後編:MABP、いざ初の東日本実業団駅伝へ始動1年目のMABPでキャプテンの重責を担う木付琳。國學院大時代には箱根駅伝に…
後編:MABP、いざ初の東日本実業団駅伝へ

始動1年目のMABPでキャプテンの重責を担う木付琳。國學院大時代には箱根駅伝に3度出場し、3年時からの2年間はキャプテンを務めた
photo by Murakami Shogo
前編を読む>>>ニューイヤー出場権奪取なるか 神野大地"監督"率いるMABPが東日本実業団駅伝に挑む「可能性は50%です」
【5年ぶりに自己ベストを更新】
10月4日、世田谷陸上記録会の10000m7組。ゴールした木付琳は、自身のタイムを確認すると笑顔を見せた。28分21秒06で、2020年11月の日体大記録会以来、約5年ぶりとなる自己ベスト更新。母校・國學院大の前田康弘監督や、以前に所属した九電工(現・クラフティア)のコーチらも笑顔で言葉をかける。木付の止まった時計が再び、力強く動き始めた瞬間だった。
今年3月、木付は、神野大地がプレイングマネージャー(選手兼監督)として立ち上げた実業団チーム、MABPマーヴェリックに移籍。主将に就任し、新たな気持ちで再始動した。だが、当時は、冬から続いていたアキレス腱周りの故障に苦しみ、ポイント練習に戻ってきたのは5月だった。
「チームが始動した頃は結構、体がなまっていて、なかなか動かなかったですね。特に5、6月は苦しくて......。7月のホクレンのレース(ホクレン・ディスタンスチャレンジ)は出ない選択肢もあったのですが、チームとしてターゲットにして動いていたので、そこはチャレンジしてみようと出場したんです。
でも、千歳大会は5000mで14分20秒29、さらに網走大会では大学時代にも出したことがないような(遅い)タイム(14分35秒87)が出てしまって......。練習の強度は上がっていたんですけど、体が追いついていかない状態で、現実はうまくいかないな、今の実力がしっかり出てしまったなと思いました。ただ、タイムはショックでしたけど、落ちこむことはなかったです。夏が勝負、今は我慢だなって思っていました」
ホクレン網走大会の5000m、チームメイトで、実績のある鬼塚翔太は13分56秒30とまずまずだったが、木付と板垣俊佑、栗原直央の3名は設定タイムに届かず、チームには重苦しい空気が流れた。その夜、ミーティングを行ない、「このままでは(ニューイヤー駅伝の予選となる)東日本実業団駅伝を通過することは難しい」という危機感を共有した。木付自身も、自分に課せられた役割をあらためて噛み締めた。
「(プレイングマネージャーの神野さんを除き)日本人選手が7人で、そのうち新卒が4人なので、僕は大学の時よりもいい状態に持っていかないと予選を通らないと思っていましたし、その責任は十分に感じていました。(春夏の)トラックシーズンは結果を出せなかったですけど、本当の勝負は夏明けからだと思っていたので、夏合宿でどれだけやれるか。個人としても、チームとしても、そこをすごく重視していました」
【チーム発足当初、不安の声を上げる選手も】

合宿明けの世田谷陸上記録会で好走。「東日本を前に自信になった」と語る
photo by Suzuki Naoki
MABPの第1次夏合宿は、7月末から25日間、菅平(長野県上田市)周辺で行なわれた。1、2週間くらいの合宿を行なう大学や実業団が多いなか、異例の長さだ。チームのメインテーマは、秋の駅伝シーズンに向けての脚づくりで、木付もそれが重要だと感じていた。
「7月末から8月上旬までは土台づくりのジョグと距離走、それに補強(トレーニング)をプラスして、今後の合宿や秋以降にケガをしないための準備をしました。大学の時は3部練習で月間走行距離が1000kmを超えていましたが、今回は800km。ただ、練習の質が全然違いますし、今思えば、ここで距離を踏めたのが、すごく大きかったですね」
8月末から9月半ばにかけては北海道の深川市と士別市で合宿を行ない、さらに9月末からは再び菅平で第3次夏合宿を張った。そのなかで、木付は自分の調子が上がるきっかけをつかんだ。
「北海道合宿からスピード練習が入ってきて、そこで3000mTT(タイムトライアル)をやったんですけど、8分06秒ぐらいで走れたんです。1km2分50秒のペースがすごくラクに感じられて、状態が上がってきたので、これからいけるなという自信になりました。大学を卒業してからの3年間は、本当に何もできなかったんですけど、走っていて楽しいなっていう感覚がやっと出てきたんです」
木付が復活への歩みを始めるなか、チームは1次合宿からひとりも故障者を出さなかった。MABPは神野を含めて日本人選手が8名、外国人選手が2名の少数部隊だ。東日本実業団駅伝は全7区間で行なわれるため、故障で離脱する選手が出てくると、出場に危険信号がともる。
そのため「誰ひとりとして欠けられない」という意識を共有し、コンディション管理に細心の注意を払ってきた。同時に、トレーナーの中野ジェームズ修一の指導のもと、練習前後のケアをしっかり継続できたことも大きかった。
「たまに足に痛みが出ることがありましたが、ケガにまではつながらなかった。それは中野トレーナー、木村(竣哉)トレーナーの指導があって、練習前後にしっかりストレッチができていることが大きいかなと思います」
実は新チーム発足当初、中野が指導する補強トレーニングやケアをすることに抵抗感を覚える選手もいた。経験の少ない学生とは異なり、実業団の選手ともなれば、自身の経験則に基づいたやり方を確立しているからだ。
「みんなプライドを持ってやってきたなかで、新しいものを取り入れるのはすごく大変なことだと思うんです。抵抗感や不安の声もあったので、『最初からやらないのではなく、しっかり1年やってみて、そのうえで意見を言えばいいのではないか』という話をしました。
神野さんもストレッチなどケアの重要性をよく言ってくださいますし、僕も合宿でみんなと一緒に時間をかけてストレッチをしました。こういうケアのやり方は大学や実業団によっては、丁寧に教えてくれないところもある。座学でも学ぶことが多かったですし、こうした積み重ねによってケガ人ゼロで合宿を終えられたのはすごいことだと思います」
その成果が世田谷の記録会で出た。
「世田谷の記録会は、タイム狙いというよりも東日本(実業団駅伝)に向けての通過点という位置づけだったんです。数日前まで菅平で合宿をして、1週間、毎日30km以上走っていたので、タイムは期待せず、レースに合わせていくという感覚もなかったんです。28分30秒台で行けたらと思っていたのですが、後半に持ち直して、粘って自己ベストを出すことができました。やっぱりうれしかったですし、3月からの成長を確認することができたので、東日本を前にして大きな自信になりました」
【ひさしぶりの駅伝なので楽しみ】

単独チームでの駅伝出場は大学4年時の箱根駅伝以来となる
photo by Murakami Shogo
印象的だったのは、木付本人よりも家族や周囲の人たちが喜んでいたことだ。木付もまた声援が力になったことを実感し、レース後、応援してくれたファンの前でお礼を述べた。そういう背中や行動を見せることで、チーム内の選手の意識も変わっていき、愛されるチームになっていく。
いい流れで東日本実業団駅伝の当日を迎えられそうだが、木付は「油断をしてはいけない」と気持ちを引き締める。國學院大4年時、箱根駅伝直前の12月にアキレス腱に痛みが出て、迷いがあるなか、結局、レース前日に出走を決めた。結果は7区20位と思うような走りができなかった。
「あの時は僕が走らないと12番目の選手が走ることになる状況だったので、監督と話をしてイチかバチかで出たんですけど、チームに迷惑をかけてしまって......。そういう経験があるので、レース当日を迎えるまでは気が抜けないですね」
MABPのエントリーは全10名だが、2名いる外国人選手のうち走れるのはひとり。また、今年6月に難病ジストニアの手術を受け、いまだ回復途上の神野を除いた日本人選手7名のなかから6名が走ることになる。
「補欠とかの余裕もないので、ケガや病気になったらヤバいっていう緊張感がみんなにあります。その意識はチームがスタートした時からありますが、最近はひとりでも欠けたらチームが終わってしまうという危機感と、自分がやるんだという自覚が強くなっています。東日本の当日に向けて、体調管理にはかなり気を使っています」
異様な緊張感は、きっとレース当日まで続くだろう。ただ、準備に抜かりはない。試走を2回行ない、コースの特徴は把握できている。
「基本はフラットなコースですが、途中に橋があって、そこは結構キツいと思いましたし、折り返しもあります。そういうコースなので、前後の差は目で確認できますし、順位を考えて走ることができるのは大きいかなと。声かけのスポットも多いので、チームと、チームを応援してくださるファンの皆さんの全員で戦えると思います」
元日のニューイヤー駅伝の出場権は上位12チームが獲得し、さらに第70回記念大会の特例措置として、タイム条件をクリアすれば、さらにもう1チームにチャンスが与えられる。勝負のポイントはどこにあると考えているのだろうか。
「1区、2区のセットが重要です。ここで14番以降に落ちてしまうと、出場圏番内に戻すのが大変になる。でも、ひと桁の順位で推移していけば、そのままレースが流れていくでしょう。だから重要になるのが1区ですが、チームには1区を得意とする選手がいるので、いい流れをつくってくれると思います。新卒組の4人は駅伝初心者みたいなものですが、それぞれ力を発揮してもらうしかないですね。最近は、クラブハウスでの食事中に、過去の東日本実業団駅伝のレース映像を流しているので、走るイメージはできていると思います」
木付は九電工時代、実業団混成チームの一員として九州実業団駅伝の1区を走ったことはあるが、単独チームでの駅伝出場は大学4年時の箱根駅伝以来になる。
「ひさしぶりの駅伝なので楽しみですね。もちろん、区間賞を獲りたいですが、駅伝では大外しをしないのが大事なので、そこを踏まえて全力で走りたいと思っています。(チームの)YouTube(チャンネル)などを見て、自分たちの活動を応援してくれる方がいるので、そういった方々に結果で返したい。ニューイヤー、決めたいですね!」