レーシングドライバー → パイロット中嶋大祐 インタビュー 前編(全3回) 父は国内レースで圧倒的な強さを発揮し、日本人…

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中嶋大祐 インタビュー 前編(全3回)

 父は国内レースで圧倒的な強さを発揮し、日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋悟さん。兄も元F1ドライバーで、世界耐久選手権(WEC)で日本人初のチャンピオンとなり、ル・マン24時間レースで3連覇を達成した一貴さん。

 そして中嶋家の次男、大祐さんも国内最高峰のスーパーフォーミュラやスーパーGTで活躍していたが、2019年11月末、30歳を目前にして突然、レーシングドライバー引退を表明。サーキットから姿を消していた。

 あれから6年、大祐さんはいま、制服に身を包み、航空会社のパイロットとしてアジアの空を駆けめぐっていた。ドライバー引退後、どんな経緯でパイロットを目指し、現在はどのような生活を送っているのか。所属するPeach(ピーチ)の拠点がある関西空港で話を聞いた。



現在はパイロットとして働く元レーシングドライバーの中嶋大祐さん

【きっかけは家族旅行での"閃き"】

ーーパイロットの制服がお似合いですね。中嶋さんは現在、Peachでどういう雇用形態で働いているのですか?

中嶋大祐(以下同) Peachの一社員としてパイロットをしています。エントリーシートの書き方という本を買って、書類を手書きで記入して応募しました(笑)。採用試験を受けて合格し、入社しています。

ーー早速ですが、ドライバーを引退したあと、どのような経緯でパイロットになったのか教えていただけますか?

 私が引退したのは、ちょうど30歳になる年です。レーシングドライバーが現役で活躍できる期間は限られています。すごくうまくいった場合でも、40歳くらいまでできたら大成功という世界。だから当然30歳になる前から、引退後のことも多少、意識をしていました。

 父がチーム(ナカジマレーシング)を運営していますので、自然な流れとして自分もゆくゆくはチームを手伝っていくのかなという考えもありました。現役最後のほうは、ドライバーとして結果を出すことに全力を尽くしていましたが、同時にチームを運営するためのスキルを身につける修行のような意識を持ちながらやっていた面もありました。

ーーナカジマレーシングは、スーパーGTとスーパーフォーミュラで数々の勝利とタイトルを獲得する名門チームです。そこを当初は継ぐことを考えていたんですね。

 そうですね。そういう選択肢があるなかで、いざ30歳が近くなってきた時に自分がやりたいこと、できそうなことを考えているなかで、たまたま飛行機に乗って家族旅行をしたんですね。その時にふと閃(ひらめ)いたんです。パイロットの仕事ってどうやったらなれるのかなと。

 パイロットには子どもの頃から漠然とした憧れみたいなものはありましたが、パイロットになる方法や必要な資格などの知識がまったくなかったので、気になっていろいろと調べてみました。そうすると、意外とたくさんの会社で採用募集をしていることがわかりました。あと年齢や経歴に関してはとくに記載がなく、必要な免許を所有していることが応募要件だと書かれていました。

 ということは、免許を取ったらパイロットになれるのかな、ちょうど自分の年齢を考えても新しいことにチャレンジするのはなかなか難しいかもしれないけど、やれないことはないのかなと思って。それがパイロットを目指す最初のきっかけで、ドライバーを引退する1年ちょっと前のことでした。

ーーわずか1年くらいの間にドライバーを引退してパイロットを目指すことがトントン拍子で決まっていったってことですか?

 本当にそんな感じです。急に興味が出てきて、本を読んだり、インターネットで調べたりして、資格を取得するためにかかる費用や時間を自分のなかで計算して、チャレンジしてみようと決断しました。



現役時代の中嶋さん photo by JRP

【レース引退の葛藤と新しい夢への挑戦】

ーーでも、当時の中嶋さんはホンダのワークスドライバーで、国内のトップドライバーのひとりでした。ある意味、プロのドライバー全員が目指すポジションにいて、やろうと思えば、あと10年ぐらいは現役選手を続けられたはずです。しかもナカジマレーシングという名門チームのマネジメントをする道もあったわけですが、その両方を簡単に捨てることができたのですか?

 いや、もちろんいろいろな思いがあって、ひと言では言えませんが、ドライバーとしては自分が目指しているような結果がなかなか出ませんでした。そういうなかで、私がその当時、座っていたシートに乗りたいという下のカテゴリーで戦っている若い人がいっぱいいたわけです。

 もちろんドライバーの仕事を一生懸命に頑張っていたので、いきなり若い人に負けるとは思っていませんでしたし、まだまだやれるぞという気持ちはありました。ただ、そこで私が乗り続けるよりも、もっと若い人が乗ったほうが長い目で見たらいい未来があるんじゃないかという気持ちが芽生えてしまった。そんなふうに考えたら現役選手としてはもうおしまいだと思うんです。

 でも、それ以上に大きかったのは、やっぱり自分がやりたいことが見つかってチャレンジしてみたいという気持ちが強くなってきたことです。それがなければまた違っていたかもしれませんが......。

ーーナカジマレーシングを継ぐことに関しても、スッパリとあきらめることができたのですか?

 チームの運営に関して言えば、正直やってみたいという気持ちはありましたが、それもドライバーを引退しようと思った理由と一緒ですね。あえて私がやらなくても、他にもやりたい人がいるでしょうし、チームがよりよい形になるためには、私がいなくてもいいんじゃないかなと思ったんです。

ーーチーム代表を務める悟さんは、チームを引き継いでほしかったんじゃないですか。実際にそう言われたことは?

 やりなさいと言われたことはいっさいないですね。そこはやっぱり父も私に対して気を遣ってくれていたんだと思います。ただ、もし私がやりたいと言った時には否定もしないとは思うのですが......。でもまあ、父も好きなことをやり続けてきた人間です。私が新しいことに挑戦しようという気持ちはわかってくれていると思っています。

ーー兄の一貴さんには引退することを相談したんですか?

 いや、事前の相談は何もしてないですね。自分で将来どうするのかをすべて決めたあとに「レースをやめる」という話はしました。もちろん引退を公表する前のことです。兄は最初すごくビックリしていた記憶がありますけど、応援してくれましたね。

【レース経験は無駄にはならない】

ーーレースの世界を離れることに対して、あまり迷いや未練のようなものはなかったということですか?

 うまく説明するのが難しいのですが、もし別の道に進んだとしても、これまでレースで培ったことを全部放り投げることにならないと私は感じていました。これまでの経験が直接、新しい世界で生きるかどうかはわからないですが、無駄にはならないだろうなと。

 自分のなかでレースの延長線上にパイロットになる道もあると思っていましたので、未練とかそういう気持ちはなくて、すごくポジティブなチャレンジができそうだと前向きにとらえていました。

ーー中嶋さんの父や兄はF1ドライバーで、国内外のレースですばらしい成績を残してきました。どうしても周囲は同じように優勝やチャンピオンという結果を求めてしまいます。その期待に応えることができないことに自分自身、葛藤が少なからずありましたか?

 それはありましたね。レースをやっている時は中嶋家のドライバーとしてがんばらなければならないと、今にして思えば少し無理をしていたところがあったのかもしれません。でもドライバーを引退することを決めたのは、パイロットになるという新しいチャレンジをものすごく魅力に感じたからです。それが一番の理由です。

中編へつづく

<プロフィール>
中嶋大祐 なかじま・だいすけ/1989年1月29日、愛知県生まれ。2004年より全日本カート選手権に参戦し、2006年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(現ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿)に入校すると、スカラシップを獲得。2007年よりフォーミュラチャレンジ・ジャパンや全日本F3選手権に参戦。2009〜2010年には渡英し、イギリスF3選手権で活躍する。2011年より国内に活動の場を移し、ホンダのワークスドライバーとして国内最高峰のスーパーフォーミュラの前身フォーミュラ・ニッポンやスーパーGTに参戦。2019年シーズン限りでドライバーを引退。2021年に関西空港を本拠とする航空会社Peachにパイロットとして入社。現在は、副操縦士を務める。