元ホンダ・浅木泰昭 連載「F1解説・アサキの視点」第2回 後編 ホンダの技術者として、F1最強のパワーユニット(PU)と…

元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第2回 後編

 ホンダの技術者として、F1最強のパワーユニット(PU)と日本一売れている車N-BOXを開発した稀代のエンジニア・浅木泰昭氏。2023年にホンダ(本田技研工業)退職後は、モータースポーツ解説者としても活躍している。

 F1は2026年から自動車メーカーが続々と新規参戦するが、浅木氏は参戦メーカーが増えれば、撤退するメーカーも増える可能性があると指摘する。連載第2回の後編は、メーカーが長期的に安定してF1に参戦する難しさについて語ってくれた。



2026年からホンダはアストンマーティンにパワーユニット(PU)を提供する photo by Honda

【"無慈悲で忖度なし"がF1の厳しさであり魅力】

 F1に低コストで迫力あるサウンドが出る自然吸気エンジンへの回帰の動きがあると話しましたが(前編)、主催者側が安価なエンジンにこだわる理由として、自動車メーカーが撤退した場合に備えるという側面もあるでしょう。F1人気が高まっているなか参戦するメーカーが増えれば、撤退するメーカーも必ず出てきます。それはセットだと思います。

 というのも、F1は無慈悲で忖度のない世界だからです。レースを面白くするために、BOP(バランス・オブ・パフォーマンス)と呼ばれるマシンの性能調整を行ない、興行として勝ったり負けたりの接戦を演出するということはF1にはいっさいありません。強いチームが勝ち続け、弱いチームが負け続けるという競技。そこが、技術者として私がF1をすばらしいと思う理由のひとつです。

 ル・マン24時間レースや、日本で人気が高いスーパーGTもBOPを導入していますが、それをずっと拒否し続けてきた唯一の最高峰レースがF1だと言っていい。忖度や配慮のない世界ですから、メルセデスが2014年からコンストラクターズタイトル8連覇を達成したり、2022年のレッドブル・ホンダが22戦中21勝したりするのです。

 逆に言えば、まったく勝てずにボコボコに負け続けるメーカーも必ず出てきます。2015年にマクラーレンと組んで第4期のF1活動をスタートしたホンダがまさにそうでした。デビュー当初からホンダ開発のパワーユニット(PU)がライバルよりもパワーで劣るだけでなく、信頼性にも欠き、2015年からの3シーズンはレースでは完走することさえままならない状態が続いていました。

 結果が出なくても3年くらいはなんとか耐えられると思いますが、それ以上になると、「たくさんのお金を使っているのにブランド価値を落としているとは何事だ」と社内で必ず問題になってくるはずです。

 そんな批判にルノー(アルピーヌ)は耐えきれず、自社でPUを開発するのを2025年シーズン限りで断念しています。ホンダはマクラーレンに見切りをつけられたあと、トロロッソ(現レーシングブルズ)と契約することができましたが、それがなかったら第4期のプロジェクトは一度も勝てずに撤退していたかもしれません。

【長期的なF1参戦のカギは分配金】

 F1の運営側がPUを開発する自動車メーカーの撤退を危惧しているようですが、車体を作るコンストラクターに支払われる分配金(チームの成績に応じて支払われる賞金)の一部をPUメーカーに回す仕組みを構築すれば、問題はすべて解決すると私は考えています。

 各チームにはランキングに応じてF1の運営会社から分配金が支払われます。分配金はF1全体の商業収入の約半分が充てられ、チームへの支払い総額は10億ドル(約1500億円)を超えると言われています。

 一方で、PUを開発・供給する自動車メーカーにはそうした分配金のシステムは設けられていません。F1の主催者には、自動車メーカーは"金づる"という意識がずっとあります。

 私が最初にF1に関わった1980年代のターボ時代は開発が自由だったので、毎レース、たくさんのエンジンを持ち込んでおり、予選用と決勝用のエンジンがあって、セッションごとに載せ替えていました。

 でも現在は年間で使用できるPUの数を制限し、PUメーカーに年間のコストキャップ(予算制限)を導入している。2026年以降のコストキャップは1億3000万ドル(約195億円)となりますが、それでもまだ自動車メーカーの持ち出しとなっています。

 自動車メーカーが不景気になった時に社内で真っ先に目をつけられるのが不採算部門で、そのなかにモータースポーツが入っています。赤字を垂れ流すプロジェクトを続けていると、経営者が責任を問われます。

 しかし分配金が支払われ、F1活動の収支がプラスマイナスゼロ、あるいは赤字の金額が微々たるものであれば、「経営が苦しいのにF1で予算を使うのですか?」と株主や投資家に指摘されても、撤退する必要はなくなります。

 今、アメリカのマーケットをうまく取り込んで、F1はPUメーカーに分配金を支払えるだけの収益を上げられるようになってきています。PUメーカーにも分配金をきちんと回す仕組みを構築できれば、ただ安くて音が大きいだけのエンジンにしなくても、少し不景気になったくらいで自動車メーカーが撤退しないようになるはずです。

 逆に分配金の問題を解決しない限り、2026年にたくさんの自動車メーカーが新たに参戦したとしても、長期的に安定して参戦するのは難しいと思います。

第3回へつづく

<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。