』と思うことはありますけど」

 松井は懐かしむように言った。練習に行くために電車を使うことになるため、小学校3年生になったら入団する、という話になったという。その間、うずうずとしていたが、活発な少女は体操、サッカー、バスケと体を動かしていた。

「バレーは、みんなでつなぐ、ボールを落とさない、ひとりじゃできない、ということに惹かれました。ミスしてもカバーしたらつながるところとか」

 練習で出されるボールは厳しかった。"ワンマン(コートの半面、または全面をひとりで守り、ボールに食らいつく練習)"の伝統も息づいていた。そこで基礎を叩き込まれた。「レシーブはあまり好きじゃない」と彼女は言うが、自然に鍛えられ、土台ができたのだ。

【高校からセッターに】

 中学生でもバレーを続けたが、高校生では続けないつもりだった。本人はセッターに憧れていたが、進学先の候補だった県内の高校にはリベロでしか入れなかったという。

「中学生までずっとリベロだったんですが、小学5、6年生の時にセッターをやったことがあって。試合に出たわけじゃなかったんですけど、監督に『セッターのセンスがある』と言われて。トスを上げる、打たせるというのが楽しかったんです。

 それが、私のセッターの原点ですね。最近、監督にその話をしたら、『俺、そんなこと言ったんや』って言っていましたけど(笑)」

 のちに日本代表セッターになる松井のバレー歴は、中学生まで、しかもリベロで終わっていたかもしれない。

 そんななか、富山第一高校の監督からの「セッターをやってみるか?」という誘いが、運命を決めた。

「富山第一高に行ってなかったら、今の自分はいないと思います。監督さんが型にはめず、いろいろ教えてくれました。『こういう攻撃をやりたい』と提案した時も否定されませんでしたね。体が大きくなったから、コンプレックスだったオーバー(ハンドパス)も飛ぶようになりました。ビーバーズで教えてもらった基礎のおかげです」

 セッターとして覚醒するきっかけとなる出会いはほかにもあった。ミドルブロッカーのふたりが、ラリー中に何回もスパイクの位置に入って、とにかく跳んでくれる。そのなかでコンビの質を高め、ミドルを使うのが好きになり、強みになった。

 合宿では、夜は大部屋でチームメイトたちと寝た。隣の大部屋にはほかのチームの選手たちがいて、「明日の練習試合はどうやって勝つ?」と夢中で話し合った。目の前の一瞬がすべてで、刹那を生きていた。

「その一日一日が、先につながったんだと思います」

【日本のトップ選手たちから受けた刺激】

 松井は日本女子体育大に進学し、アンダーカテゴリーの代表に選ばれた。U20世界選手権では強豪トルコとの激闘を制して3位に入り、自身はベストセッター賞を獲得。そこで自信がついたという。また、2019年のアジア選手権では、若手主体のB代表のセッターとして、石川真佑、山田二千華を自在に操ってアジア女王に輝いた。

「石川選手には勝負強さを感じました」

 能力の高い選手たちとコンビを組むことで、さらに腕を上げた。

「石川選手は、試合の終盤で上げれば決まる感じ。私は後から合流してコンビを合わせる時間がなくて、どんなトスがほしいのかわからない状態でしたが、上げると必ず踏み込んでくれるし、ちゃんと決めてくれる。空中に止まってのクロスが得意で、『肩が柔らかいな』と感動しました。

 山田選手も、『いいミドルだな』と思いましたね。スピードがあるし、ワンレッグだけじゃなく、フロントクイックも打てるし、無駄な動きがなかったです」

 松井はシニア代表に初選出された2020年、当時Vリーグのデンソーエアリービーズに入団した。年を追うごとに出場機会を増やし、やがて主力になった。ポジショニングやタイミングの良さが称賛され、「周りを輝かせるセッター」と呼ばれるようになった。そして2023‐24シーズンには、ブラジルに新天地を求めている。

「ずっと海外でプレーしてみたくて。『リスクが高い』とも言われたけど、プラスしかなかったです。ブラジルの選手はスイングが遅かったり、カバーもしてくれなかったりという面もありましたが、日本人とは違う勝負強さがあった。終盤になるほどジャンプが高くなって、『私に持ってきて!』ってなるんです。それぞれが、思ったことを言い合える環境もよかったですね」

 彼女はその環境に適応し、技術も上げた。パリ五輪に向けた最終予選でも、井上愛里沙とのコンビで際立つ活躍を見せた。プエルトリコ戦はひとつのハイライトだ。

 しかし、パリ五輪メンバーからは外れた。その後はアメリカのリーグにも挑戦もしたが、落選とは関係ないという。落ち込まず、純粋にバレーと対峙した結果なのだ。

 2024-25シーズンからは、ブルーキャッツで新たな一歩を踏み出した。上位8チームに入り、チャンピオンシップに進出するのが目標だが、まずは、ひとつひとつのプレーを積み重ねていく。

「難しい場面で、『縦でクイックを使って......』と考えるのが好きですね。スパイカーに、そこに跳んでもらえるように」

 探究するセッターの肖像だ。

(後編:石川かほくの松井珠己が選ぶ『ハイキュー‼』ベストメンバー セッターを影山飛雄ではなく菅原孝支にした理由は?>>)

【プロフィール】

松井珠己(まつい・たまき)

所属:PFUブルーキャッツ石川かほく

1998年1月10日生まれ、千葉県出身。170cm、セッター。小学校3年で東金町ビーバーズに入団。富山第一高校では春高バレーに出場。日本女子体育大時代からアンダーエイジカテゴリー日本代表として主力を担い、世界ジュニア選手権大会、ユニバーシアード競技大会での銅メダル獲得に貢献した。卒業後はデンソーエアリービーズで3季を過ごしたのち、2023-24シーズンはブラジルのスーペルリーガ、翌シーズンはアメリカのリーグ・ワン・バレーボールでプレーし、2025年にPFUブルーキャッツ石川かほくに入団した。