『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(14)デンソーエアリービーズ 川岸夕紗 前編(連載13:デンソーの大…
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(14)
デンソーエアリービーズ 川岸夕紗 前編
(連載13:デンソーの大﨑琴未は全治5カ月の大手術で「素人になっている」 支えとなったのは同期・石川真佑が活躍する姿>>)

デンソーでセッター、リベロでもプレーする川岸(写真/SVリーグ)
【お前はセッターじゃないと生きていけない】
デンソーエアリービーズの川岸夕紗(19歳)は、周囲に不思議な印象を与える選手である。
「それはよく言われます」
そう答える川岸は上の空なのか、熟考しているのか、よくわからない。正体が見えないところがある。とっつきにくいと思ったら、急におしゃべりになって小動物のような声を出す。
端的に言えばマイペースだが、学生時代を「誰に対してもモノを言える。先輩にもガミガミ言えましたから」と振り返る。キャプテンを任され、重圧も引き受けてきた。
ひとつだけ言えるのは、「独自の世界観を持っている」ということだ。
「自分の考えを持っているのがセッターだと思っています。"世界"を持っているというか......。『お前はサイド(アタッカー)は無理。セッターじゃないと生きていけない』と言われたこともあります」
生粋のセッターであることが、彼女のパーソナリティを形作っている。あるいは、そのキャラクターがセッターに合っていたのか。鶏が先か、卵が先か。
川岸がバレーを始めたのは、幼稚園の頃だという。先にふたつ上の姉がバレーを始め、コートの空いているところでボールをペチペチと叩いて遊んでいた。自然と、姉がいるチームに混ざることになった。
「チームの監督は、私の祖父ということじゃなくて"おじいちゃん"な監督で、優しく相手をしてくれました。ボールを投げたら返してくれる、みたいな。そもそも体を動かすのは好きだったので続けました」
川岸は淡々と言うが、話のテンポに妙なおかしみがある。
小学校1年の時は「ずっと眠かった」という。試合中は、ベンチで監督の横に座って突っ伏して寝ていた。怒られたが、そんなキャラクターだと許されたところもあった。
姉は強いチームでバレーをやるため、隣町の中学校に進学したが、川岸は家の近くの中学に進んでいる。しかし満足できなくなり、クラブチームにも通うようになった。掛け持ちで、月曜だけが休みの"バレー漬け"の日々を送ることになった。
【高1で出場した春高で「自信がついた」】
「バレー、好きだったんで」
彼女は熱量を表に出さないが、行動がその言葉を正当化する。
「小学校4年生までレシーブだけやっていたんですが、『オーバーが上手だね』と言われて、5年生から1年間はセッターをやりました。6年生になると打ち手もレシーバーもいなかったので、自分がそこに回ったんです。
中学はどこのポジションにも入る感じでしたが、高校はセッターで入ったので、そこからはセッターひと筋。パスのコントロール、右、左に飛ばすのはけっこう自信がありました」
川岸は地元の兵庫を出て京都橘高校に入学し、寮生活を送った。そこでもバレーをしていた記憶しかない。春高バレーの予選を勝ち抜き、全国の舞台にも立った。3年時には主将として本大会にチームを導いた。
「自分の代は『(京都で常に代表を争う)北嵯峨の時代。京都橘は負ける』と言われていました。相手に大エースがいたんですが、自分たちは全員で勝つチーム。キャプテンとして重圧はありましたけど、勝って全国に行けました」
高校では、いくつも"バレーを感じる"試合があった。
「ベストゲームは、高1の春高予選決勝の北嵯峨戦、高2の春高本大会での進徳女子戦、高3のインターハイと春高の誠英戦ですかね。春高で負けた誠英戦などは苦い思い出でもありますが、高1の北嵯峨戦は自信がついたゲームです。
高1の春高予選の時、私はレギュラーではありませんでした。決勝の北嵯峨戦は5セットマッチの1セット目を取り、2セット目を奪い返されて、3セット目をギリギリで取るという展開。4セット目は序盤に私がコートに入ることになって、6点差で負けていたところから点差を縮めていって、自分のサーブで追いついたんです。
結局はそのセットは落としましたが、5セット目はわりと楽に取れました。自分が得意な場所にトスを上げたら、先輩たちが打って決めてくれたんです」
【目標は途中から流れを変える選手】
川岸は順序立てて話した。そのあとはレギュラーの座をつかみ、2年時、3年時にはセッターとして全国高校選抜に選ばれ、世界大会にも出場している。トップリーグ入りは当然だったようにも思えるが、本人は「大学で教員免許を取って、体育教員になることを考えていました」という。
「チーム(エアリービーズ)に入ってバレーに対する考え方が変わってきました。まだ活躍できてはいないですが、地域交流でバレーのよさを広めるということも含めて、このチームを選んでよかったと思います。自分はバレー選手として、カッコいい選手を目指すよりも、バレーを広めることがしたい。冷めているわけじゃなくて、コートに出るのがすべてじゃないと思っているんです」
独自の世界観を持つ川岸らしい言葉だった。考えが読めないところがあり、定石を打たない。見えている風景と、見たい風景があるのだ。
「ブロックを3枚にしてしまったのに決めてくれたらホッとしますが、どこに上げるかわからないセッターが理想です」
そのセッター論は彼女のパーソナリティと通じる。
「高校時代、(アウトサイドヒッターでエースの)平野(佐奈)とは、お互いがイライラしちゃって口を利かない時もありました。でも、コートに入ると自然と話すようになるんです。自分は信頼してトスを上げていたし、信頼しすぎて監督にたしなめられるほどでした。今も一緒にご飯に行くし、仲がいいですよ」
もしかすると、彼女は誰よりもバレーに対して、チームメイトに対して、熱くて真摯なのかもしれない。
「今はセッターだけじゃなくてリベロもやらせてもらい、『川岸はあれもこれもできる』と思ってもらえたらいいかなって。SVリーグでは、途中から流れを変える選手のほうが光って見えるようになりました。エース一本、クイック一本でも、それで流れを変えて勝利につなげられるような選手になりたいです」
川岸はそう言うが、リリーフで結果を残せば、そこで変化は起きる。彼女は高校1年の時も、そうしてポジションをつかんだ。
「今はオフがあるんですが、何すればいいかわからなくて......。とりあえず40分かけて、電動自転車でイオンに買い物に行きます」
彼女は困った顔を見せた。オフの戦略は、まだ見つかっていない。
(後編::川岸夕紗が選んだ『ハイキュー‼』ベストメンバーは? 自身はセッターながら東峰旭が感じた「恐怖」に共感>>)
【プロフィール】
川岸夕紗(かわぎし・ゆうさ)
所属:デンソーエアリービーズ
2006年10月22日生まれ、兵庫県出身。158cm、セッター。幼稚園からバレーを始める。京都橘では1年時から3年連続で春高バレーに出場。3年時には主将を務めた。2年時、3年時には全国高校選抜に選ばれた。2025年、デンソーエアリービーズに入団した。