蹴球放浪家・後藤健生はサッカーを求めて世界中を渡り歩く。その際に、絶対に欠かせないアイテムがある。来年のワールドカップ…

 蹴球放浪家・後藤健生はサッカーを求めて世界中を渡り歩く。その際に、絶対に欠かせないアイテムがある。来年のワールドカップ取材のために“新しいモノ”を申請しようとしているが、初めてイングランドでサッカーを観戦したときから、日本のパスポートは大きく進化していた。

■最後のページに「渡航費用に関する証明」

 今の旅券は世界共通のB7版サイズですが、僕が最初にとってパスポートは縦に長い版のものでした。紺色の表紙に篆書体の「日本国旅券」文字と菊の紋章が入っているのは今と同じ。もちろん、ICチップなどは搭載されておらず(そんなものは存在もしなかった)、写真は持参した紙焼きの白黒写真をそのまま貼りつけて割印が捺されています。

 裏表紙には、現在のものとまったく同じ外務大臣の要請文が掲載されています。

 一方、最後の頁(ページ)には「渡航費用に関する証明」という欄があります。当時は外貨両替や円の持ち出しに制限があったので、旅行費用として両替をすると銀行がこの欄に必要事項を記入して印を捺すのです。

 ちなみに、円と米ドルの相場は1949年からずっと1ドル=360円の固定相場でしたが、1971年12月に1ドル=308円に円が切り上げられています。現在、1ドル=150円強ですから、円は今のちょうど半分の値打ちだったのです。そして、翌1973年には変動相場制に移行します。

■渡航先は「北朝鮮を除くすべての国と地域」

 さて、その1972年のパスポート。現在との最も大きな違いは(1次旅券ですから)「渡航先」として連合王国(イギリス)、フランス、イタリア、スイス、デンマークと(英語で)書いてあります。そう、クイズ・グランプリの旅行はこの5か国を回るものだったので、ロンドンではアーセナルマンチェスター・シティの試合を観戦することができました(昔のアーセナル・スタジアム=ハイパリーで、です)。

 その後、西ドイツ・ワールドカップに行くために1974年に取得したのは5年有効の数次旅券でしたから、4年後のアルゼンチン大会のときもそのまま使えました。そして、「渡航先」として「北朝鮮を除くすべての国と地域」と書いてあります。

 この「北朝鮮を除く」という言葉は1985年に取得したパスポートには書いてありますが、その5年後に取ったパスポートからは「すべての国に有効」となっています。

■ピストルを突き付けられて「失ったモノ」

 では、当時、北朝鮮に行くときはどうするのかというと、有効なパスポートを一度預けて、代わりに北朝鮮用の1次旅券を取得するのです。

 1985年4月のメキシコ・ワールドカップ予選を観戦するために北朝鮮に渡ったときのパスポートも手元にありますが、「中華人民共和国、ソビエト連邦、朝鮮民主主義人民共和国に有効」と書いてあります(北朝鮮旅行は中国かソ連経由になるので両国も含まれています)。

 こうして、僕の手元には1972年の1次旅券からもうすぐ終了のものまで、合計11通のパスポートが残っていますが、ただ、1通、1997年1月発行のパスポートだけがなくなっています。2001年にアルゼンチンに行ったときにピストルを突き付けられて鞄(カバン)ごと盗まれてしまったのです(ブエノスアイレスの南、リアチュエロ川を渡ったドックスードという最も治安の悪い地区での出来事でした=蹴球放浪記第10回「ホールドアップ」の巻)。

 そのパスポートには、当時はほぼ鎖国状態だったサウジアラビアの緊急ビザをはじめ、数多くの珍品ビザが添付されていたので、このパスポートの盗難は一生の痛恨事なのです。

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