ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代第17回 髙橋光成(西武)「気がついてくれた人は初めてです」 自慢じゃな…

ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代
第17回 髙橋光成(西武)

「気がついてくれた人は初めてです」

 自慢じゃないが、髙橋光成にほめられたことがある。


前橋育英高2年夏の甲子園で全国制覇を達成した髙橋光成

 photo by Okazawa Katsuro

【ベルトを逆に通していた理由】

 髙橋が前橋育英高(群馬)の3年になる直前のまだ肌寒い頃だった。バント練習で骨折した右手親指の具合や、この冬のトレーニングの成果などを取材し終えたあと、ふと髙橋の姿に目をやった。すると、彼のユニフォームのベルトが、一般的とは逆向きに通されていることに気づいた。通常、右利きの選手であればベルトの先端は左側にくるものだが、髙橋の場合は右側にあったのだ

「よく気づきましたね。ベルトを逆に回すと、その時の動きで骨盤の歪みが整ったり、肩こりや腰痛の予防になると、どこかで聞いたんです。本当かどうかはわかりませんが、毎日の積み重ねなので、去年の夏の群馬大会前から続けています。いまでは、とくに意識しなくても、これがふつうになっています」

 なるほど、2年夏(2013年)の甲子園の写真を見ると、たしかにベルトの向きは右側にある。因果関係は定かじゃないが、髙橋がこの夏から急成長を遂げたのは間違いなかった。

 恵まれた上背から140キロを超す速球を投げおろし、1年夏からベンチ入り。1年秋からはエースとして、県大会優勝。だがその時点ではリリースは安定せず、制球を乱すなど課題だらけ。事実、秋の県大会3回戦の館林との試合では7四死球だったし、関東大会では浦和学院(埼玉)との初戦、5回に3四死球と制球を乱して逆転負け。

 再び群馬を制して挑んだ2013年春の関東大会も、決勝でまたしても浦和学院に敗れている。そうして、夏を迎えるわけだ。

「夏が始まる時点にコウナ(髙橋)は、まだまだだったんです。実際、県大会の初戦は同じ2年生の喜多川(省吾)を先発させたくらい。それが勝ち進むごとに、ぐんぐん調子を上げていきました。東農大二との決勝では4安打完封し、ラストボールは自己最速(当時)の148キロですよ」

 前橋育英の荒井直樹監督は、いかに成長が急だったかをそう表現した。

【2年夏の甲子園で全国制覇】

 圧巻は、初出場した夏の甲子園だ。岩国商(山口)との初戦。145キロの速球に、縦横のスライダーがさえる。3回から6回にかけては、桐光学園の松井裕樹(現・パドレス)が樹立した10連続に迫る9連続三振を奪うなど、5安打13三振で1対0の完封勝利。

 つづく樟南(鹿児島)戦も5安打完封で、スコアは1回戦と同じ1対0。中1日での3回戦は、横浜(神奈川)を相手に1失点も自責は0。評判の相手スラッガー浅間大基(現・日本ハム)と高浜祐仁(元・阪神など)のふたりを完璧に封じた。

 常総学院(茨城)との準々決勝では救援で5回を零封し、4者連続を含む10三振。その試合、9回二死の土壇場から同点に追いつく適時三塁打も放ち、サヨナラ勝ちを呼び込んでいる。

 準決勝では、日大山形に1失点完投も、自責は0。この時点で41回を投げて防御率は0.00で、以後延岡学園(宮崎)との決勝の4回まで、44イニング自責点ゼロを続けた。

 疲労の極にあった決勝を除くと、準決勝までの5試合で与四死球が平均2と、長身選手にありがちな粗削りさとも無縁。結局この夏の髙橋は、6試合50回を投げて46三振、自責点2、防御率0.36という圧巻の成績で、2年生として優勝投手になっている。荒井監督は言う。

「正直、あそこまでやるとは......。ただ、甲子園のマウンドは投げやすかったようですね。甲子園練習の日、『ホームがものすごく近くに感じた』と言っていましたから。それと、田舎育ちでやさしく、のんびり屋の半面、意気に感じるタイプでもある。

 コウナは暑さに弱いので、甲子園では控えの3年生に『ボクシングのインターバルくらいのつもりで』と、イニング間のケアをお願いしたんです。コウナがベンチに戻ると、すぐに首筋に氷を当てたりして、それは献身的でした。先輩のそういう姿にグッときたことでも、スイッチが入ったんでしょう」

【最後の夏は県大会3回戦で敗退】

 躍動感のある、しなやかなフォーム。その土台は中学時代、陸上部の助っ人として走り高跳びで1メートル70を記録し、県大会に出場したというバネだ。

「フォームについては、右足でしっかり立ち、体重移動をして肩を入れ替えることを意識しています」

 これは日大藤沢高時代、神奈川県大会でノーヒットノーランを2試合達成した荒井監督の指導によるものだろう。

「ピンチにも冷静に投げられるようになったのは成長ですが、まだまだです。納得のいくボールも何球かありましたが、シュート気味に入る真っすぐが多かった。それと、スタミナですね。冬は体幹を強くし、走り込んで下半身を強化したい」

 2年夏が終わった時点で、髙橋はそう語っていた。

 甲子園後に招集された高校日本代表では、松井らに練習法やトレーニング法を聞いて回った。甲子園の優勝で満足していた部分があったが、またとない刺激を受け、自分の足りない部分を痛感したわけだ。

 新たな発見があったのは、3度目の取材となった2014年の夏前だ。髙橋のスパイクは、右足の編み上げ部分だけ、ヒモをすっぽり覆うようなカバーがついているのだ。聞くと、フィニッシュで右足をけり出す時に、土との摩擦ですぐにヒモが切れてしまうため、特注したのだという。それだけ、ボールに体重が乗っているということか。荒井監督はこう語っていた。

「すべて本人の努力ですが、昨年(2013年)、U−18に選ばれたのも大きかったでしょうね。ふつう全国優勝すれば、周囲から持ち上げられるし、少し慢心があってもおかしくないのに、松井裕樹くん、山岡泰輔くん(現・オリックス)らのボールを見て、『まだまだ上がいる』と痛感したはずです」

 ただその後、チームは2013年秋、2014年春と県大会の初戦で敗退し、最後の夏も3回戦で健大高崎に敗戦。髙橋は、幼なじみの脇本直人(元・ロッテ)に逆転打を浴びた。つまり2年の夏に全国制覇したあとの髙橋は、甲子園に戻るどころか、チームとして公式戦わずか4試合で高校野球を終えたことになる。

【修学旅行で見学した大谷翔平の投球】

 しかし、甲子園に出場できなかったとはいえ、髙橋はやはり別格だった。夏の甲子園終了後に開催されたU−18アジア選手権では再び日本代表に選出され、フィリピン戦で先発。5回を投げて7奪三振、無失点の好投を見せるなど、2試合で防御率0.00。

「MAXは変わらなくても、常時平均してスピードが出るようになったし、キレもよくなっていると思います」

 その大会でマスクを被っていた春江工の栗原陵矢(現・ソフトバンク)は、「球威、圧力......やっぱり、一番はコウナっすね。自チームのピッチャーは120キロ台だけに、捕るだけでも大変っす」と目を丸くしていたものだ。

 この時、投手陣にはほかにも富山商の森田駿哉(現・巨人)、浦和学院の小島和哉(現・ロッテ)、日本文理の飯塚悟史(元・DeNA)たちがいたが、それでも「やっぱりコウナが一番」なのだ。

 髙橋はその2014年のドラフト1位指名で西武に入団すると、1年目から5勝を記録した。以来先発の軸として2ケタ勝利4回など、白星を積み重ねた。2024年こそ初めて未勝利だったが、今季は8勝と復活を果たし、通算73勝。先日、ポスティングシステムでの大リーグ挑戦を表明した。

 そういえば......メジャーで思い出したことがある。高校3年を前にした2014年2月中旬、修学旅行で沖縄を訪れた。沖縄美ら海水族館などの観光名所をめぐったほか、日本ハムの名護キャンプを見学したという。その時、大谷翔平(現・ドジャース)のブルペンでの投球も見た。

「すごかったです。体の大きさというか、厚みというか......それと、下半身の使い方が参考になりました。自分も、あと5キロぐらい体重を増やしたい」

 ほっそりしていた高校時代と比べると、いまの髙橋のボディはすでにメジャー格。そして......ズボンに通したベルトの先はいま、ふつうどおり左側にある。