『ハイキュー‼』SVリーグ コラボ連載vol.2(5)サントリーサンバーズ大阪 鬼木錬 前編(連載4:群馬グリーンウイン…
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(5)
サントリーサンバーズ大阪 鬼木錬 前編
(連載4:群馬グリーンウイングス中野康羽は、京都橘時代にビーチとの「二刀流」で全国へ 目標は先輩の和田由紀子>>)
【昨シーズン、失いかけた自信】
〈バレーボール人生に挫折なし〉
サントリーサンバーズ大阪のミドルブロッカー・鬼木錬(25歳)は、そう言えるほどのキャリアを過ごしていた。
204cmのミドルブロッカー、サントリーの鬼木
photo by YUTAKA/AFLO SPORT
高校1年生でサッカーのGKからバレーに転向。めきめきと頭角を現し、強豪の日体大に進学すると、日本人離れした"高さ"を生かして活躍した。2023年にサントリーに入団したあとはいきなり出場機会を得て、2024年には日本代表メンバーにも選出されるなど、突っ走ってきた。
ところが、SVリーグ初年度の昨シーズンは少し様相が違った。
「チームとしては天皇杯、SVリーグ初代王者と結果を出せたんですけど......個人としては前半戦こそ先発で出られていたのが、(12月の)天皇杯決勝を前に体調を崩して、(柏田)樹さんが出てスタメンの座を失って......終盤は(佐藤)謙次さんにスタメンが変わりましたし、悩みましたね」
身長204㎝、筋骨隆々の鬼木は、巨躯を小さくして言った。しかし、その挫折こそ、彼が"真の巨人"に変身するきっかけかもしれない。
「迷いながらプレーしている時期があったシーズンでした。どうしたらいいんだろうって」
鬼木は低い声で言う。
「(チーム入団)1年目に優勝した時は気負いがありませんでした。のびのびとやれていたんですが、2年目に出場機会が増えて『しっかりやらないと』と思いすぎて、自信が持てなかったんです。自分自身の問題だったと思いますね」
彼は反省の言葉を口にした。武蔵坊弁慶、ゴリアテ、金剛力士像などを思わせる巨漢だが、優しさがにじみ出る。真面目な性格なのだ。
レギュラーシーズンは44試合、全試合に出場した。アタック決定率も57.4%と高かった。セット数はポストシーズン含めて153セット。シーズン終盤のVC長野トライデンツ戦では、POM(試合ごとの最優秀選手)に選ばれるほどの活躍を見せた。
「長野戦はクイックが決まって悪くなかったですが......」
彼は自分に厳しかった。
「意識していたら、スパイクも距離感をうまく出せました。ただ、ネットに近く入りすぎてしまったり、コンビの精度が悪かったりと一本ミスすると、引きずってそこから落ちてしまうところがありました。それで交代になって......メンタルの問題だったかなと思います」
【こだわるのはブロックの質】
チャンピオンシップ準決勝も、鬼木は1,2戦に先発しながら3戦目は外れた。
「出たかったですけど、あんまり(点数も)決めていなくて......自信をなくしていました。だから正直、代えられて少しホッとした部分もありました。監督には信頼して使ってもらい、『楽しめ』と言ってもらえたんですが、気負い過ぎてしまって。メンタル的に苦しかったですね。決勝も体調を崩してしまいましたし」
己のミスが許せないのだろう。それは細心とも言えるが、ミドルブロッカーはさもなければ任せられないポジションとも言える。適当で、ズボラな性格では肝心の守りが崩れる。彼のような責任感が資質として求められるはずだ。苦しいかもしれないが、その重さに耐えられるか。そこにミドルというポジションの肖像が浮かぶだろう。
「チームに入団した時より、ブロックはよくなっていると思います。去年も、オリビエ(・キャット)監督に『ブロックが大事』と言われましたし、(形を)固めてきました」
正直者の言葉には重みがある。あと少しで、彼は突き抜けられるはず。その紙一重があるとすれば――。
「そこは、ブロックの質かなと思います。動きのところで、寄りの速さだったり、サイドステップだったり、手の出し方やそこでの高さだったり......代表に呼ばれた時、同じミドルの西本(圭吾/東レアローズ静岡)さんと比べると、『動きの質が違うな』と思いました」
己を磨く彼は、王者の"門番"になるだろう。今夏には、大切な伴侶も得た。
「今年はもっと試合に出たいですね。そして活躍したい。その先には、日本代表もある。選んでもらえるようにアピールしたいです」
心優しき巨人の誓いだ。
(後編:鬼木錬が選ぶ『ハイキュー‼』ベストメンバー 自分と同じミドルでは音駒のクロに共感>>)
【プロフィール】
鬼木錬(おにき・れん)
所属:サントリーサンバーズ大阪
2000年8月28日生まれ、福岡県出身。204cm・ミドルブロッカー。中学までサッカーをやっていたが、バレーボール部の監督に誘われて祐誠高校1年からバレーを始める。その後、日体大を経て2023年にサントリーサンバーズ大阪に入団。10月にVリーグデビューを果たした。同年にはユニバーシアード日本代表、翌年にはシニア日本代表に登録された。