■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」 野球人口が減り、高校の野球部も減少する中、廃部した野球部を復活させた元プロ野球選手がい…

■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」

 野球人口が減り、高校の野球部も減少する中、廃部した野球部を復活させた元プロ野球選手がいると聞き、森(北海道)を訪ねました。

 森は函館市から北に車で約1時間。人口約1万3千人の町にあります。

 生徒数は74人。1999年度は約200人いましたが、半数以下に。野球部は8年前に人数不足で活動休止となり、21年には運動部を総合運動部に再編する一環で廃部になりました。その総合運動部の野球部門として4年ぶりに復活させたのが地元・森町出身の吉田雄人監督(30)です。

 高校時代は北照(北海道)で俊足好打の外野手として活躍し、3年では主将。春夏合わせて3回甲子園に出場して高校日本代表にも選出。13年秋のドラフト5位でプロ野球オリックスに入団しました。

■プロではわずか14試合の出場

 しかし、プロ生活は人生初の挫折体験でした。1軍出場はわずか計14試合。プロで唯一の安打を放った5年目のオフに戦力外通告を受け、引退しました。

 「高校までは順風満帆でも、プロでは何もうまくいかなかった。挫折に慣れていなかったので、もう野球には関わりたくない、とすねていました」と振り返ります。

 引退後は大阪の映像製作会社に勤めるなどし、23年に札幌でトレーニングジムを開業しました。頼まれて母校のコーチを務めたことが転機になりました。

 「自分が積み上げてきたものが、後輩たちにとって価値のあるものであることに気付いた。自分がプロに行けたのも指導してくれた方々のお陰。それを自分もつないでいかないと、と思ったんです」

 高校野球の監督になりたいという高校時代の夢をかなえるため、故郷の森町にある森高校を調べると、すでに廃部していました。それでも「ゼロからやったら楽しそう」とあきらめないのが、すごいですね。

■野球部を復活させて、地域活性化にもつなげたい

 野球部を復活させて廃校危機の高校を活気づけ、地域活性化にもつなげたい――。企画書をつくって町長に提案。24年に町の地域おこし協力隊に就任し、活動しています。

 熱い思いが伝わり、周辺企業が、腰までの高さの草が生えていたグラウンドの整備や、選手が住む寮づくりなどに協力してくれました。そして今年は町外から4人の入部希望者が入学しました。

 上出蒼空(そら)選手(1年)はその一人。札幌での中学時代は不登校も経験しましたが、「もう一度野球がやりたい」と森に入学を決めたそうです。

 「吉田監督の情熱や野球への思いが心にグッときた。元プロに指導してもらえるし、自分も野球がうまいわけじゃないので、人数が少なければ経験が積めると思った」

 中学では外野や一塁手でしたが、今は投手に挑戦中です。「ポジティブになれて、精神的に変わってきた」と話してくれました。9月には転校生も1人加わり、部員は計5人になりました。

 野手だった吉田監督も、試行錯誤しながら体当たりで投手や捕手の指導もします。

 「高校時代は周りに『何でこんなこともできないの』と思っていたけど、プロでは、やろうと思ってもできないことがあると分かった。その経験で教える側の気持ちが分かった」と吉田監督。

 9月にあった秋季道大会の地区ブロックでは、近くの七飯(ななえ)との連合チームで初勝利を挙げました。「町の人たちが本当に喜んでくれたのが、うれしくて」

■「毎日ユニホームを着るのが楽しみ」

 次の目標は部員を増やして大会への単独出場と、甲子園出場です。

 「1期生は僕以上に覚悟をもって飛び込んできてくれた。高校以降も野球を続けられる選手になってほしい」と吉田監督。選手の人生をサポートしているという実感に、「指導者として一番の幸せを感じている」そうです。

 「本当に野球が好きな子どもたちとやれて、今はめっちゃ楽しい。現役時代と違い、毎日ユニホームを着るのが楽しみ」と話します。

 僕もプロ野球生活は、うまくいかないことが多かったので、吉田監督の言葉に深く共感しました。深い挫折を知ったからこその笑顔が印象的でした。