「スターダム」なつぽい インタビュー前編 スターダムの"リングの妖精"として華麗なファイトを見せるなつぽい。そのアクロバ…
「スターダム」なつぽい インタビュー前編
スターダムの"リングの妖精"として華麗なファイトを見せるなつぽい。そのアクロバティックな動きは、12年間打ち込んだバトントワリングで培われたものだ。しかしプロレスラーとしてのキャリアは、女優への夢を追いかけるなかで"逃げ"の選択肢を断つために飛び込んだ世界だった。
インタビュー前編では、なつぽいの幼少期から、過酷な伊藤道場での修業、そしてスターダム電撃加入に至るまでの、波乱に満ちたキャリアを深く掘り下げる。
幼い時からタレント活動をしていたスターダムのなつぽい
photo by Tanaka Wataru
【3歳からタレント事務所に所属】
――小さい頃はどんな子供でしたか?
「親から聞いた話ですが、"生意気"だったみたいです(笑)。3歳の時、タレント事務所のオーディションがあったんです。『ジャンプしてみよう』とか『手を叩いて』という簡単なもので、みんながやっているなかで私は何もせずにドスンと座っていたらしく。『なっちゃん、どうしたの、やらないの?』って聞かれて、『そんなの、私はできるからやらない』みたいな態度だったそうです(笑)」
――しかし、結局は事務所に所属することになりますね。どんな活動をしたんですか?
「初めてテレビに出演したのは5歳の時で、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)でした。クイズに間違えると滑り台からズズズッと落ちる企画で、お父さん役がとんねるずのノリさん(木梨憲武)とタカさん(石橋貴明)。お母さん役は、私の本当の母でした。そのあと、小学校低学年では『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)などの再現VTRの出演が多かったです」
――何かスポーツはやっていましたか?
「幼稚園の年長から高校3年生まで、約12年間バトントワリングをやっていました。アニメの『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』(テレビ東京系)を観て、それに憧れて誕生日におもちゃのバトンを買ってもらって。それを幼なじみの親友に見せたら、本物のバトンを持ってきたんですよ。彼女はクラブチームに入って、放課後に小学校の体育館でバトンを習い始めたんです。それで親から、『本物のバトンが欲しいなら、ちゃんと習いなさい』と言われたのがきっかけです」
――身体が柔らかいのはその影響も?
「そうですね。でも、体の柔らかさでいったら、生まれた瞬間から、足がビーン! と180度開いてたみたいです(笑)」
【10代で飛び込んだプロレスの世界】
――そこから、どのようにプロレスと出合うんですか?
「出会ったのは19歳の頃。バトントワリングがひと段落して、『芸能活動をもう一度やりたい』と思って、フリーで活動していました。ある舞台に出演した時に、『戦う女優団体を作りたいんです』と声をかけられて。それが『アクトレスガールズ』。私は初期メンバーとして誘われました」
――戦うことに躊躇(ちゅうちょ)はなかったんですか?
「躊躇しました(苦笑)。『女優になるからプロレスはやらない』と、ずっと逃げていたんです。やりたいことに結びつくとは思わなかったですし、プロレス活動をしている間に女優の目標がおろそかになる、と。だから半年ぐらいずっと断っていたんですが、ある時、スターダムの後楽園大会を観戦に行って。そこで初めてプロレスという世界に触れて、『面白いかも』と意識が変わりました」
――その大会で戦っていた選手は覚えていますか?
「覚えているのは、イオさん(現イヨ・スカイ)とコグマさん。コグマさんは小さいのに、メチャクチャ動いていたんですよ。周りから狙われやすかったけど、頑張っている姿に感動しました。
イオさんは身体能力が高く、動きがすごかった。私はバトンをやっていてアクロバットが得意だったので、それを見た時に『私もできる!』と思ってしまって(笑)。殴ったり蹴られて"怖い"という感覚よりも、アクロバティックな動きに惹かれた。本当に意識が一気に変わりました」
【「私、天才!」と思ったデビュー戦と、プロレス魂に火がついた一戦】
――なつぽい選手のデビューは、2015年5月31日。練習期間はどのくらいでしたか?
「本当に練習期間が短くて、たぶん3カ月もないくらい。デビュー戦の日が決まり、その間にコスチュームを製作したりと、怒涛の日々でしたね。プロレスがどういう世界かも理解してないままデビュー日を迎えました」
――デビュー戦の記憶はありますか?
「断片的に、ですね。でも感覚は覚えていて『私、天才だな』みたいな(笑)。何もできてないのに、『プロレス界でスターになれる!』という直感が働いたんです。『こんなに最初からできる子いないでしょ』みたいな感じで、リング上ですごく堂々としていたなと。
ただ......その時の動画は、今は恥ずかしくて観れないです。受け身ひとつ取れていないですし、『これ、本当にプロレスラー? なんで、あんなに自信があったんだろう』っていうくらい恥ずかしい。でもあの時は、とにかく自信がありました」
――他団体のプロレスリングA.C.E.(WRESTLE-1の若手主体興行)にも出場していますね。
「アクトレス所属のレスラーのなかで、他団体への出場が一番多かったんじゃないかなと思います。当時は右も左もわからない状態。アクトレスの興行が2、3カ月に1回のペースだったので、試合経験を積むために他団体にも出場していました」
――全日本女子プロレスにも所属していた、レジェンドの堀田祐美子選手とも戦いましたね。
「2016年1月31日、シングルマッチで戦いボッコボコにされました。でもそこから、プロレスへの熱が高まったと思っています。それまでのアクトレスでの試合は、『女優さんが和気あいあいと戦っています』みたいな感じ。それが、堀田さんとの試合で"本当のプロレス"を叩き込まれました。
私は、堀田さんが入場してくる時から怖くて泣いてました(苦笑)。でも、ちゃんとプロレスと向き合って、本気で『強くなりたい』と思いました」
――その後、伊藤薫選手の道場に通うことになりますね。
「2016年にSareee(サリー)とシングルで対戦する話が浮上しました。そこでSareeeの師匠・伊藤さんのお店に行くとご本人がいたんです。そこで『受け身も取れない子とSareeeを戦わせられない』と断られたんですが、『本当に戦う気持ちがあるなら、うちの道場の練習に来なさい』と言ってくださったんです。そこから、初めてプロレスの基礎を学ぶ日々がスタートしました。2017年2月くらいまでですかね」
――練習内容がかなりハードになったんじゃないですか?
「吐きました(笑)。当時は、伊藤さんの練習が『プロレス界で一番厳しい』と言われていたんです。今思えば、アクトレスの練習はみんなで楽しむサークルみたいな感じ。そこからスターダムに上がらせてもらって、風香さん(元スターダムGM)の練習に参加して『プロレスってきついんだ』と感じたんですけど、伊藤さんの練習は比較にならないほどハードな内容で......根性から鍛え直されました」
(中編:スターダムに移籍後、なつぽいが繰り広げた中野たむとの抗争 記者会見での「パスタ事件」の真相も語った>>)
【プロフィール】
なつぽい
1995年7月19日生まれ、神奈川県出身。身長150cm。幼少期よりジュニアアイドルとして活動し、3歳から芸能事務所に所属。小学校から高校卒業まで約12年間、バトントワリングに打ち込み、全国大会にも多数出場。女優を目指すなかでスカウトされ、2015年5月31日に「万喜なつみ」としてプロレスデビュー。アクトレスガールズ、東京女子プロレスを経て、2020年10月にスターダムに電撃参戦。「なつぽい」に改名後、ドンナ・デル・モンド(DDM)に加入し、その後COSMIC ANGELS(現:meltear)に移籍。ワンダー・オブ・スターダム王座やハイスピード王座など、数々のベルトを獲得している。