伊藤氏は高速スライダーで一世を風靡した(C)産経新聞社 今もなお、多くの人々の記憶に残っている。 前中日ヘッドコーチ…

伊藤氏は高速スライダーで一世を風靡した(C)産経新聞社
今もなお、多くの人々の記憶に残っている。
前中日ヘッドコーチの片岡篤史氏が、11月16日に自身のYouTubeチャンネルに「『怪我さえなければ…』天才古田敦也が“絶賛したスライダー”とは!?視聴者コメントから選んだ短命に終わった選手を紹介します!!【前編】」と題した動画を更新。怪我に泣かされつつ、強烈な印象を残した野球界の名選手を振り返った。
『怪我さえなければ…』天才古田敦也が”絶賛したスライダー”とは
︎視聴者コメントから選んだ短命に終わった選手を紹介します
︎【前編】
視聴者コメントで反響が多かった選手を取り上げる企画の中でまず、ピックアップしたのはヤクルトの名投手・伊藤智仁氏だった。
花園高校から三菱自動車京都を経て1992年にヤクルトにドラフト1位入団。ルーキーイヤーから14試合に登板、5完投4完封を含む7勝2敗、防御率0.91と圧倒的なパフォーマンスで新人王を獲得した。
片岡氏は「俺、同志社大のときもオープン戦やってて」と入団前から対戦があったとしながら、「古田さんが言われるようにあんなスライダー見たことがない」とコメント。現役時代ヤクルトでバッテリーを組んでいた古田氏も舌を巻いたとされる大きく曲がる高速スライダーで一世を風靡した。
当時を振り返り、片岡氏も「20世紀最高のスライダーを投げるピッチャーと言われていて」「1回怪我があって 何年かリハビリして戻ってきて」「あの怪我がなければ、とよく皆さん言われる」と多くの野球ファンに強く印象を残した選手だった説明した。
さらに伊藤氏の代名詞ともなった高速スライダーについては、「俺が考えるとあれだけのスライダーが放れる、あれだけ曲がるのはそれだけ腕がしなるということ」と長い手足と柔軟な身体を武器に快進撃を続けたものの、「やっぱり無理があった」「じゃないと、あれだけのスピン効いたスライダーにはならない」と、今振り返れば相当な負担が身体にかかっていたはずと考察を加えていた。
一方で、「プロ野球で魔球といわれるボールがある。大魔神、佐々木さんのフォークとか」と触れつつ、伊藤氏もまた“分かっていても打てない”絶対的なボールを投げる投手の1人だったとしながら、「けががなければ、すごい記録を残した可能性もある」とコメント。
伊藤氏はルーキーイヤーの7月に右ひじの異変で離脱。右肘じん帯を損傷し、その後は過酷なリハビリに取り組んだ。「悲運のエース」と言われたように現役生活11年の約半分がリハビリと怪我と向き合うプロ野球人生を送った。通算成績は37勝27敗25セーブ、防御率2.31。
動画内ではほかにも、「アジアの大砲」といわれた台湾出身の巨人の助っ人野手・呂明賜氏など、印象的だったプロ野球選手を振り返っている。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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