■■大和スタジアム(神奈川) 球場の正面で2体のブロンズ像が迎えてくれる。野球漫画「ドカベン」の主人公で強打者の山田太郎…

■■大和スタジアム(神奈川)

 球場の正面で2体のブロンズ像が迎えてくれる。野球漫画「ドカベン」の主人公で強打者の山田太郎と投手の里中智。里中はトレードマークの下手投げで、右腕が地面スレスレに。山田は下半身を落とした力強いスイングで、バットのしなりがえぐい。

 球場がある神奈川県大和市の引地台公園入り口には「ドカベンスタジアム」の看板、球場にも「DOKABEN STADIUM」と刻まれたプレートがある。「ドカベンスタジアム」がこの球場の愛称だ。

 しかし、ドカベンファンは疑問がわくはずだ。「ドカベンといえば、保土ケ谷球場(現サーティーフォー保土ケ谷球場)じゃないの?」と。

 確かに、作品は神奈川を舞台にした高校野球漫画だが、山田らを擁する明訓高校が名勝負を繰り広げるのは主に保土ケ谷だ。

 前身の引地台球場ができたのは1980年。ドカベンの連載(1972~81年)終盤で、作中に球場は登場しない。作者の水島新司(故人)も新潟出身で大和市とは関係がない。

 なのに、なぜ。

 ドカベンスタジアムの愛称がついたのは96年。98年のかながわ・ゆめ国体で高校野球(硬式)の会場になるのを機に全面改修した際だという。

 球場は94年から約2年をかけて全面改修。その際、意匠を担当した会社が水島と関係があり、球場の玄関に一枚の絵を飾った。燃えるような雲と、甲子園のバックスクリーンを背景に、鋭い視線の里中が振りかぶっている。

 当時、大和市国体事務局の係長だった金子正美(70)は振り返る。「あの絵を見て『これは良い』と。当時は高校野球といえばドカベン。国体を機に球場や市の知名度をアップさせるためにもドカベンを使わせてもらえないか、という話になった」

 東京・吉祥寺の水島プロダクションで水島本人に頼むと快諾を得た。山田の打撃シーンの絵や、山田や里中、「悪球打ち」の岩鬼正美、「秘打」の殿馬一人ら明訓メンバーの絵も加わり、玄関に飾られた。

■「ドカベン物語」がテーマのトークショーも

 96年の落成記念式典には水島も駆けつけ、「ドカベン物語」という題材でトークショーも披露。模造紙に山田や里中、岩鬼、殿馬の絵を描き、軽快なトークで盛り上げた。地元・神奈川の東海大相模高出身でプロ野球・巨人で活躍し、引退直後の原辰徳(67)の野球教室もあった。

 市野球連盟の副理事長だった姉崎正男(79)は「原さんも『地方球場でこんな立派な設備があるとは』と驚いていたよ」と鼻が高い。

 姉崎は全国で野球教室を開くなど多くの球場を知っていた。改修時に「これからの球場は使い勝手がよくないと利用されない。バックヤードを充実させないと」と助言した。

 グラウンドを広く、人工芝にして、電光掲示板も導入。姉崎らの助言をいれ、一、三塁側の両方に打撃もできる室内練習場を設置し、選手更衣室も二つずつつくるなど設備を充実させた。

 その結果、高校野球などのアマ野球で使われるだけでなく、プロ野球の2軍戦など多くの試合で使われるようになった。

 この球場で週4回ほど練習する市内チーム「GXAスカイホークス」の責任者・鈴木大樹(36)は「室内練習場が広く、雨でも練習できて使いやすい」と話す。

■ブロンズ像と記念撮影も

 97年にブロンズ像が設置されると、球場は像と記念撮影をする球児らでにぎわった。

 98年の国体では、甲子園で春夏連覇を成し遂げた松坂大輔(プロ野球・西武、大リーグ・レッドソックスなど)を擁する横浜高が、準々決勝で日南学園高(宮崎)と対戦。平日にも関わらず午前9時には徹夜組を含めて約1千人が列をつくり超満員で球場に入れない人も多かったという。

 横浜は1―2の五回から松坂が登板し、5回10奪三振の快投で3―2で逆転勝ち。横浜はそのまま優勝し、甲子園の春夏連覇、明治神宮大会に加えて国体も制し、公式戦無敗の44連勝だった。

 その後、プロや社会人の試合でファウルボールが民家の屋根を破損させたことなどから、2019年以降はプロや社会人の試合はなくなった。

 それでも、金子や姉崎は言う。「ドカベン像は多くの人に愛され、大和の野球のシンボルになった。今後は野球好きだけでなく、野球を知らない人たちが野球に接するきっかけとなる球場になってほしい」=敬称略(平井茂雄)

 1970年代に米軍から返還された土地にあり、厚木基地に隣接。離着陸する自衛隊機などが見える。96年の全面改修で両翼95メートル、中堅120メートルになり、全面人工芝に。2013年に人工芝を張り替え、14年に「大和スタジアム」に改称。収容人数は内野5千人、外野6千人。小田急江ノ島線・相鉄線の大和駅から徒歩約20分。

■最近11大会の全国高校野球選手権の神奈川代表

2015年 東海大相模(優勝)

 16年 横浜(2回戦)

 17年 横浜(1回戦)

 18年 横浜(3回戦)、慶応(2回戦)

 19年 東海大相模(3回戦)

 20年 新型コロナで中止

 21年 横浜(2回戦)

 22年 横浜(2回戦)

 23年 慶応(優勝)

 24年 東海大相模(準々決勝)

 25年 横浜(準々決勝)

 ※18年は記念大会で南神奈川、北神奈川大会。かっこ内は全国高校野球選手権大会での成績