東海大・駅伝戦記  第14回 鈴木健吾(神奈川大)とのアンカー勝負に敗れ、2位に終わった東海大の川端千都(かずと/4年)はタオルを頭からかぶり、仲間に抱えられながら伊勢神宮内の駐車場にある待機所に戻ってきた。神奈川大に抜かれ、2位でゴー…

東海大・駅伝戦記  第14回

 鈴木健吾(神奈川大)とのアンカー勝負に敗れ、2位に終わった東海大の川端千都(かずと/4年)はタオルを頭からかぶり、仲間に抱えられながら伊勢神宮内の駐車場にある待機所に戻ってきた。



神奈川大に抜かれ、2位でゴールした東海大・川端千都

 悔し涙が止まらない。3、4年生が踏ん張ってトップで襷(たすき)をつないでくれたが、チームを優勝に導くことができなかった。果たせなかった責任と悔しさの波に涙腺が決壊してしまったのだ。

 しばらくタオルをかぶったまま、川端は必死に自分を取り戻そうとしていた。

 少し気持ちが落ち着いたのだろうか、タオルを取り、着替えを始めた。そし て、テレビカメラの前に立った。

「いや、もう悔しいしかないです」

 その目は涙に濡れ、真っ赤だった。

*    *    *

 第49回全日本大学駅伝は11月5日午前8時5分、気温12度、湿度64%と理想的なコンディションの中、スタートした。

 今回のレースは出雲駅伝優勝した東海大と2連覇を狙う青学大との「一騎打ち」だと言われていた。ともに選手層が厚く、つなぎ区間の5、6、7区で質の高い選手を置くことができる。前半区間で差が出なくても終盤、選手層の厚さでレースを有利に持っていくことができるのは、東海大と青学大の2校しかないからだ。

 東海大・両角速監督のレースプランは、非常に明快だった。

「4区までがひとつの勝負。4区の關(颯人/せき はやと/2年)で抜け出せるか、あるいは上位と少ない差でリレーできるか。その後、5,6,7区で頑張って、アンカーの川端にトップで渡す。川端は高島平のロードレース(20km)を59分30秒で走ったんですが、58分30秒で走れるアンカーは神奈川大の鈴木健吾くんぐらいしかいない。青学は誰がアンカーになるのか、わからないですけど、とにかく川端に渡す時、1分の差をつけて来てくれれば、逃げ切れると思います」

 選手の調子は出雲の時以上だという。昨年の全日本は風邪によるウイルス性の胃腸炎により關が出走をやめ、レースの2日前に区間変更をし、鬼塚も内臓に負担が残ったまま走ることになった。その結果、チームは低空飛行を続け、シード権を失うという憂き目にあった。

 今回は大学寮から加湿器を持ち込み、手洗い、うがい、マスクを徹底した。おかげで、コンディションを崩す選手は大会当日の朝までひとりもいなかった。

「自信を持って選手をレースに送り出すことができました」

 主務の西川雄一朗(4年)は、レース当日の朝、笑顔でそう言った。はたして、出雲駅伝のようにプランがハマるだろうか……。

 1区は鬼塚翔太(2年)が担った。

 当初は出雲駅伝優勝の功労者である阪口竜平(2年)を1区に置き、鬼塚を他区間で起用するという「出雲システム」の再現でいくのかと思われた。しかし、大会前日のエントリーシートに阪口の名前がなかった。

「外したのは2週間前のポイント練習の出来ですね。これは非常に重要でした。もちろん、それが彼の評価のすべてではないのですが、出雲で結果を出した選手もちょっと気を緩めると替えられるんだぞという緊張感がチームの中に出てきてほしいなと思っています。1区の鬼塚は昨年も同じ区間を走っていますし、彼の勝負強さに期待しています」

 両角監督は、阪口を外した理由と鬼塚起用の理由をそう語った。

 スタートと同時に全日本大学選抜のムソニ・ムイル(創価大)が先頭に立ち、ハイペースで引っ張る。ペースを速め、休み、揺さぶりをかけてくるが鬼塚は対応し、トップグループから離れない。

 3km地点で鬼塚が先頭に立った。

「昨年は消極的にいって区間10位という結果に終わったので、今年は積極的に攻めていこうと思っていましたし、自分でレースを作っていこうと思っていました」

 しかし、ムイルがスピードを上げ、再度先頭に立つ。

 9km地点で両角監督の声が飛んだ。

「鬼塚、前と4秒差だ」

 先頭をいくムイルと太田智樹(早稲田大)のと差はわずか4秒だ。しかし、10kmを超えてから鬼塚がトップ集団から遅れ始めた。表情が苦しそうに歪み、前に進んでいかない。

「最初に前に出た時、後続を離したかったんです。でも、引っ張りが中途半端になり、強風を受けてペースが上がっていかず、何度もペースが変わる中、疲れが出てきました。後ろがペースアップした時は、ついていけなかった。まだまだ力が足りないです」

 体重が軽いので、強い向かい風に苦しんだ。しかも、鬼塚はスタート直後から他大学から徹底的にマークされていた。鬼塚が先頭に立った時、自ら前に行く気持ちもあったのだろうが、それと同時に周囲の選手に押し出されるように前を走らされた感もあり、消耗していくのが見て取れた。駆け引きやペースが頻繁に変わるレースで疲弊し、鬼塚は区間9位と”らしくない”順位に終わった。両角監督のレースプランは早々に修正を余儀なくされたのである。

 1位通過の東洋大との差は35秒。東海大は8位だった。

 2区は塩澤稀夕(きせき/1年)だ。

 出雲前ぐらいから調子を上げ、平成国際大競技会の1万mでは28分36秒15の自己ベストを出し、全日本大学駅伝の2週間前のポイント練習でも余裕があった。この時点で全日本の出走をほぼ確定させたが、問題はどこを走るかだ。初駅伝で長い距離に不安があるので、距離の短い3区(9.5km)での起用が濃厚かと思われた。しかし、蓋を開けてみるとエース区間の2区での起用だった。

 両角監督の塩澤への期待の大きさがうかがえる。

「塩澤は、最初は3区を予定していたんです。でも、そこではもったいないぐらい調子が上がっているので思い切って2区に起用しました。多少リスクがありますが、塩澤をここで使うことで他に余力ができた。田村くん(青学大)が2区にいますが、彼についてどうのこうのではなく、上位争いができる区間を担っているので粘って走ってほしい」

 塩澤は向かい風の中、懸命に走った。

 しかし、青学大の田村和希と47秒あった差が徐々に詰まり、6km付近で追いつかれた。ここから塩澤は冷静だった。田村の顔色をうかがいながら力をロスすることなく、相手について走っていたのだ。すると残り3kmぐらいで前半飛ばした田村が遅れだし、逆に塩澤のギアが上がった。

「10kmを超えてからの不安はあったんですけど、今回は逆に10kmを超えてから走りがよかった。もっと前半からいければよかったんですが、強い向かい風と単独走があまり得意じゃなかった分、タイムが落ちてしまった。そこは反省ですね」

 2区は田村をはじめ、塩尻和也(順天堂大)、工藤有生(駒沢大)ら各校のエースが走ったが、塩澤は区間5位と駅伝デビューとしてはまずまずの結果を出した。トップの東洋大との差は50秒、東海大は5位に順位を上げた。

 3区は館澤亨次(2年)である。

 大学屈指のスピードランナーは昨年も同区間を走って区間賞を獲得している。館澤にとっては勝手を知る縁起のいいコースだ。最初から突っ込んだ走りで、前を行く神奈川大、駒沢大との距離をどんどん詰めていく。鬼気迫るような走りは、出雲で悔しい経験をしたからだという。

「出雲では、本当は区間賞を取るのはもちろん、区間新を取らないといけなかったんですが、区間2位で後ろの松尾に負担をかけてしまった。このままじゃダメだなって思って、練習も生活を見直してここまでやってきたんです」

 館澤の激走で神奈川大、駒澤大に追いつき、2位をめぐる三つ巴の戦いになったが、不思議と負ける雰囲気がなかった。絶対に負けられないという気迫が体中から発散されていた。

 館澤は区間賞でチームを2位に押し上げたのである。

「区間賞は最低限ですね。昨年走っているからこそ、今回は区間新を出して、チームのために貢献したかった。でも、後半に先輩たちがいるので1位にならなくてもいい、4区に關がいるから2位で大丈夫、何とかしてくれるって甘えてしまった。

 その時、1位じゃなきゃダメだって気持ちで走っていたら、もっといい状況で關に渡せたと思うんです。そういう甘えをなくしていかないと東海大のエースにはなれないですし、黄金世代と言われているからこそ、もっとしっかりと仕事をしないといけないですね」

 途中区間、監督が乗るバスから選手に声掛けをする地点に下りた両角監督は「館澤がいい走りをしてくれた」と満足そうだった。

 トップの東洋大との差は31 秒、東海大は2位に浮上した。次はエースの關が走る。この区間で一気に他大学を突き離すもくろみだったのだが……。

 4区、關颯人が勢いよく飛び出していった。昨年の全日本駅伝、關は直前に体調を崩し、出走できなかった。そのために今年は予選会を走り、自らの力で本大会への出場を決めた。

 出雲ではアンカーを務め、「おいしい」役割を果たした。この全日本でも關は、両角監督が考えたレースプランにおいてもっとも重要な役割を果たすことになっている。關もそのことは十分に自覚していた。

 序盤は慎重だった。

 強い向かい風の影響もあるのだろうか、なかなかペースが上がらない。「關は風の影響を比較的受けやすい」という両角監督の言葉が思い出される。3km付近では館澤が31秒に詰めた差を逆に37秒に広げられた。東洋大のエースである山本修二(3年)がトップを快走していたのである。

「最初、抑えていました。登りがあったので、下ってからいこうかなって思ったんですが、結果いききれていなくて、伸びなかった」

 悪くはないが、ベストからは程遠い走りが続いていた。モニターに映る關の走りを両角監督は厳しい表情で見ていた。

「館澤がいい働きをしてくれたので、そのいい勢いで關にはいってほしかったんですけど、最初からちょっと動いていなかったですね。思い切っていけない何かしらの理由があるんだろうけど、4区でもっと前との差を詰めたかったなぁ」

 レース後、關は思ったよりも走れなかった理由を探していた。

「正直言って、なぜダメだったのか今はわからないので、しっかりと見直していきたい。アンカーの川端さんのところを見ると、自分のところでもっとタイムを稼げたらと思ったんですが……うーん、悔しいですね」

 關は区間6位に終わった。

 東海大が勝つためのキーであり、期待が大きかっただけに關らしくない順位と走りは後続の選手に、決して小さくはない影響を及ぼすだろう。トップを走る東洋大との差は1分02秒に開き、東海大は2位。3位の青山学院との差は、わずか7秒しかなかった。

 5区、青学大はエースの下田裕太が走る。東海大にとっては、嫌な展開になりつつあった。

(つづく)

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