3大会目のパラリンピックでスノーボード日本初のメダルを目指す──義足のスノーボーダー小栗大地は、“挑戦する人”だ。「人と…

3大会目のパラリンピックでスノーボード日本初のメダルを目指す──義足のスノーボーダー小栗大地は、“挑戦する人”だ。「人と同じことをやっていても面白くない」と話す第一人者は、「うまくいかないときは、次のステップにいくチャンス」と捉えて「ここを乗り越えたら進化できると思うと、うまくいかない時間が楽しくなる」というマインドの持ち主。日本代表チームのキャプテンでもある小栗は、どんな道を歩いてきたのか。

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1981年愛知県生まれ。小学5年でスノーボードを始め、25歳でプロ選手に。2013年に仕事中の事故で右足を切断した後、35歳でパラスノーボードの大会に初出場。以降、LL1クラスで活躍し、パラリンピック2大会に日本代表として出場。ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会ではスノーボードクロスとバンクドスラロームのメダル獲得を目指す。

アルペンスノーボーダーの夢

今では欠かせない義足との出会いは、まだ足があった頃です。僕はアルペンスノーボードをしていて、よくニュージーランドで練習していたのですが、お世話になっていた宿でオーナーの知人だという、日本人の高校生スキーヤーに出会いました。片足義足だったその高校生は、ゲレンデにいるときは“一本足”。片足で急斜面のコースをギュンと連続で切り返していく姿が衝撃的でした。たとえ自分の足がなくなっても、『こいつには勝てないから、スキーをやることはないな』と少し思ったりして。まさか自分が本当に義足生活になるとは思ってもいませんでしたけど……。

事故に遭ったその日、考えたのが『義足でもスノーボードはできる』ということ。あのときの高校生・三澤拓はアルペンスキーの日本代表としてパラリンピックに出場していました。退院してからすぐ拓に連絡し、義足でどう生活をしていくか聞きました。スノーボードでパラリンピックを目指すことを決めたのもそのときです。

パラアルペンスキー三澤との出会いが、義足との出会いだった

最初のサポーターズカップは歩行用の義足で出場しましたが、膝がグラグラして滑るのが大変でした。その後、ドイツメーカーの競技用義足を経て、現在のアメリカの義足、バイオダプトを使うようになりました。国内で競技用義足を使っているのは、ナショナルチームの選手くらい。だから今はメカニックはいなくて、細かい調整は自分たちでやります。自分の技術、滑り方が変わればセッティングも変わり、ダメだとおもったセッティングもしばらくしてもう一度やってみたらよかった、ということだってあります。現状維持はしませんし、わからないことはひたすら試します。今では、そのときの感覚を頼りに調整できますね。

メダル候補として臨む大舞台
小栗は昨シーズン、スノーボードクロスで日本選手として初の世界選手権メダリストになった

2023-2024シーズンからスノーボードクロスのトッププロである元木勇希さんがナショナルコーチになり、細かいところまで教えてもらうことができたことが成績につながっています。僕自身は、今までできなかった“裏を使う”技術もできるようになった。下腿義足と大腿義足では身体の使い方が異なることがあるけど、『こういう滑りをしたほうがいいんじゃないか』『それを義足でするのはどうしたらいいか』……という感じで話し合いながら進めているのもいいんじゃないかと思います。

写真は北京大会にも出場した5人(左から大岩根正隆、岡本圭司、小栗、市川貴仁、小須田潤太)。初代表候補の2人も加わり、チームの雰囲気はいい

チームは皆、とても仲がいいです。W杯とか国際大会では勝った人がみんなにご飯をふるまいます。それは、そろそろやめてもいいですけど(笑)。ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会の目標は、“チーム一丸でメダル獲得”です。だれかがメダルを獲れば、チーム全体の強化費が増えるわけで、みんなの競技環境が良くなる。だから、僕の場合は自分がダメでも、『(同じクラスで戦う、小須田)潤太が獲ってくれ』って思うことができます。

ミラノ・コルティナは、これまでとは違って入賞では意味がないですね。パラリンピックは、3回目。チームとしても結果が必要なときです。

だれかがメダリストになることで競技を続ける素地ができ、次のパラリンピックにつながる、と小栗

text by Asuka Senaga

photo by Hiroaki Yoda