サッカーは常に変化している。そうして新たな時代が築かれていく。だが中には混乱を生む、歓迎されない変化もある。蹴球放浪家…

 サッカーは常に変化している。そうして新たな時代が築かれていく。だが中には混乱を生む、歓迎されない変化もある。蹴球放浪家・後藤健生が、頭を悩ませたように……。

■ジダン「伝説ボレー」の決勝戦で対戦

 選手時代のプラセンテは2002年の日韓ワールドカップにも出場しています。ユース時代には1997年のワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)マレーシア大会で優勝しています(U-20ワールドカップで選手としても監督としても優勝した人物はいないそうです)。

 1997年大会と言えば、山本昌邦監督の日本代表も出場。現日本サッカー協会会長の宮本恒靖中村俊輔、柳沢敦、廣山望(現U-17日本代表監督)などがいるチームでしたが、準々決勝でガーナと戦い、延長戦の末に敗れてしまいました。

 ですから、僕もマレーシアまで観戦に行っていましたから、プラセンテのプレーも見ています。

 また、2002年5月にスコットランド・グラスゴーのハンプデン・パークで行われた2001-02UEFAチャンピオンズリーグ決勝は、あのジネディーヌ・ジダンのボレーシュートで有名でしたが、その試合にも当時レバークーゼンのサイドバックだったプラセンテが出場していますから、その試合も僕は観戦していました。超攻撃的だったレバークーゼンの攻撃の一翼を担っていました。

 ヘアスタイルが変わると、人間の印象はすっかり変わってしまうものですね。

■チームを初優勝に導いた「長髪の英雄」

 そういえば、もう一人、長髪で有名だったアルゼンチン代表選手がすっかりヘアスタイルを変えていたのを見かけたことがあります。

 長髪のアルゼンチン選手といえば、古くからのファンの方ならお分かりですよね。マリオ・アルベルト・ケンペスです。

 1978年に地元で開催されたワールドカップで、監督のセサール・ルイス・メノッティは国内組を集めて「チーム」をつくり、ヨーロッパで活躍する「海外組」で招集したのはケンペス(スペインのバレンシア所属)だけでした。「エル・マタドール」つまり「とどめを刺す男」と呼ばれたケンペスは1978年大会で6ゴールを決めて得点王となり、チームを初優勝に導きました。

 長髪をなびかせて走るケンペスの姿は、1978年大会を象徴するものでした。

 2011年にコパ・アメリカがアルゼンチンで開催されました。「アルゼンチン開催のコパ・アメリカが面白くないはずはない」と思った僕は、迷わずに観戦に行きました(実際は、アルゼンチンもブラジルも本調子でなく、ともに準々決勝敗退。「なんだかなぁ」という大会でした)。

 7月11日には、アルゼンチン対コスタリカの試合を見にコルドバのスタジアムを訪れました。その名も「エスタディオ・マリオ・アルベルト・ケンペス」。そう、ケンペスはコルドバ州出身でコルドバのインスティトゥートでプロ・デビューを飾っています。

■「黒髪になった」「髪を伸ばした」日本代表

 試合前に記者席に座っていたら、周囲の人たちが立ち上がりました。何ごとかと思ったら、ケンペス本人が階段を上がってきたのです。コルドバでは、今でもケンペスは英雄の一人なのです。

 しかし、2011年、57歳になったケンペスは短髪。まるでビジネスマンのように髪を整え、スーツを着こなしていました。街ですれ違っても、それがケンペスだとは絶対に気が付かなかったことでしょう。

 やはり、ヘアスタイルは人間の印象を大きく変えてしまうというわけです。

 黒髪になった伊東純也とか髪を伸ばした前田大然、あるいはやはり髪を伸ばしたマルコス・ジュニオール。慣れるのに、ずいぶん時間がかかりました。

 スタジアムで試合を見ていると背番号が見づらいこともあります。国立競技場の記者席は高いところにあるので、選手は小さくしか見えません。そんなときにはシューズの色とか髪型を手がかりにどれがどの選手かを追っているのです。選手のみなさん、どうかお願いですから、あまりヘアスタイルを変えないでください。少なくとも、シーズン中に髪型を変えるのだけは勘弁してほしいものです。

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