学生駅伝にスピード革命をもたらした東海大・佐藤悠基 photo by AFLO箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡連載03:…



学生駅伝にスピード革命をもたらした東海大・佐藤悠基 photo by AFLO

箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載03:佐藤悠基(東海大/2006〜2009年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第3回は、革命的なスピードで周囲を驚がくさせた佐藤悠基(東海大)を紹介する。

【1年時から見せつけた異次元のスピード】

 厚底シューズが登場する前、箱根駅伝に「革命的なスピード」をもたらしたランナーがいる。それが東海大・佐藤悠基だ。彼のキャリアは異次元だった。

 3000mで8分24秒24の中学記録を樹立すると、佐久長聖高ではさまざまな大会で活躍。3年時(2004年)はインターハイ5000mで日本人最高記録となる13分45秒23、10000mでは現在も日本高校最高記録として輝く28分07秒39をマークしている。

 東海大に入学すると5月に5000mで13分31秒72のU20日本記録を樹立。7月の日本インカレ10000mで1年生王者となったスーパールーキーは、箱根駅伝でも快走する。

「20km以上のレースが初めてだったので、どうやって走っていいのかわからない。不安のなかで走りました」

 そんな状況ながら3区で従来の記録を37秒も更新。1時間02分12秒の区間新記録を打ち立て、8人抜きを演じたのだ。

「どれぐらいのペースでいけば区間記録になるかは頭にありましたが、狙うつもりはまったくありませんでした。ただ、10kmを過ぎて、身体の余裕度を考えたときに、これはいけるんじゃないかな、と。途中から区間記録を意識するようになったんです。でも終盤は両太腿にケイレンが起きたので、意識は脚のほうに集中していました。走り終わって腕時計を見たら、出ていたという感じでビックリしましたね」

 2年時はトラックで大活躍する。5月の関東インカレ10000mで日本人トップの3位(28分17秒15)、6月の日本インカレ5000mで日本人トップの2位(13分29秒32)。8月のロベレート国際5000mでは当時・日本歴代6位となる13分23秒57をマークした。

 そして箱根駅伝は1区に登場。「直前の動きはよくなかった」というなかでセンセーショナルな"独走劇"を披露する。

「10kmくらいまで様子を見て、余裕があればいこう、と思って、スタートラインに立ちました。大西(智也/東洋大)が飛び出したので、追いかけたら後ろが離れたので、そのままいっちゃったんです」

 序盤で抜け出すカタチになった佐藤は5kmを14分06秒、10kmを28分18秒で通過。圧巻のスピードで箱根路を駆け抜けて、後続との差をグングンと開いていく。

「ひとりでペース走をずっとやっている感じで、すごく気持ちよかったんですよ。後ろが離れてくれたので、離せるだけ離そうという気持ちでした。ただ、終盤は両太腿がけいれんして、タイム的にはちょっともったいなかったですね」

 終盤は太腿を抑えるシーンもあったが、佐藤は早大・渡辺康幸の保持していた区間記録を7秒塗り替える。21.4kmの1区における1時間01分06秒というタイムは当時のハーフマラソン(21.0975km)日本記録を上回るパフォーマンスで、現在でも区間歴代3位として残るものだ。佐藤がタスキをつなげたあと、次のランナーはなかなか姿を現さない。4分01秒もの大量リードを奪い、観衆の度肝を抜いた。

【好結果を導き出した冷静に自身を分析する能力】

 大学3年時は10月に10000mで2007年度の日本ランキングトップとなる27分51秒65をマーク。箱根駅伝は総合優勝を狙うための戦略として、補欠登録された。往路の結果を見て、7、9、10区のどこかに入る予定だったという。チームは往路を8位と苦戦したため、エースは当日変更で7区に投入された。

「出遅れなければ9区が有力だったんです。7区はコースもよく見ていなくて、あの辺にアップダウンがあったかなくらいの状況で出場しました。一番意識していた駒大と3分くらいの差があったので、5kmを14分02秒ぐらいで入ったんですけど、けいれんもあって終盤はどうしようもなかったですね。うまく走れば20秒ぐらいはよかったのかな」

 納得できる走りはできなかったが、佐藤は従来の記録を18秒更新。1時間02分35秒で3年連続の区間新記録を成し遂げた。しかし、チームは10区でまさかの途中棄権。最終学年を迎えた佐藤は茨の道を進むことになる。

 大学4年時(2008年度)はトラックシーズンで不調が続く。同学年のライバル・竹澤健介(早大)が北京五輪に出場したなかで、佐藤は「力を蓄える時期」と割りきっていた。その一方で、駅伝は「最上級生としてやれることはやろう」という気持ちで臨んだ。

 最後の箱根駅伝は「3区」と当時最短区間だった「4区」(18.5km)を打診されると、佐藤は迷わず3区(21.5km)を選ぶ。

「4区なら区間新は濃厚でしたが、チームのことを考えると3区で流れに乗せたほうがいいと思ったんです」

 佐藤は4年連続の区間新を逃したが、チームを18位から5位に押し上げる。13人抜きは2区以外の最多記録だった。

 佐藤のすごさは常に冷静に自分自身をジャッジしていたことだ。4年時は不調だったが、己の可能性を信じて、先を見つめてトレーニングに励んでいた。

 そして東海大を卒業直後の2009年4月に10000mで当時・日本歴代3位となる27分38秒25をマークした。

「不調だった4年時にトレーニングをしっかり続けてきたからこそのタイムだと思っています。苦しんだことがちょっと報われましたね」

 その後は2011年から日本選手権10000mで4連覇を達成。ロンドン五輪に出場するなど、稀代のスピードランナーは箱根駅伝を"卒業"したあとも活躍を続けている。

Profile
さとう・ゆうき/1986年11月26日生まれ、静岡県出身。佐久長聖高(長野)―東海大―日清食品グループ―SGホールディングス。箱根駅伝では1年時から3区、1区、7区において、3年連続の区間賞をすべて区間新記録で獲得。4年時は7区区間2位だったが、13人抜きを果たしている。卒業後は日清食品グループで競技を継続し、世界陸上選手権には2011年テグと2013年モスクワの2大会、オリンピックには2012年ロンドン大会に10000mで出場。2013年の東京マラソン以降はマラソンと駅伝を主戦場として走り続け、現在はSGホールディングスの選手兼アドバイザーを務める。

【箱根駅伝成績】
2006年(1年)3区1位・1時間02分12秒*区間新
2007年(2年)1区1位・1時間01分06秒*区間新
2008年(3年)7区1位・1時間02分35秒*区間新
2009年(4年)3区2位・1時間02分18秒

*区間新記録は当時