中島佑気ジョセフ(陸上400m)インタビュー@後編世界陸上1カ月半前は出場すら危うい「崖っぷち」だったなぜ200mではな…

中島佑気ジョセフ(陸上400m)インタビュー@後編

世界陸上1カ月半前は出場すら危うい「崖っぷち」だった

なぜ200mではなく「キツい400m」を選んだのか

 今年9月に開催された「東京2025世界陸上」にて、男子400mで6位入賞した中島佑気ジョセフ(富士通)。今や日本記録保持者であり、世界で活躍するスプリンターだ。

 しかし意外にも高校時代は、インターハイで決勝に進むことさえ叶わなかった選手だった。

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中島佑気ジョセフは東洋大で才能が一気に開花した

 photo by Koreeda Ukyo

「ケガが多かったんです。高2で200m、100mをやろうとしてケガをして、その秋はまったく試合に出られず、高3に入ってからも何度か再発しました。

 本当はインターハイすら行けるかどうかぐらいの感じだったんです。都大会は3位で、南関東大会ではランキングで真ん中ぐらいでしたから」

 それでも、南関東大会では予選で当時の自己ベスト(48秒05)をマークし、決勝では4位に食い込み、個人種目の400mと4×400mリレーの2種目で全国大会の切符をつかんだ。

「自分でもポテンシャルはあると思っていたので、そこからしっかり巻き返せば(全国で)表彰台も狙えると思っていました」

 中島は自信を持って、全国の舞台に乗り込んだ。

 しかし、予選のレースでまたしても脚を痛めてしまう。準決勝は組3着となり、決勝はあと一歩、届かなかった。

「高校生はインターハイがすべて。僕もそこにかけてきたので、目の前の現実がめちゃくちゃ悔しかったです」

 大会終盤には4×400mリレーが残されていたが、脚を痛めた中島は出場を見送った。顧問の山村貴彦先生も、中島に無理を強いることはなかった。

「たぶん僕が走っていたら、リレーで決勝に行けたと思うんです。でも、準決勝で落ちてしまいました。山村先生は僕を走らせたかったと思うんです。でも、そうはしなかった。インターハイの、しかも決勝に行けるかどうかという時に、使わないという判断をしてくださいました。

 高校時代にめちゃくちゃ練習量を積めば、たぶんもっと速くなっていたと思うんです。ただ、成長期なので消耗してしまうリスクもある。先生は僕のポテンシャルを理解してくださっていて、高校時代よりも大学やシニアでの活躍を考えてくださっていました。だから、ケガをした時に無理をさせることもなかった」

【オーダーメイドの指導でついに日本一】

 最初で最後のインターハイは悔しい結果に終わった。だが、山村先生のそんな指導方針もあって、中島は大きなポテンシャルを秘めたまま東洋大に進む。

 そして大学での4年間で、その才能が一気に花開く。

「身長が高いと、それだけ自分の体を扱うために時間がかかる。人よりも多くの技術とか、自分の体をコントロールする筋力が必要になるので、晩成になる傾向はあると思っていました。

 大学2年ぐらいでやっと身長が止まって、それまでは全然自分の体を扱いきれていなかったのが、少し扱えるぐらいの筋力がついてきました。自分の身長の高さや脚の長さをパフォーマンスに発揮できるようになったんです」

 こう話すように、ようやく身長192cmの恵まれた体躯を生かせるようになっていった。

 さらには、東洋大の梶原道明監督の指導も中島に合っていた。

「監督は一人ひとりに対して、その人が必要なことをオーダーメイドで指導してくださいました。僕も監督とのコミュニケーションを絶対に怠らないようにして、気になることや違和感などがあれば、すぐに言うようにしていました。

 そうしたら、監督が処方箋を出してくれる。完全に答えを提示してくれるわけではなく、改善するために必要な道筋を示してくれるので、自分で考える余地があるんです。監督は僕の特性を理解したうえで、親身に見てくださいました」

 大学時代の中島は、毎年のように自己記録を更新していく。高校3年時に48秒05だったのが、大学4年時には45秒04まで伸ばした。そして、大学4年時の2023年の日本選手権では、ついに日本一に輝いた。

 さらに、地元開催の東京五輪には届かなかったものの、世界陸上には2022年オレゴン大会、2023年ブダペスト大会と、在学中に2度出場を果たした。

 一気に日本のトップに駆け上がった中島が「ブレイクスルーだった」と話すのが、4×400mリレーの一員として出場したオレゴン世界陸上だ。

【世界のトップ選手から学んだこと】

「自己ベストがまだ46秒台でしたが、マイル(4×400mリレー)のラップで44秒6を出したので、(個人種目の400mで)45秒台が出ないわけがない。むしろ出さないといけないっていう気持ちが強くなりました」

 実際、オレゴン世界陸上を終えた翌月、中島は自身初の45秒台をマークした。

 そして、もうひとつ中島が実感したのが、世界との距離だ。それは「まったく戦えなかった」というネガティブなものではなく、むしろ「遜色なく戦えた」というポジティブな実感だった。また、日本代表として世界と戦ったことで、その自覚と責任も芽生えた。

 さらなる転機となったのが、大学4年になる前の冬季に日本陸連の遠征で、南カリフォルニア大学(USC)で合宿を行なったことだ。同大学を拠点とするマイケル・ノーマン(オレゴン世界陸上の男子400m金メダリストで日本人の母を持つ)や、ライ・ベンジャミン(パリ五輪と東京世界陸上の男子400mハードル金メダリスト)といった世界のトップ選手と交流を持つことができた。

 英語を話せる中島は、レース戦略のことや、どんな考えを持って競技に取り組んでいるかなどを尋ねたという。

「特にノーマン選手は、僕らが想像するステレオタイプのアメリカ人とは真逆で、めちゃくちゃ繊細ですし、戦略も緻密に立てる完璧主義者でした。お母様が日本人っていうのは僕も一緒ですから、親近感もありました。

 そういった選手がプロ意識を持って、毎回選択を迫られるたびに『この行動は陸上にとってプラスなのかマイナスなのか』をしっかり考えて、合理的に進めていく。そういった姿には、本当に感化されました」

 この時は短期間の滞在だったが、中島は大きな衝撃を受けた。

「僕はまだ個人で世界大会に出たことがなかったですけど、ノーマン選手やライ選手の走りや考え方に間近で触れて、環境ってすごい大事だなと感じました。

 世界のトップでいることが当たり前の環境に自分もいれば、そういった思考に(自分も)変わってきます。世界のトップを目指したいと思った時に、USCでやりたいと思うようになりました」

【いつしか44秒台を神格化してしまった】

 中島は単位をほぼ取得済みだったこともあって、大学4年時の11月から卒業までの5カ月間、安藤財団の支援を受けてUSCでトレーニングを積むことが叶った。異国の地で初めてのひとり暮らし。電気や水道の手続きや移動手段の確保など苦労も多かったが、世界のトップスプリンターと同じ練習拠点で活動できる充実感も大きかった。


中島佑気ジョセフが語った今後の目標とは?

 photo by Koreeda Ukyo

 社会人1年目の昨季も、4月から6月中旬にかけてアメリカでトレーニングを積んだ。ケガや体調不良もあってアメリカでのトレーニングの成果をなかなか発揮できずにいたが、この夏ようやく真価を披露した。

 まずは8月3日の富士北麓ワールドトライアル2025で自身初の44秒台をマークし、土壇場で世界陸上の参加資格もクリアした。

「それまで『45秒』は壁でしたね。自分で無意識に壁を作ってしまっていた。最初の頃は44秒台を狙うのが『楽しい』と思えるフェーズだったんですけど、途中から『出さなきゃいけない』と思うようになっていました。

 自分のなかで44秒台を神格化しているというか、44秒台を出すにはすごいことをしないといけないっていう固定観念があったんです。そうなると、変に力が入ってしまって、ムラがある走りになっていました。今見ても、2023年からは走りがガチャガチャしているなって思います」

 その壁を越えてからの中島がすごかった。

 世界陸上では予選で44秒44の日本新記録を打ち立てると、準決勝、決勝と3レースすべてで44秒台を揃えた。そして、世界の6位まで上り詰めた。

「1回超えてしまうと、『自分のものにしたな』っていう感じがあるんです。再現性に関しては、すごい自信があるので。最初に44秒台を出した時に『どうして出せたのか』を、心理的な要素や技術的な要素を含めて分析し尽くしました。自己分析を徹底することが、たぶん、再現性の高さにつながっているのかなと思います」

 今季は紆余曲折があったものの、最終的には中島の思うようなパフォーマンスに行き着いた。6位入賞の快挙は、中島にとっては計画どおりと言えるのかもしれない。

【技術を改善すれば勝手に43秒台は出る】

「ある意味、自信家というか、すごい未来志向というか......。自分のポテンシャルが発揮された時には、たぶん周りの人が考えているよりも、はるかに上をいくパフォーマンスができるだろうなって思っていました。

 現実を見つつも高い目標を自分にセットしたからこそ、自分もそれに引っ張られたというか。『自分で思ったことは自分で成就させる』って思ってやってきました」

 困難に直面した時にも、決して目標を見失うことはなかった。そのメンタルの強さこそが中島の大きな武器なのだろう。遠回りすることがあっても、自分が照準を定めた地点になんとかたどり着いた。

 世界のファイナリストになった充足感はもちろんある。だが、23歳の中島はまだまだ進化の途中。ここで足を止めるわけにはいかない。

「ようやく陸上競技の核の部分に触れられているというか、そういったプロレベルの段階にようやく一歩を踏み入れたぐらいです」

 驚くべきことに、そんな言葉を口にする。

 来たる2026年は、名古屋で開催されるアジア大会の優勝はもちろん、陸上競技の世界最高峰シリーズ戦「ダイヤモンドリーグ」での優勝も目標に掲げている。さらには9月にハンガリー・ブダペストで初開催される世界陸上アルティメット選手権では「3位以内を目指したい」と言い、世界のトップスプリンターとして確固たる地位を確立させることが目指すべきところだ。

 それには43秒台の記録が必要になってくるが、そこに到達するための道筋は、すでに中島の頭のなかにある。

「スピードの絶対値はほかの選手に比べたら低いですし、コーナーリングなどの足首の使い方もまだまだ。技術的に追求する余地はたくさんあるので、そういったところを改善すれば勝手に(43秒台は)出ると思いますね」

 大風呂敷を広げるような発言でも、これまで実現してきた。それだけに、中島ならやってくれそうな気がする。その先の北京世界陸上やロサンゼルス五輪に向けて、まだまだ中島の快進撃は続きそうだ。

<了>

【profile】
中島佑気(なかじま・ゆうき)ジョセフ
2002年3月30日生まれ、東京都立川市出身。小学生から陸上を始め、城西大附城西高を経て2021年に東洋大へ。2023年・2024年に日本選手権400m連覇。2024年パリオリンピックでは4×400mリレーに出場し、決勝でアジア新記録をマークする。2025年の世界陸上(東京)では400m予選で44秒44の日本新記録を樹立。決勝にも進出して6位入賞を果たし、1991年世界陸上の高野進(7位)を上回る日本人過去最高順位を残す。富士通所属。身長192cm。