GⅠ優勝2度を誇る吉田拓矢 photo by Hirose Hisaya【関東勢をけん引する実力者】 開催のない競輪場で…


GⅠ優勝2度を誇る吉田拓矢

 photo by Hirose Hisaya

【関東勢をけん引する実力者】

 開催のない競輪場での取材。吉田拓矢(茨城・107期)と取材陣は、インタビューする部屋に向かうために、バンクを横切ってメインスタンドに向かった。その道中、吉田にここ最近の調子について問いかけると、誠実に答えはするものの、言葉は少なく、どこか遠慮がち。薄暗い廊下を通ってやや狭いエレベーターで4階まで上がる間も無言。だが決して取材が嫌でも人見知りというわけでもなかった。

「あまり注目されるのが好きじゃないんです」

 取材中、何度かそう口にした吉田。そんなアスリート然としない選手ではあるが、その実力は折り紙付き。30歳にして、GⅠ優勝2度の実績の持ち主で、今年の年末に開催される最高峰のレース『KEIRINグランプリ2025』への出場も内定している。同時に、約2220人いる競輪選手の最上位クラス9人に位置するS級S班への昇班もほぼ確実となっている。

 10月23日(木)からのGⅠ『寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント』、11月19日(水)からのGⅠ『朝日新聞社杯競輪祭』でも優勝候補のひとりに挙げられている、関東の星だ。


今年5月、GⅠ「日本選手権競輪」を制した吉田

 photo by Takahashi Manabu

 吉田に自身の強みを聞いてみると、「突出したところがないと思っていて、バランスよくという感じ」と語るように、何らかの爆発力で勝負する選手というよりも、すべてをそつなく、高いレベルでこなす選手という印象を受ける。

 豪傑さも、化け物のようなエピソードもないが、愚直に、淡々と練習をこなし、結果を出し続けてきた吉田。そして何より人との絆を大切にしている印象もある。彼はどのような経緯をたどってここまで成長できたのだろうか。その生い立ちから紐解いてみた。

【水泳をやめる口実で自転車に】

 吉田は5歳から水泳を始め、小学6年生の時にはジュニアオリンピックのリレー種目でふたつの銀メダルを獲得している。リレーのいち選手であっても、そのポテンシャルの高さは言うに及ばないが、本人は「全然普通の選手。準優勝したのはリレーですし、仲間で獲ったものなので......」と謙遜した。当然のように中学に上がっても水泳を続けたが、どこか物足りなさを感じていた。

「中学ではもう水泳の熱はなかったですね。惰性でやっていました。泳ぐのは苦しいだけで、ただ練習するのが日常化していただけでした」

 高校では水泳を続けたくないと思っていた吉田は、やめる口実を探すようになる。そんな時に思いついたのが、自転車競技への転向。父・吉田哲也(51期/引退)は49歳まで活躍した競輪選手で、自転車競技は身近な存在だったからだ。


質問に和やかに答える吉田

 photo by Hirose Hisaya

 父親は家庭で競輪の話をすることがなかったこともあり、吉田は職業として興味を抱いていなかったが、それを口実にすれば、水泳のコーチも納得してくれるだろうと考えた。

「ちょっとドキドキしながらコーチに言いに行きました。『自転車をやりたいから水泳をやめたい』と」

 言い訳めいた理由で、決して褒められたことではなかったが、ともかく水泳をやめることはできた。それでも吉田は「この時に自分で決断できたことはよかった」と言う。初めて自分の意志を伝えて生きる道を選択できたことに、少し大人になったような気分になり、大きな自信を手にしたという。

【屈辱を味わった高校時代】

 高校で自転車競技部に入ると、すぐにその魅力に取りつかれた。

「水泳はずっと水のなかで景色が変わらないんですが、その点、(景色が変わる)自転車は楽しかったですね。ゼロからのスタートだったので、どんどんタイムが伸びていくのも楽しかったです。僕にとっては水泳のようなタイムレースよりも、自転車みたいな駆け引きがあってコンタクトもあるスポーツのほうが面白いと思いました」

 吉田は中長距離の選手として活躍し、3年の春にはポイントレースで全国一に輝く。また2年からジュニアのナショナルチームにも所属するなど、同年代でもトップクラスの実力者となった。しかしこのナショナルチームで屈辱を味わう。

「ナショナルチームには短距離3人、中距離4人の枠があって、最終的に8人が選ばれたんですが、僕の立ち位置は短距離だと4番手、中距離だと5番手みたいな感じでした。だから7人が出られると言われた時には、自分だけ呼ばれなかったんですよね。それがめちゃくちゃ悔しかったです」

 ナショナルチームに所属しながらも遠征には1度も呼ばれたことがなかった。その状況にやるせなさを感じた吉田はさらに自転車競技を突き詰めようと、競輪選手を本格的に目指すことを決断する。親からは「大学に行ったほうがいいんじゃないか」と勧められたが、吉田の意志は固かった。

 高校3年時に競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の試験に合格し、高校卒業後に入学。在学中は「練習がめちゃくちゃ辛くて、時間が経つのがすごく遅かった」と言うが、想像以上にハードなトレーニングにも愚直に挑み続け、記録会では最高ランクのタイムを出した生徒に与えられるゴールデンキャップを獲得。在校成績6位の結果で卒業し、晴れて20歳で競輪選手への道を歩み始めた。


悔しさをバネに20歳で競輪デビューを果たす

 photo by Hirose Hisaya

【連勝続きにも慢心なし】

 吉田は2015年7月のデビュー戦から1着を連発して13連勝を飾り、その後2度2着になるも、そこからさらに9連勝を果たした。同年10月末には上位クラスのS級へ特別昇級。同期のなかでは一番乗りだった。だが彼に慢心はなかった。

「自分をそこまで評価していなかったので、こんなにとんとん拍子で行っちゃっていいのかなという不安を抱えながら走っていました。13連勝した後に、ちょっとホッとしたところがあって、少し停滞したんです。あまり注目されるのが好きじゃなかったのもありました。ただ連勝をしても浮ついた気持ちはなかったですね」

 デビューしたばかりの20歳の選手が、先輩選手たちを抑えて1着を獲り続けていれば、気の緩みが出て当然だが、吉田にそんな気持ちは一切なかった。それは師匠である十文字貴信(75期/引退)、身近にいた先輩で関東ゴールデンコンビとして知られた、武田豊樹(茨城・88期)、平原康多(87期/引退)の影響が大きかった。

「練習に対する姿勢、レースに対する臨み方や走り方は、武田さんに一番教わってきました。武田さんは勝っても浮つくようなことはなくて、それを僕は見てきたので、慢心というか、自分に満足したことは一回もないですね」

 とくに武田の「自分に対してすごくストイックで絶対に妥協しない」姿勢は、まさに吉田が追い求めている選手像だった。さらに武田からの言葉で肝に銘じていることがある。

「レースで勝っても負けてもその時の気持ちはその日で終わり。次の日に持ち越さない」

 それを心に刻み込んだ吉田は、レースの次の日には気持ちを切り替え、黙々と練習に励んだ。そして大きな波もなく順調にステップアップを遂げ、2021年、26歳の時に出場した競輪祭でGⅠ初優勝を飾り、翌2022年はS級S班として活躍するまでになった。


地道に努力を重ねてきた

 photo by Hirose Hisaya

【ドラマを生んだ仲間との絆】

 どんなに着実に歩んでいても、競輪人生においては大きな壁や深い谷に直面するもの。吉田にとってのそれは2023年8月のGⅠ『オールスター競輪』だった。その決勝で吉田は暴走により失格となってしまう。

「あの時はへこみました。(自分の後ろを走って優勝した)眞杉(匠、栃木・113期)には気持ちよく獲らせてやりたかったので、ちょっと申し訳なかったですね。その日の夜に佐藤慎太郎さん(福島・78期)、高橋晋也さん(福島・115期)、新田祐大さん(福島・90期)、新山響平さん(青森・107期)とご飯を食べて、いろんな声を掛けていただきました。『この先の競輪人生を考えたらいい教訓になったんじゃないか』と言われて、本当に助けられましたね」

 また心に刻んでいた、「次の日に持ち越さない」という言葉も吉田を救ってくれた。なんとか気持ちを立て直して練習に打ち込み、4カ月後、リスタートを切ることができた。

 ただすぐに結果が出たわけではなく、勝ったり負けたりを繰り返し、本調子とは言えない状態が続いた。そのなかで復活のきっかけとなったのが、2024年5月の『日本選手権競輪(通称:ダービー)』だった。決勝で関東勢を引っ張った吉田は、長年指導を受けてきた平原の優勝を見届けて4着に入った。

「平原さんが僕の後ろから優勝したのは、僕の競輪人生でもあれだけうれしいことはなかったというか、自分が優勝するよりもうれしいことでした。デビュー以降、武田さんと平原さんに競輪を教えてもらってきて、平原さんは僕と走るレースで何度かケガをしてしまったことがあったので、ダービー決勝という舞台で、恩返しというか、がんばれたことはよかったかなと思います」

 このレースが「自分の自信にもなった」と言う吉田は、その後完全復活を遂げ、翌2025年のダービーで今度は自身が優勝を果たした。この時も仲間を思うコメントを残している。

「(2023年のオールスター後から)眞杉はずっと僕のことを気にかけてくれて、今回も勝負権のあるところまで連れて行ってくれたので、仲間に助けられて勝てました」

 結局、吉田と眞杉はワンツーフィニッシュ。最高の結果に吉田は満面の笑みを浮かべた。


ダービーの優勝会見で笑顔を見せる吉田

 photo by Takahashi Manabu

【ファンに恩返ししたい】

 吉田は師匠、先輩、仲間との絆を大切にし、その絆を糧にして愚直に努力してきた。そんな彼に競輪の魅力を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「人間模様がレースに表れますし、人情もあるし、駆け引きもある。面白いスポーツだなと思います。それにがんばった分が自分に返ってくる仕事だと思います」

 同時に吉田は、自分のがんばりがファンの喜びにつながってほしいと願う。

「ファンの方々が車券を買ってくれているから、僕らも走れているわけです。だから極力お返ししたいと思っています。『こいつに入れておけば間違いないよ』『やっぱり吉田は来るよね』と言われるような選手になりたいですね」

 吉田の言葉の端々から、ファンあっての競輪、仲間あっての勝利という思いをひしひしと感じる。自分を引っ張り上げてくれるのも仲間なのだから、優勝して感謝こそあれ、おごり高ぶるのはお門違い。だからその日の喜びは次の日に持ち越さず、次は仲間を助けられるように、そして自分も成長できるように努力をする。そんな思いだ。

 父親は家庭で競輪の話をしなかったが、吉田自身はこの魅力ある職業を5歳と2歳の息子たちに伝えていきたいと考えている。

「まだ子どもは小さいんですけど、お父さんはやっぱりすごいなと思ってもらいたいですよね。自慢してもらえるような選手になりたいです」

 子どもたちふたりが、自分の進路を決める時に、本心から「競輪選手になりたい」と伝える日が今から目に浮かぶようだ。

【Profile】
吉田拓矢(よしだ・たくや)
1995年5月7日生まれ、茨城県出身。高校から自転車競技を始め、3年時には全国高校選抜ポイントレースで優勝し、4km速度競走で6位となる。高校卒業後に競輪学校に入学。ゴールデンキャップを獲得するなど在校成績6位で卒業した。20歳で競輪デビューするといきなり13連勝、S級に特別昇級する。デビューから2年後にはGⅠで初の決勝進出を果たすと、26歳の時に出場した競輪祭でGⅠ初優勝を飾る。2025年5月のGⅠ日本選手権競輪で2度目のGⅠ制覇を達成した。