西武・鳥越裕介コーチインタビュー(前編) 球団史上最悪の91敗を喫した2024年シーズンから再建を図った今季。西武は3年…

西武・鳥越裕介コーチインタビュー(前編)

 球団史上最悪の91敗を喫した2024年シーズンから再建を図った今季。西武は3年連続のBクラスに沈んだが、チームに変化の兆しは見られたのだろうか。

「変わってきているとか、あまりそういう目では見ていません。去年がどうだったのかは詳しく知らないので、なんとも言えない部分ではありますけど」

 そう話したのは、去年の敗戦数と同じ背番号91を身にまとう鳥越裕介ヘッドコーチだ。昨季終了後、球団はレジェンド投手だった西口文也監督を二軍の指揮官から昇格させ、鳥越コーチを"右腕"として招聘した。新監督のもとで再建を託された鳥越コーチは今年、どんな目線でライオンズと向き合ってきたのか。


引退後、ソフトバンク、ロッテの二軍監督、コーチを歴任し、昨年オフ西武にヘッドコーチとして招聘された鳥越裕介氏

 photo by Sankei Visual

【信頼関係を結んでいる最中】

「シーズンを完走するなかで、どういったものが出てくるのかというところですね。会社からなにから、一軍も二軍も含めてライオンズという組織をしっかり見て、感じています。変わるのは当然。そんなに難しいことではないので。それがいい変化なのか、悪い変化なのか、しっかり見極めないといけないと思います」

 2018年からリーグ連覇を飾った西武が現在の低迷期に突入したのは、主力のフリーエージェントでの流出、若手野手の伸び悩みが大きい。結果、「ゆるい」と言われる雰囲気が蔓延した。

 それを払拭するために、招聘されたのが"鬼軍曹"の異名を持つ鳥越コーチだった。

「厳しいと言われますけど、今はまだ見ている段階なので、最低限のことしか言っていないですね。本当に勝ち抜くためには、もっともっと突き詰めないといけない。今それをやったとしても、たぶんついてこられない。信頼関係を結んでいる最中でもありますし。博多から来たおっさんが、ああだ、こうだと偉そうなことを言っても、誰も聞かないでしょ?(笑)」

 鳥越コーチは2007年からソフトバンクで11年、2018年からロッテで5年間、それぞれコーチと二軍監督を務めたあと、解説者として2年間活動し、今季西武で現場復帰した。

 両球団を指導する間、周囲の目に映ったのが「厳しい」という姿勢だった。

「『厳しい』とは何をもってそう言うのか、僕はわからない。勝つためにどうするか。それを『厳しい』と言う人がいるだけで。じゃあ、『甘いんじゃないの?』って言う人もいると思いますし。勝負の世界は厳しいものじゃないですか。それこそ、大谷翔平がどれだけ節制しているのか」

 令和の今、あらゆる競技でコーチのあり方が見直され、暴力や罵詈雑言はもちろん、ハラスメントにあたる言動はご法度だ。

 多くの指導者は昭和式のやり方で現役時代を過ごしたこともあり、今の選手との適切な距離感を模索している。去年までの西武では取り組み方の甘い選手がいても、コーチが気を遣いすぎて指摘できなかったという話も耳にした。そうした積み重ねも「ゆるい」雰囲気を招いたのだろう。

【イップスをつくったらコーチをやめる】

 一方、周囲に「厳しい」と言われる鳥越コーチに指導者の役割を尋ねると、核心をつく答えが返ってきた。

「はっきり言って、僕らなんか別にいなくてもいい存在です。イチローにしても、大谷にしても、コーチなんていらない人はいらないじゃないですか。彼らをサポートできる体制が整っていればいい。でも、全部が全部そういう人ではないですし。チームでやるスポーツなので、そういった意味では、いなければいけないのかなと思います。こういう話は難しいです。僕らの仕事には答えがないので。答えは、選手自身がつくり出すものだと思います」

 鳥越コーチは選手時代の自身について、「妥協しまくっていた」と振り返る。現在のように「厳しい」と言われる姿勢になったのは、現役生活に終止符を打った翌年のことだった。

「自分のことではなく、人のことになった瞬間から変わったような気がします。自分は妥協しまくっていたけど、コーチは人の人生を預かっているので」

 2006年限りでソフトバンクの選手として現役引退し、翌年から同球団のコーチに就任した。担当は二軍内野守備・走塁コーチ。この役割を引き受けるうえで、ひとつの覚悟を決めた。

「イップスをつくったら、コーチをやめようと思いました。高校生の時にできていたことが、プロに入ってできなくなるというのは、その子を下手にしているので。そうしたら、私にはコーチの資格がないと思いました。その緊張感は常に持ってやり始めたので、(厳しくなったのは)そこからですかね」

 プロ野球には、意外とイップスの選手が少なくない。それほど極限の緊張感で周囲や自身と向き合っているのだろう。

 鳥越コーチが長らく見てきたなか、技術から精神が崩れる者がいれば、その逆もいた。

「たとえば、投げる順番が崩れたとします。しっかり投げるための順番をちゃんとわかってもらうように取り組めば、それなりには直りますよ。ただし、失敗をする期間が長くなればなるほど、恐怖と戦わなければならない。失敗が多くなっているので」

 ソフトバンクのコーチ時代、イップスを抱えていたひとりが内川聖一氏だった。鳥越コーチ自身はスローイングに悩んだことがないが、2011年にフリーエージェント権を行使して横浜(現・DeNA)から移籍してきた内川氏が守備練習に取り組む姿を見ていると、並々ならぬ胸の内を感じさせられた。

【内川聖一に言った「逃げるな」の真意】

 転機になったのはソフトバンク入団6年目の2016年、レフトからファーストへのコンバートだった。大きな挑戦を前に、鳥越コーチはこう声をかけた。

「逃げるな。おまえには、打つことに関して誰よりも神様から授かった才能がある。だからこそ、苦手なものをつくるな。その苦手から逃げてしまったら、しょうもない人間で終わるで。できない人の気持ちがわかるようになるためにも、絶対に逃げるなよ」

 指導者が選手に伝えるうえで、表現の選択は極めて重要だ。「逃げるな」という言葉に、鳥越コーチはどんな意味を込めたのだろうか。

「内川が両リーグで首位打者を獲ったあとの話です。プライドもありますし、そういう人ってカッコ悪い姿を見せたくないじゃないですか。30歳を超えてからの新しいチャレンジだから、逃げようと思えば逃げられるんですよ。別にそのままレフトを守ればいい」

 だが、それでもキッパリ言った。

「おまえのレフトと中村晃のレフトを比べたら、おまえのレフトでは勝てねぇ。だからファーストだ。おまえにとっても絶対ファーストでやったほうが長生きするから、やろうや」

 当時、内川氏は33歳。体力などさまざまな点で衰えの出る年齢に差しかかってきたが、どうすれば少しでも長く現役生活を続け、充実させることができるか。

 内川氏は2000年ドラフト1位で大分工業高から横浜に入団した当時、ショートを守っていた。つまり、もともと守備はうまい選手なのだ。

 33歳で始めた、本格的なファーストへの挑戦。鳥越コーチは「逃げるな」と叱咤した以上、自分も逃げない覚悟を持たなければと決意した。

 それから3年後の2019年、内川氏は一塁手として自身初のゴールデングラブ賞を獲得する。鳥越コーチにとっても、大きな意義のある表彰だった。

「僕もすごく勉強させてもらいました。『逃げるな。ゴールデングラブを獲るぞ』と言うのがスタートで、最終的にエラーゼロで獲りましたからね。僕がいなくなってから獲りましたけど(笑)」

 2018年、鳥越コーチはロッテのヘッドコーチ兼内野守備・走塁コーチに就任する。ダイエー(現・ソフトバンク)時代に一緒にプレーした、後輩の井口資仁監督に請われたからだ。

 コーチは選手の人生を預かっている。だから、妥協は許されない──。2025年、西武のヘッドコーチに就任した今も、同じ姿勢で球団再建に挑んでいる。

つづく>>