西武・大引啓次コーチインタビュー(前編) 酷暑が続く8月某日、18時開始のナイターが始まる約7時間前。西武球場前に向かう…

西武・大引啓次コーチインタビュー(前編)

 酷暑が続く8月某日、18時開始のナイターが始まる約7時間前。西武球場前に向かう西武狭山線に乗って向かいの席に目をやると、鍛え上げた男がサングラスをかけ、何やら書類に目を通していた。自分の世界に入り込み、少々近づきがたい雰囲気を醸し出している。

「いつもではないですけど、4分の1くらいは電車通勤です。自宅が少し遠くて帰るのが面倒くさいので、近くに泊まっています。本も読めるし、車を運転しなくていいので、意外といいんですよ」

 今年から西武に招かれた、大引啓次内野守備・走塁コーチはそう話した。サングラスを外すと、爽やかな紳士の面立ちだった。


村田怜音にアドバイスを送る西武・大引啓次コーチ

 photo by Kyodo News

【プロでの指導経験は初めて】

 昨季91敗を喫した西武は広池浩司球団本部長の下で再建を図る今年、ヘッドコーチの鳥越裕介、野手チーフ兼打撃コーチの仁志敏久をはじめ、外部人材を多く招聘した。そのなかで意外な人選に思われたのが、大引コーチだった。

 オリックス、日本ハム、ヤクルトで計13年プレーしたのち、2019年限りで現役引退。その後は日本体育大学の大学院でコーチングを研究しながら、同大の野球部やアマチュアのカテゴリーで指導し、プロで教えた経験はなかったからだ。

「チームを立て直すうえで、大引さんが広く学ばれた経験をぜひ、この球団で発揮していただきたい」

 西武からコーチ就任の要請を受けると、「私の希望も言えるのであれば、できればファームがいいです」と伝えた。

「プロの世界で指導するのは初めてなので。今までアマチュアでやってきたことも含めて試す場は、一軍ではなく二軍かなと思ったので、希望とすれば二軍と正直に申し上げました」

 結局、希望した二軍ではなく、一軍で内野守備・走塁を担当することになったが、新天地での任務を快く引き受けた。

【個を和にするのは難しい】

 新たな仕事場となったライオンズの本拠地ベルーナドームには、選手たちがクラブハウスからフィールドに降りていくバックヤード通路の壁に、西鉄ライオンズの初代監督・三原脩の9つの言葉が刻まれている。

<アマは和して勝ち、プロは勝って和す>

 そのひとつは大引コーチも本で読んで知っていて、深く頷かされた言葉だった。

「たとえば10年連続最下位のチームでも、10年連続打率3割を打てば、当然その選手は賞賛される。でも、野球は団体スポーツです。プロ野球は団体スポーツでありながら、個人事業主の集まり。そこで個を和にするのは、なかなか難しいと思います」

 プロ野球とアマチュア野球には決定的な違いがある。前者に取り組む選手は個人事業主で、成功し続けなければ仕事を続けられないということだ。

 一方、アマチュアは必ずしもそうではない。特に学生野球は教育の一環とされ、人間づくりを主眼とする。だからこそ日常生活が大切と説かれ、勝利するためにもチームのまとまりが重要になる。

 大引コーチは、自身をアマチュア向きの指導者と考えていた。

「我々という"個"は集団のなかのひとりなので、社会で生き抜くためにはルールやモラルを守っていかないといけない。野球でもひとりよがりなプレーや、ひとりのいい加減なプレーが、チームのみんなに迷惑がかかるんだよと指導していければと考えていました。だから、私はアマチュアのほうが向いているのかなと」

 プロのコーチはなにより技術指導を求められる。「守備・走塁」というような小さな枠組みのなかで、いかに選手たちをレベルアップさせられるか。

 特に一軍は開幕を迎えれば、毎日勝負の連続だ。少しでもコンディションを整えて、戦いの場に送り出すことが日々の優先事項になる。

【滝澤の超ファインプレーの舞台裏】

 大引コーチは西武で上記の職責を果たす一方、同時に"アマチュアの心"を伝えることも大切にしている。

「頭ごなしに『カバーリングしろ』と言っても、選手はなかなかやってくれないですよね。でも、『君のカバーリングがあったおかげで、あいつは一生後悔しなくて済んだんだよ』と言えば、またやってくれるでしょう。言い方ひとつで変わっていける。感情やモラルを話すことによって、技術も向上していけるのかなと思います」

 年間143試合で決着をつけるペナントレースでは、微細なプレーが勝敗を分けることも少なくない。派手なファインプレーの裏にも、きめ細やかなプロの気配りが隠されている。

 8月11日の西武対楽天戦で、今季のプロ野球全体でも上位に入るような超ファインプレーが生まれた。3回一死二塁、楽天の村林一輝が放ったライト前に落ちそうなライナーに対し、西武のセカンド・滝澤夏央が一直線で背走して追いかけ、ダイビングキャッチでボールをつかみ取ったプレーだ。

 この裏には、小さな"好プレー"が2つあった。ひとつ目は、ベンチから大引コーチが送った指示だ。セカンドの滝澤に対し、「そっちに行くよ」と打球の指示を送っていたのだ。ところが、滝澤は気づいていなかった。その指示を一塁手の村田怜音は見ていて、滝澤に「こういう可能性があるぞ」とジェスチャーで伝えていたのだ。

 そして、滝澤の超ファインプレーが生まれた。

 休養日を挟んだ8月13日、大引コーチは村田にこう話したという。

「『おまえがジェスチャーを送ってくれたおかげで、滝澤が脚光を浴びることができた』と。そう言ったら、なんのことかわかっていない顔で、『あぁ』みたいになっていましたけど(笑)」

 些細なことだが、こうした積み重ねが勝利につながると大引コーチは考えている。

「勝負の神様は、細部に宿ると思います。村田がそうやってくれたことで、滝澤が少しポジションを変え、ほんのちょっとだけ意識が一、二塁間にいったのかもしれない。そのプレーがあったから、あの試合は勝てたんですよね。そういう小さな積み重ねで1勝、2勝と拾えていくかもしれないので、今後も続けてほしいですね」

【起こる可能性が低いプレーも徹底】

 この滝澤の超ファインプレーは、練習の賜物でもある。ライト前にフラッと落ちる当たりがいつか飛んでくるかもしれないと想定し、大引コーチは普段からノックを打っていたのだ。

「我々は、試合で起こり得るであろうことを練習で潰しておきます。こういうことが起こるかもしれない、と。それが起こらないことのほうが多いかもしれませんけれども、どこかで役に立つかもしれない。その積み重ねだと思うんですよね」

 一つひとつのプレーを丁寧に積み重ねた先に、チームの勝利がある。そこに貢献できた者が、レギュラーになっていく。

 大引コーチは学生時代からそう研鑽を積み、おもにショートとしてオリックス、日本ハム、ヤクルトで13年間活躍した。決して派手な選手ではなかったが、逆にだからこそ、その心構えは西武の若手に響くものがあるかもしれない。

 たとえば、なぜカバーリングをするのか。

「万が一、キャッチャーがピッチャーへの返球で暴投を放ったら、ランナーに進塁されるわけですよね。だからショートは、キャッチャーからの返球にいちいちカバーに入るわけです。結局、13年間で暴投は1回もなかったですよ。

 でも、もし暴投を放ったキャッチャーがいて、それで負けると悔いを一生背負っていかないといけない。そこでショートがカバーに行くことで、救ってやれるかもしれません。それが野球、団体スポーツのすばらしいところじゃないかという話は選手たちにもしています」

 プロの世界に進む前の大学時代、大引啓次は「法政史上最高の主将」や「学生野球の鑑」と賞賛された。その生き方が今、再建中のライオンズに注入されている。

つづく>>