サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、人口60万のワールドカップ出場国について。

■常連国を退けて「D組首位」で獲得

 サッカーは、なかでもワールドカップは、私たちを思いがけないところに連れていってくれる。実際に行くという意味ではない。さまざまな代表チームがワールドカップに出場することで、日本人のほとんどがまったく知らなかった国のことを知るチャンスに恵まれるのである。10月13日に終了したアフリカ予選で、「常連国」カメルーンを退け、カーボベルデがD組首位で初出場を決めた。

 カーボベルデって、アフリカのどこ? そんな疑問を持ったファンは、素晴らしい「サッカーマインド」の持ち主だ。そうした疑問から、世界地図を広げてみた人は、サッカーを通じて自分の世界を豊かにしているに違いない。

 しかし、アフリカ大陸の地図を詳細に眺めても、「カーボベルデ」などという国はない。今は誰も地図なんか眺めない? Google Mapで検索する? まあ、そのあたりは大目に見てほしい。

■エンリケ航海王の探検隊が「発見」

 カーボベルデはアフリカ大陸本土ではなく、その西、はるか大西洋上にある島国なのである。国名はポルトガル語で「緑の岬」を意味するが、その「ヴェルデ岬」自体は、アフリカ本土の西端、セネガルの首都ダカールを含む半島である。1444年、日本では室町時代の中期に、ポルトガルの「エンリケ航海王」が派遣した探検隊がこの岬を「発見」して「緑の岬」と名づけた。そして、その数年後、探検隊は、この岬の西650キロの大西洋上にいくつもの火山島を見いだし、その島々を「緑の岬に付属する島々」と呼んだという。

 紀元前に地中海を制覇したフェニキア人がこの島を訪れ、中世には航海技術に長けていたアラビア人が塩を求めてこの諸島にやってきていたという話もある。しかし、ポルトガル人が「発見」したときには無人島であり、そこからポルトガル人の入植が始まった。気候は年間を通じて20度から30度と快適。しかし、中緯度の乾燥帯にあるため、雨が非常に少なく(同じ緯度のアフリカ本土ではサハラ砂漠が広がっている)、年間300ミリほどしか降らないため、農業に適さなかったことから大規模な入植は行われなかった。この島々の重要性が増したのは、16世紀になってアフリカから南北アメリカ大陸に向かう奴隷船の中継地となってからだった。

■W杯に「7度目の挑戦」で初出場!

 1975年にポルトガルから独立、現在の人口約60万(埼玉県の川口市とほぼ同じ)の7割は、ポルトガル人とアフリカ系のミックスだという。1978年にはサッカーの「カーボベルデ代表」が初めての試合を行い、サッカー協会は独立から7年後の1982年に設立された。しかし、国際舞台への意欲には乏しく、アフリカサッカー連盟(CAF)と国際サッカー連盟(FIFA)に加盟したのは、1986年のことだった。

 アフリカ・ネーションズカップに初エントリーしたのが1994年大会。FIFAワールドカップは、2002年の日韓大会が初めてのアフリカ予選参加だった。そして今回、7大会目の挑戦で、ついに出場権獲得にこぎつけた。アフリカ予選のD組では、7勝2分け1敗、勝点23という圧倒的な成績だった。この数字が今回の「アジア最終予選」での森保ジャパンと同じであることを考えれば、カーボベルデの強さが少し理解できるのではないか。

 ユニフォームは国旗の主要な色と同じ青である。もちろん、「大西洋」を表している。「青いサメ(ポルトガル語でトゥバロンイス・アズイス)」のニックネームを持つ。

 初戦はホームでアンゴラと0-0の引き分け、2試合目でエスワティニ(旧称スワジランド)にアウェーで2-0の勝利を飾った後、カメルーンに1-4(アウェー)で敗れたものの、以後は5連勝。今年9月にはカメルーンをホームに迎えて1-0の勝利。ポルトガルのカーザピアでプレーするFWダイロン・リブラメントが自陣からカメルーンDF3人を置き去りにする超スピードのドリブルシュートを決め、ヒーローとなった。

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