今年の出雲駅伝を制した東海大と、連覇を狙う青山学院大の2強対決と見られていた11月5日の全日本大学駅伝。そんな前評判を覆し混戦を制したのは、20年ぶりの優勝となった神奈川大学だった。主将としてエースとしてチームを牽引する鈴木健吾 1区…

 今年の出雲駅伝を制した東海大と、連覇を狙う青山学院大の2強対決と見られていた11月5日の全日本大学駅伝。そんな前評判を覆し混戦を制したのは、20年ぶりの優勝となった神奈川大学だった。



主将としてエースとしてチームを牽引する鈴木健吾

 1区には1月の箱根駅伝に続いて、10月の出雲駅伝でも期待通りの走りをしていた山藤篤司(3年)が入り、最終8区には出雲を欠場した箱根2区区間賞の鈴木健吾(4年)を配置。神奈川大のチームの両軸を最初と最後に入れた布陣で、真ん中の2~7区の走りがカギとなるオーダーだった。レース前に大後栄治監督は「鈴木(健吾)の状態は8割くらい。2区以降が何とか強豪校についていってくれれば、ひょっとしたら勝てるかな? という感じですね」と笑顔で話していた。

 だがレースは、そんな大後監督の思惑以上の展開になる。1区は全日本大学選抜のムソニ・ムイル(創価大2年)が序盤からペースを上げて揺さぶると、青学大の中村祐紀(4年)が7.6km付近から遅れ始め、中継所では1位に1分22秒差の10位とつまずいた。一方の東海大も、出雲では5区区間1位で優勝の立役者となった鬼塚翔太が12km過ぎから遅れ始めて35秒遅れの8位と、優勝候補2校が出遅れたのだ。

 さらに2区でも青学大はエースの田村和希(4年)が区間賞の走りで追い上げたものの、トップから57秒差の6位に上げるにとどまり、塩沢稀夕(1年)を起用した東海大も区間5位で51秒差の5位と流れを変え切れなかった。

 もたつく2強を尻目に、レース前半をリードしたのは東洋大だった。1区区間1位の相澤晃(2年)で飛び出すと、4区終了時点までに2位との差を1分02秒まで広げた。だがそこからは駒不足が露呈し、5区では11秒差に詰められて主役の座を降りることに。その間に東海大は3区で舘澤亨次(2年)が区間賞の走りで2位に上げたが、4区で逆転を期待されたエースの關(せき)颯人(2年)が力を出し切れずトップを奪えない誤算があった。

 もう1校の伏兵、神奈川大は、1区をトップと5秒差の4位で滑り出した。2区で大塚倭(4年)が3位に上げ、3区の荻野大成(2年)は東海大に抜かれたが14秒差の4位。4区の鈴木祐希(4年)も青学大には抜かれたものの、4位で2位東海大とは12秒差、3位青学大とは5秒差と食らいついていた。

 勝負が動いたのは5区。神奈川大の越川堅太(2年)は、「メンバー表を見た時はびびったところもあったけど、タスキを受けた時に青学大の下田さんが近くにいたので、一緒に行けば自然と前を追えると思った」という。越川は最初の1kmを2分30秒台で突っ込み、東海大を含めた3チームの並走に持ち込んだ。そして、最後は区間賞獲得の走りで抜け出すと、1位の東洋大に11秒差まで詰め、3位の東海大に9秒差をつける2位で中継した。ここで体調不十分の下田裕太(4年)が後半失速して、青学大は神奈川大に52秒遅れる4位に後退。優勝争いは事実上、東海大と神奈川大の一騎打ちになった。

 大後監督は「今回それぞれ選手の体調準備ができていて、大きな崩れはないかなと思っていましたが、それでも東海大や青学大、東洋大にはかなり先行されるイメージをずっと持っていました。でも一緒に並んでいけるような状況になって、どんどん希望が出てきていました」と振り返る。また、「一番心配していた5区の越川が、下田くんと一緒にハイペースで突っ込んだのにはヒヤッとしましたが、8~9kmくらいのところでこっちを見てニヤッとしたので、『あっ、これは調子のいい時の越川だな』と思って。彼が本来の能力を遺憾なく発揮する走りをしてくれたことで、流れがひとつうちに傾いてきたと思います」と越川の走りを評価した。

 勝負の分かれ目は、アンカーの鈴木につなげるまで、「当初の予定で30~40秒差まで。気温がだいぶ上がってきたなかで1分差までは大丈夫かなと思っていた」という。

 選手たちも、アンカーに鈴木がいることで、多少遅れても大丈夫という気持ちでプレッシャーなく走れ、自分たちの力を存分に発揮した。6区の安田共貴(2年)は東海大の國行麗生(4年)に追いつかれたものの、1秒差の2位でタスキをつないだ。そして、7区の大川一成(4年)もトップから17秒差で中継し、その時点で優勝を確信したと大後監督は言う。

 8区の鈴木は期待通りの走りを見せ、2.5kmで東海大の川端千都(4年)に追いつくと、3km過ぎから前に出て5kmを14分10秒で通過。そこから徐々に差を広げ、結局は1分18秒差をつけてゴールテープを切った。

「監督からは、最初の5kmは14分30秒くらいで入れと言われていたけど、やっぱり気持ちが高ぶっていたんでしょうね。でもムチャクチャ速すぎることもなかったし、気持ちにも余裕があったので。58分切りができればいいというくらいの気持ちで走っていたので、57分24秒までいくとは思っていませんでした」

 こう言って笑顔を見せる鈴木は今年、8月下旬のユニバーシアードのハーフマラソンで優勝を目指していたが、大会前に右臀部から股関節部分を痛めてしまい3位という結果に終わった。その後は9月の菅平合宿で4~5時間の登山を数回やることから始め、出雲駅伝の頃は伊豆大島で個人合宿を行ない、来年2月の東京マラソンへ向けた40km走を中心に練習する状態だった。

 本人も「久しぶりのレースだったし、出雲も出なかったので、レース勘という意味では万全の状態ではなく、前回の箱根や学生ハーフの前ほど(調子が)いいとは思えなかった」と不安を抱えていた。中間点を28分17秒で通過しながらも、後半失速したことを反省し、まだまだ練習が足りないと振り返る。ただ、区間賞こそ57分06秒で走ったドミニク・ニャイロ(山梨学院大3年)に奪われたが、そんな8割程度の状態でもきっちり走れたというのは力のある証拠。学生ナンバー1に値する走りを示した。

 しかし、これで神奈川大が箱根の強力な優勝候補に駆け上がったとまでは言えないだろう。鈴木も「まだまだ選手層も厚いとはいえないし、全日本ほど簡単には勝たせてもらえないと思う」と気持ちを引き締める。大後監督もまた、「今回は全員が計算通りの走りをしてくれたが、レースの主導権を作っていたのは東洋大や東海大、青学大だから。今日は自分たちが作ったレースではないので、ゴールしてからも『お前たちはいいとこ取りをしたようなものだから、あまり馬鹿騒ぎをするんじゃない』と言いました」と苦笑する。

 今回の勝利を冷静に見れば、青学大と東海大にミスがあったことも大きな要因だ。青学大の原晋監督は「出雲と同じように1区で出遅れたのが課題。4区が終了した時点で『もしかしたら勝てるかな』と思いましたが、5区の下田の起用を踏み切った私自身に見る目がなかったということ。あそこで離れなかったら、後半面白いレースができたかなという意味合いでは、悔しいというか残念ですが、1区以外は区間4位以内だったというのは収穫でもあります」と言う。

 東海大の両角速(もろずみ はやし)監督も「トラックシーズンで成果を得た勢いで出雲は勝てましたが、いい走りにはほど遠かった。鬼塚も關も、まだ少し跳ねる走りをしていたし、トレーニングそのものもそんなに距離を踏めていない状態なので、そういうところに不安があったのかなという感じ」と言うように、両校ともここから仕上げていく段階でもあり、2強優位の状況は簡単には崩れないだろう。

 だが、今回の神奈川大の全日本優勝は、山藤が「健吾さんが箱根2区で区間賞を獲って学生ハーフでも優勝したのを見て、大塚さんや大野日暉(4年)さんが世界クロカンの代表になったように、健吾さんだけではなく俺たちも世界を目指すという気持ちが強くなった」と言うように、選手たちの意識の変化がもたらしたものだ。その点では、来年の箱根は往路の快走だけではなく、「両校の隙あらば……」というところまで力をつけてきたことは間違いない。