<令和7年度 秋季東京都高等学校野球大会:国士舘4―3日大二(延長11回タイブレーク)>◇27日◇3回戦◇新日本物流スタ…
<令和7年度 秋季東京都高等学校野球大会:国士舘4―3日大二(延長11回タイブレーク)>◇27日◇3回戦◇新日本物流スタジアム多摩球場
週末の土日の雨で、予定がスライドした秋季東京都大会。試合前は砂入れもして、再度ノックのみから試合開始となった。
国士舘はコロナ禍で中止となった第92回大会を含めて、センバツは10回の出場実績があり、秋季大会では伝統的に好成績を残している実力校と言っていいであろう。その一方で、夏は西東京時代に2度、一時的に東東京に移って4度の準優勝があるが、優勝は2005(平成17)年だけである。「秋の国士館」ともいえるのかもしれない。その国士舘は、この秋の本大会では安田学園を5対2、工学院大付を5対0で下しての進出だ。
過去の甲子園出場ということで言えば、日大二の場合はさらに遡っていかなくてはならない。春は、1959年と1961年の2度出場している。夏も、59年を始めとして60~80年代までで4度の出場を果たしているが、平成以降の甲子園出場はない。それでも、「左胸のNの文字は一度下がっても、必ずまた上がっていっている」ということを、OBでもある齊藤 寛文監督も、継承している。その思いは意図的に選手たちにも伝えているという。学校としては、来年学園の創立100周年を迎え、その節目の年に野球部の復活甲子園も目指したいところである。
この秋の日大二は都大会初戦では都立の難敵・江戸川を10対3とコールドゲームで下した。2回戦では甲子園実績もある強豪・国学院久我山と乱戦気味のスコアにはなったが、延長10回タイブレークの末に13対12で下しての3回戦進出である。
この試合も、2回に日大二が7番中村 慎之助選手(2年)の二塁打で先制するが、国士舘も5回に一死一、三塁から時崎 涼選手(1年)の内野ゴロの間に、三塁走者が還って同点。その後は、日大二の先発左腕・杉山 蓮投手(2年)と国士舘の2番手・杉本 大維投手(2年)との投手戦の様相となったが、日大二がやや押し気味だった。それだけに、最終的にはタイブレークで屈したことに齊藤監督は、「勝てる展開の試合でした。だけど、監督としてのキャリアの浅さとチームとしても経験の少なさが出てしまって、勝ち急いでしまいました」と悔いていた。
特に悔いたのは二度のタッチアップチャンスだ。最初は7回、連打と暴投もあって、一死二、三塁という場面で、途中から2番に入っていた公木 悠太選手(2年)の打球は、いい当たりでかなり深い位置へのライナーだったが、三塁走者は本塁を狙うのを躊躇してしまい、得点機を逃した。
もう一つは、延長タイブレーク11回、3点を奪われた後の攻撃で内野安打、左前打に後逸で1点差に迫り、なおも無死二、三塁。一気に逆転サヨナラの好機になったところで、藤宮 基世選手(1年)の打球は、やや浅めの中飛だったが、三塁走者は思い切ってスタート、ここは国士舘が中継プレーでタッチアウト。たちまち二死二塁となった。1番・小椋 雄仁選手(2年)は安打で繋ぎ二死二、三塁から一打逆転の可能性もあったが、最後はタイブレークに入ってからマウンドに立っていた国士舘の3人目、海老澤 健投手(2年)が踏ん張った。
また、10回の一死二、三塁からのスクイズ失敗も悔いていた。「あそこも勝ち急ぎでした。ゴロGOで行くとか、もう少し何か策はあったかなとも思います」。守りでは、杉山投手をはじめとして、よく粘っていたが、多くの課題の見えた試合だったようだ。
国士舘のタイブレーク11回は申告敬遠を含めて3四死球の2押し出と犠飛で3点を奪っていた。
国士舘の箕野 豪監督は、「苦しみましたね。疲れました(苦笑)。相手の杉山君は、コントロールもよかったので、どこかで捉えられるかなと思っていたのですが、大事なところであと一本を打たせてもらえませんでした。それでも、投手は予定していた3人が、良く粘って投げてくれました。そんなに打てるチームではありませんから、こういう勝ち方はウチらしいともいえます」と、ベスト8進出を決めて安堵していた。