元ホンダ・浅木泰昭 連載「F1解説・アサキの視点」第1回 前編 ホンダの技術者として、F1最強のパワーユニット(PU)と…

元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第1回 前編

 ホンダの技術者として、F1最強のパワーユニット(PU)と日本一売れている車N-BOXを開発した稀代のエンジニア・浅木泰昭氏。2023年にホンダ(本田技研工業)退職後は、モータースポーツ解説者としても活躍している。

 そんな浅木氏による新連載がスタート。記念すべき第1回のテーマは、「なぜ世界各国の自動車メーカーは今、F1を目指すのか?」。

 F1は2026年の車体とPUのレギュレーション一新と同時に、新たな自動車メーカーが続々と参戦してくる予定だ。アメリカ最大の自動車メーカー・GM(ゼネラルモータース)が「キャデラック」ブランドで11番目のチームとして参戦し、ドイツのアウディもザウバーを買収して加わる。

 ホンダは、新たにアストンマーティンと組んでワークス復帰し、フォードもレッドブルとともにPU開発を行なうという。そして自動車界の巨人・トヨタはハースと技術提携し、F1への関わりを強めている。

 浅木氏はホンダ時代、技術者としてだけでなく、取締役として経営にも携わっていた。その両方の視点で自動車メーカーがF1を目指す理由と背景について解説してもらった。


ホンダのエンジニアとして活躍した浅木泰昭氏による新連載がスタート

 撮影/樋口涼

【リバティメディアの巧みな戦略】

 アメリカのメディア企業であるリバティメディアがF1を買収する2016年以前は、F1の人気がある地域はヨーロッパと日本くらい。私が勤務していたホンダは、どちらの市場でもそれほど大きな収益を上げてない地域でした。ホンダに限らず、多くの自動車メーカーにとって収益の柱になっているのは北米市場ですが、北米ではなぜかF1はずっと盛り上がりませんでした。

 北米のフォーミュラカーレースと言えば、インディアナポリス500マイルレース(インディ500)がシリーズの1戦に組み込まれるインディカーという状況が長く続いていました。北米ではF1の人気がインディカーを上回ることは未来永劫ないのではないかという判断があり、巨額のF1参戦費用に見合うだけのコマーシャル効果やリターンを望めませんでした。

 自動車メーカーは広告宣伝費などの形で予算を確保し、F1に参戦しています。だから資金に余裕ができるとF1へ参入し、危機が訪れると撤退するというのを繰り返すケースがホンダを含めて多かった。

 ところが、リバティメディアがF1を運営するようになってから状況が大きく変わってきました。リバティはメディア企業ですからプロモーション活動が巧みで、アメリカ人の心をどうやったらつかめるのかというのをよく知っているのでしょう。

 Netflix配信のドキュメンタリーシリーズ『Formula 1: 栄光のグランプリ』が2019年にスタートするとアメリカで若者を中心に人気に火がつき、想定外にアメリカでのF1ファンが急拡大していきました。

 さらに近年はLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンをはじめとする世界的なブランドがF1とパートナーシップ契約を締結し、2025年はブラッド・ピットさんが主演する映画『F1/エフワン』が世界的に大ヒット。2026年にはF1とディズニーのコラボレーションもスタートします。そうなったらアメリカでのF1人気はさらに盤石になっていくかもしれません。

【続々参戦の背景に巨大市場でのF1人気爆発】

 ホンダの経営陣が2021年シーズン限りでのF1撤退を決めたあと、私はもう一回参戦するための計画を立てました。その際、作成した資料には「もうF1のアメリカでの人気はインディカーを超えている」とはっきりと記しました。

 しかもインディカーはアメリカ国内でしか開催されませんが、F1はヨーロッパや日本、中国、中東、当時はロシアでも開催されていました。今後はアジア各国に広がっていく可能性もあります。

 そうすると、同じような費用を使うのであれば、F1のほうが企業としては有益なのではないか。少なくともほとんどの自動車会社が収益の柱にしている北米市場でF1の人気が一過性でないのであれば、これを無視することはできない。そう言って、ホンダの経営陣を説得しようとしました。

 2023年からアメリカではフロリダ州マイアミ、ネバタ州ラスベガス、テキサス州オースティンでの3回、F1が開催されています。アメリカ本国に加え、カナダとメキシコも入れると、北米のマーケットはすごく大きい。しかもアメリカでは高価格帯の大型車がよく売れ、利益率も高いのです。

 それはホンダだけでなく、おそらく他の自動車メーカーも同じ状況だと思います。アメリカ市場が収益の柱だからこそ、今、トランプ関税で世界中の自動車メーカーがひいひい言っているのです。

 それだけ重要なアメリカでF1人気が爆発したという背景があって、広告宣伝費を投入するプロジェクトのなかでもF1が魅力的に見えてき出したということが、自動車メーカーの参戦が増えている背景のひとつにあります。

後編へつづく

<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。